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【急降下する仕事運】調子に乗りすぎた私の反省……その2

(その1から続く)

家の近所のキャバクラで働き出したのも、アルコール依存、過食症、性依存が発症したのも、この駆け出しライター時代だったと思う。クラブにも行きたいし服も買いたいけれど、お金がないのだからできない。お金がないと心にまで余裕がなくなる。

なぜ昼間アルバイトなりをしなかったのか? という疑問を持つ方もいるかもしれないが、一応、毎日編集部に通っていたので昼間のアルバイトが不可能だったのだ、やむない。夜は夜で先輩ライターや編集者に教えてもらったキラキラの飲食店やクラブに出かけていたので、そのお金は自分で捻出するしかなかった。

とにかく、イケイケな周りに追いつきたかったのだ。だから、飲みやクラブに顔を出して、終電の時間帯からでも働ける、朝まで営業しているキャバクラで働くしか選択肢がなかった(ドヤ)。寝るのは朝なので、もちろん編集部への出社時間は昼過ぎにはなったけど(苦笑)。

そんな感じで、マイナスから始まり、マイナスがさらに加速した駆け出しライター時代。それでも当時は楽しかったな、と断言できる。なぜなら、駆け出しライターが成長できる環境があったからだ。

例えば、すごく良くしてくれた編集者は、食事やお酒をご馳走してくれるだけではなく、「ライターだけでは食えないだろうから、本のイラストを書いてみないか?」と提案してくれた。「無理です」と断わってしまったことに今となっては後悔している。あの時トライしていたら、今頃イラストも描けるライターとして重宝されていたかもしれない……。

また別の編集者は、ダメ人間に陥りかけていた私を一人前のライターにしようと愛のあるスパルタ教育を施した。撮影の現場で「もっと周囲を見てヘルプしろ」「ベテランライターの取材から学べ」「酒臭い、酒を控えろ!」などと撮影スタッフの前で叱咤叱責され、自分のふがいなさに人前で号泣したこともある。

さらに先輩ライターが、別の出版社の編集者を紹介してくれたことも。これをきっかけに、私は元々所属していた編集部だけではなく、複数社&複数の媒体でライターとして仕事をすることに。雑用で毎日編集部に通う必要(暇?)もなくなった。

これが紛れもなく、私が駆け出しライターから卒業したターニングポイントだ。ページ単価は各社で差はあったものの、1.5~2.5万円ほど。編集者による紹介&紹介で、月によっては50P以上書いたこともある。

当時のWeb:紙の割合は3:7くらいだったが、Web原稿も今ほど単価が低くなく(1記事1000文字程度で1万円~くらいだったっけ)、SEOを意識する必要もなかったので、かなり楽に自由に書けたものだ。

ライター業が軌道に乗り、お金にも余裕ができた私は精神的にも安定し、数々の依存症と距離を置くことに。お酒の量もだいぶ減ったし、過食をする、クラブに行く時間もなくなり、キャバクラで働く必要もなくなった(まあ……お酒の飲みすぎが原因の粗相が多く、3軒働いて3軒ともクビになったのが実情だが)。

そうして800万円の年収を叩き出すライターに成り上がった私。ちなみに、当時の収入の7割を占めていた紙媒体の内訳は、エロ本(コンビニで売っている男性向け雑誌)が6割、その他週刊・月刊の女性誌、男性ファッション誌、ライフスタイル誌などが4割といったところ。

特にエロ本に至っては、女性ライターが少ないことから重宝された上に、1Pあたりの写真が多く文字数が少なかったので、本当に荒稼ぎできた。
そもそも私が幼い頃の宝物は道に落ちていたエロ小説だったので(「毒母との濃厚な日々 その1」参照)、エロ本をライティングすることはある意味、神のお導きと言っても過言ではない。

同時に私には、かなりの浪費癖がついた。湯水のようにお金(ギャラ)が振り込まれるので、当時は銀行の通帳記帳すらしなかった。調子に乗った私は、当時同棲していた彼氏と富ヶ谷(渋谷区)の広いマンションにも引っ越した。もちろん家具も流行のインテリアショップで揃えた。当然すべての費用は私持ちだ。今振り返ると、なぜこの時に貯金をしなかったのかと悔やまれるが、後の祭りだ。

その3へ続く

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