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3-1. 果報は練って待て。

 三洋電機元社長 井植 薫
 

 戦後、たくさんの会社が高度成長の流れに乗って成長したが、つぶれた会社もまた多かった。その違いはどこにあったか。

 井植 薫は、

つぶれるのは、果報が来るのを「寝て待つ

からだと言う。

「チャンスは、懐に飛び込んではこない。自分から、つかみ取らんといかん。そのためにも、いつも、何事にも深い関心をもって、どう作るか、どう売るか、ヒラメクようにしないといかん」

 だから、果報は「練って」待たないとダメだと言うのである。

 経営者にとって大事なことは、何事にも深い関心を持つことであり、それで得た知識を練ることで、問題を解決するヒラメキが生まれる。たとえば、と言って井植は次のような例をあげる。

 道に1円玉が落ちていても、拾う人間はいない。そんなことでも関心を寄せて考えてみる。そうすると、拾うエネルギーに比べて1円は合わないからだということに気づく。

 そんな風に気づく人なら、もし工場で部品が落ちていたら、作業者が拾うと拾い賃のほうが高くつくとみるだろう。それならば、部品が落ちないように設備を工夫しないといけないということに気づく……と言うのである。

 つまり、ここでは、知識をたくさん貯えておけば、それはいつか、これではおかしいという問題意識となって出てくる、

果報を期待するならその前に蓄積をしておきなさい、練ってあればあとは果報がくるまで待てばいい

……というわけである。

 また井植は、練ることは大切だが、その上にユーモアがないといけない、とも言う。その辺はまた深い意味がありそうだが、「果報は練って待て」のひねりにも井植の言うユーモアが覗いていると言えまいか。

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