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093.「Japan in it」のラベルの可能性

製造業の本業はものづくりでも、経営者の仕事はものを作ることではありません。経営者の仕事はマネジメントであり、企業の将来像を描き、そこにできるだけ近づけることです。
高い目標を掲げ、企業を上げてその目標を実現することが仕事であり、その出発点はマーケティングです。日本の企業の経営者と、グローバルに成長する海外企業では、この点についての考え方の違いが大きいのではないか。
こんな話があります。
日本企業では、収益を向上させるために、製品のコストダウンの努力を行い、高品質で低コスト化をめざします。それが成功して企業の収益力が向上し、利益が増えることで、企業体質がリーンになったと、取締役会などでも経営者は高く評価されます。
一方、あるグローバルな企業では、同じように製品のコストダウンを行い収益力を向上させ、利益を大幅に増やします。経営者は称賛されるところですが、逆に、その経営者は左遷されてしまいました。
なぜか? 理由は、コストダウンに成功し、収益を増やしたが、その段階で終わって、その先はなかったのか?と問われたのです。競合と比べて収益体質が優れているならば、市場をコントロールできたはずではないか。競合のシェアを奪い、自社のシェアを伸ばす、それによって競合を市場から追い出せなかったのか、と問われたのです。
日本企業の経営者は、収益体質を改善したことで称賛されましたが、グローバル企業の経営者は、収益体質を向上した結果で、価格戦略で市場をコントロールしてシェアをのばし、競合を市場で弱体化しない限り評価されない、ということでした。
こうしたことを象徴する出来事がかつて市場を席巻したことがありました。
「intel in it」事件です。
パソコンにとってCPUは核になる部品です。CPUの性能によってPCの性能が変わります。しかし、PCメーカーは自社では高性能なCPUを開発できません。そこで、他社より優れたCPUを購入できるかどうかが商品の優秀さを左右する重要なポイントになります。
1980年代から1990年代にかけて、PCメーカーは優位性を獲得するために、高性能のCPUの搭載を目指していました。半導体メーカー各社はCPUの開発に躍起になっていたのですが、ここで、先端を走っていたのがインテル社でした、微細加工の技術をベースに高度なCPUを開発し、PCメーカーはこれを組み込んで高性能なPCとして販売していました。
メーカーはこぞってインテル社製のCPUを組み込むことで高い評価を得ていました。しかし、核となるCPUを開発しているインテル社自身のイメージはあまり高くなかったのです。同社が優秀な人材を採用したいと願っても知名度があまりないために、残念ながら優秀な人材をPCメーカーに奪われてしまうこともしばしばでした。
そこでインテル社が知名度向上を目指して1989年に採用したのが、「intel in It」プログラムです。同社がPCメーカーにCPUを納入するに際して条件として、同社のCPUを組み込んだPCに自社のネームロゴの入ったラベルを貼付して出荷してもらうように提案したのです。これはインテル社にとって知名度・イメージを向上させるメリットがあるだけでなく、PCメーカーもまた、高性能CPUを組み込んだPCであることをアピールできるという付加価値があったのです。
「Intel in it」はその後、1991年になると、「intel inside」と変更されましたが、インテル社のイメージはこれによって飛躍的に高まり、優秀な人材が積極的にインテル社を目指すようになりました。

図9-1 PCに貼付された「intel inside」のロゴラベル

単に、部品として優秀さが認められ、採用されるだけでなく、取引関係ではいつも劣勢に立たされることが多い”下請け会社”が、親会社に対して堂々と「最終製品の優秀さを部品メーカーが支えています」という自己主張をした素晴らしいマーケティング成果で、これこそ経営者の仕事かもしれません。 
日本の電子部品は品質が優秀で、世界中の企業に採用されています。高性能な製品を作るためにはなくてはならない部品となっていますが、どこの製品にも「japan in it」「Japan inside」のラベルは貼られていません。内蔵されている部品のブランドを訴求するようなマーケティングをめざす日本の企業はなかなか生まれないようです。
そう考えると、PCメーカーに「intel inside」を受け入れさせたインテルという会社の存在感のすごさを思わざるを得ませんが、それを実現させられるかどうかは最終的には企業のトップにかかっていることは言うまでもありません。

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