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4-2.カネを使えない部下は、無能な部下だ。

 味の素社長 稲森俊介

 味の素の専務だった稲森俊介がカルピス食品工業社長に就任したのは1990年10月であった。
 当時カルピスは、さしもの有名ブランドにも需要のかげりが見え、88年12月期から3期連続の営業赤字に陥っていた。そこで建て直しに、飲料部門の強化を目指していた味の素の資本参加を受け入れ、稲森を社長として迎えたのである。

 稲森がカルピスにやってきた時、社内の空気は沈滞していた。
 社長になる1ヶ月ほど前に大ヒット商品となる「カルピスウォーター」が発売されていたが、これも、濃縮カルピスの市場を食うのではないか、との反対もあって難産の末の誕生だった。

 しかも、失敗すれば赤字が膨らむという慎重な意見が大勢を占めたことから、生産を社内では行わず、協力会社へ委託していたために、コストも割高になっていた。

 そんな91年3月、稲森は年間500万ケースだった缶飲料の生産ラインを一気に3倍の1,500万ケースに引き上げ、2,000坪の物流倉庫を新設するという、総額40億円の投資を提案し、役員会にはかった。

 しかし、返ってくる言葉は、慎重論ばかり。結局、稲森は「生産がだぶついたら私が注文を取ってくる」とまで言って役員たちを説得し、大型の設備投資に踏み切ったのである。
「自社で開発した商品は、自社で生産しなければわからない点が多いし、利益面でもうま味は取れない」
というのが稲森の考え方であった。
 こうして92年1月、相模原工場の増強が完成した。そして、その年の夏の需要期にはフル稼動した。その結果、その年の販売量は何とそれまでの5倍、2,500万ケースにのぼった。収益は急激に好転した。

 何よりも、積極的な投資を忘れていた同社の社員にとって、稲森の存在そのものが一種のカルチャーショックのように効き、社内の雰囲気は一変した。

 自らの発案を成功に導いた稲森は、社員に次のように言い続けた。

「設備投資、新製品開発、どんどん提案を上げてこい。金を使えない部下は無能な部下だ」

 1970年代のことである。
 もちろん、投資がすべてではないが、稲森は、カルピスに積極投資の教訓を残して、4年後、こうした実績をもとに古巣の味の素に社長として戻っていった。


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