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摺り合わせの妙が支える1千年

                     法隆寺(上)/薬師寺(下)
明治の国宝修理のときに、入ってきた新しい西洋の近代科学技術を採用して、古い寺社のメンテナンス工事を行いました。その際に、屋根瓦も形を規格化し、形状をそろえて統一したそうです。
ところが、その屋根が、急速に傷み始めて、大正から昭和に入ると、予定外に修理が必要になってしまったそうです。原因を探ると、屋根の上に土と瓦をおいて隙間なくふたをしてしまったために、湿気がある日本では、中を蒸すことになってしまい、それはよくない、という理屈がわかってきたそうです。
むかしの工人たちには、そのことは理屈ではなしに経験でわかっていたのでしょう。
そこへ明治に新しい科学技術が入ってきて、規格品という考え方でものが造られるようになり、それが、寸法も揃っていて、きれいで効率的と評価され、明治の改修ではその考え方が最新の技術として取り入れられました。
ところが、それでやると、古い建物は具合が悪い。「空気の乾燥した西洋ならあるいはそういうもんでええかもしれんが、気候条件のちがう日本では、湿気が悪さをしてダメやということになる」と西岡棟梁。
もともとの工法は、土台の木材の形状が一つ一つバラバラなのに合わせて、上に乗る瓦も形状をえらんで、セットされていたそうです。ところが、規格化された瓦を載せ、その間を土で埋めてしまうことで、土台と瓦の間に隙間がなくなり、雨が降ったあとに空気が通らずに、中が蒸れて腐ってしまう。
屋根板と粘土、瓦の間に適度な隙間ができるように、職人がひとつひとつ手で合わせていくことで、風が通り、中の湿気が抜けて乾燥していく。木造建築物が千年を超えて持ち続けてきたのには、湿気対策として、屋根瓦の間に空気孔を作るという細かい細工があったのだそうです。
 昔の職人が一つ一つ手で瓦を土台に合わせていたのは、隙間なくぴったり合わせるためではなく、適度なスキマを作るためだった、というのは目からうろこの発見です。
もともとの法隆寺や薬師寺の屋根瓦を載せる仕口や瓦そのものは、一つとして同じ形状・寸法のものはないそうです。組み合わせる木材がそれぞれ木の癖を生かしているので、全部形が違う。それを現場合わせで組み合わせていくので、出来上がった建造物はすべて一品手づくり。それが古刹を1000年もたせる基本、摺り合わせの妙なのでした。
同じような構造でも一つ一つ違うことで、独特の柔らかい雰囲気を生んでいると言われています。
上の写真は、再建した薬師寺の蟇股(かえるまた:上の梁を下から支える逆Y形の板)と古いままの法隆寺の蟇股(上)。法隆寺の虹梁は一つひとつが違うのがわかります。

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