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4-3. 実力主義を廃止する。

 TDK元社長 素野福次郎

 TDKは、日本人が生んだ独創的な発明であるフェライトを工業化するために、昭和10年に設立された会社(創立時・東京電気化学工業)である。今では技術力の高い企業として海外でもよく知られている。素野福次郎は同社の中興の祖ともいわれる人間である。

 戦後の日本のエレクトロニクス業界の発展とともに成長してきた同社は、歴史も浅く、急激な成長に 人材不足に悩まされてきた。
 そのため、同社では幾度となく中途採用を行って広く人材を採用してきたが、昭和45年に行った人材募集広告は、大きな反響を呼んだ。
 そこには、

TDKは実力主義を廃止しました

というコピーがあったからである。
 これに同社幹部の次のようなコメントがついていた。

 ・ 実力、実力と肩をいからせず、のびのび仕事をしてください
 ・ 途中入社のハンディキャップはありません

 何よりもこの「実力主義を廃止した」とのキャッチが、実力主義の時代などと叫ばれ始めた頃だっただけに、新鮮であった。

同社は、もともと社員の能力を自由に発揮させるという気風を持っていた。たとえば技術部門では、仮に一度失敗しても、本人がその後、研鑚・努力を続ければ、再び「敗者復活戦」にチャレンジする機会を与えられた。

 自分の責任で自らの意志でチャレンジするものは、どんどん仕事ができる。そんな自由さが、一人ひとりの社員にプロとしての自覚を持たせていた。
 だから、わざわざ「実力主義」と肩をいからせて言わなくてもいいではないか、とその広告は巧みに伝えたのである。
 その新鮮さに惹かれてか、150人の募集に対して10倍を超える人材が応募した。その時採用された人たちの中から、多くの幹部が生まれている。
 TDKは中途採用組が非常に活躍してきた会社である。特に成長期の昭和20年代、30年代にはどうしても外部に人材を頼らざるを得なかった。同社の社長からして、大卒で採用した生え抜きは現社長の佐藤 博が初めてであり、それ以前の社長はすべて中途入社組である。
 中途入社組はいわば異質な人材である。そういう人がTDKを常に活性化してきたと言えそうである。

 紹介した広告にある幹部社員のコメントの中に、次のような一行があった。

「家庭と職場を同時に愛せる人、これがこれからのTDKをつくる人だと思います」

 コメントの主は、当時の情報機器事業本部長、佐藤 博。つまり、後に社長となった佐藤である。

 同じように、中途採用組をうまく活用してきた経営者に、三澤千代治がいる。


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