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「ケチ? 否、太っ腹」その1

 タイトルは、岡崎体育氏の名曲「Natural Lips」にインスパイアされたものと分かった人はスゴイ。同曲のリリックはいきなり海鮮丼を割り勘だとかブリの炙りを食べたいなとか本当に意味が分からないのだが、サビは「ブス? 否、美人♪」とさらに脈絡がないものになっている。今回のタイトルの「太っ腹」の部分が少しばかり語呂が悪いのは許していただきたい。ケチの反対語で3文字の単語が思い浮かばなかった。ちなみに、同曲のMVとサウンドは天才としか言いようがない。ブスと美人に女装した岡崎体育が何やら踊っている(しかしどちらにしてもブスなのだが)。

 ところで、自分以外のフリーランスライターがいくらくらい稼いでいるのか。なかなか同業者には聞けないものだ。聞いたところでどこまで本当なのか分からないし。探り合いに近い。

  一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会が発行している「
フリーランス白書 2023」によると、出版・メディア系の平均年収は400万円未満が59.5%のようだ。中には1,000万円超えのライターやエディターもいるだろうから、ボリュームゾーンは200~300万円といったところか?

  私の場合は、(一応)キャリアも長いので、まあ、1人で月に10万円の住宅ローンに税金などを支払い、好きなだけ酒を飲み、気になる本を購入し、たまに愛犬をトリミングに連れていき、気が向いたら家事代行を頼み、移動はタクシー(足が悪いから)、くらいの金額は稼いでいる。特にギスギス節約している気もないし、旦那と「別居してケチになったよね~」とか周囲に思われたくないという変なプライドもある。

 しかし、たまに言われるのだ。「サーニャって貧乏くさいし、ケチだよね(笑)」「セコイよね」「安物買いの銭失いだよね」と。前振りが長くなったが、今回のタイトルの背景にはそんな事情がある。冗談でもケチとか言われると地味に傷つく。私の何を、どこを見て思うのか。同情するなら金をくれ(by 安達祐実)。

 確かに私はケチかもしれない。しかしそれは、「自分自身」に対するケチだ。着ている洋服は基本的に友人からもらったものだし、下着の上下すらもらいものだ。コスメなんて100均でしか購入しない。エアコンだって、夏場の設定は30度。これは犬がいるから稼動させているだけであって、1人なら扇風機で我慢しているだろう。旦那と別居してから家の電気のアンペアを40Aから20Aに下げたので、電化製品を使用するのも細心の注意を払う(先日、ブレーカーが落ちてしまい、東電が回復してくれるまで一切仕事ができなかった)。

 1人で飲みに行くと、まず200円の漬物とかをオーダーしてしまう。趣味の旅行も、1円でも安いプラン、お得なプランをとことん探す。これは、独居で頼れる人もいないから、旅行期間中に犬をペットホテルに預けなくてはいけない=当然だが出費がかさむため、かなり慎重に計画を練る。

 自分へのご褒美と言えば、オリジン弁当ののり弁か、大好物のトマトを清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入するくらい。同じく大好物のタバスコは今だに購入をためらっている。この自分自身へのケチが、誰かに迷惑をかけているのだろうか? 

 なぜ私が自分自身にケチなのかというと、やはりフリーランスという点がもっとも大きいと思う。今は良くても、いつ仕事がなくなるか分からない。旦那とは今だに別居中でマンション売買の話も進んでいないし、綱渡りの人生だ。事実、6月末に今さらコロナに罹患したのとハードワークでぶっ倒れ、締め切りが大幅に遅れていくつか仕事を失った。つまり、収入が減った。それなら、自分自身で節約できるところをケチるしかない。しかし、外向きにはケチを出していないつもりだ。

 例えば1人で飲みに行っても、私は基本的に人前ではあまり食べられないし、1人で飲み食いするには胃に限界がある。あまりに自分が安い客で申し訳ないので、店主には1杯ご馳走するし、「お土産」をお願いしてまた別の飲み屋に差し入れすることも度々ある。複数で飲みに行っても年齢的に多めに支払うようにしているし、「ここは出すよ」と立て替えてお金を徴収し忘れてそのまま、ということも数知れず、だ。

 友人の家に遊びに行く時は手土産とお酒も多めに持参するし(もし手土産やお酒が余っても、後日家主が消費できるでしょ?)、遠方から友人が来てくれる時は(電車代をかけてわざわざありがとう……)と地元のちょっとしたお菓子を用意することも。友人の誕生日には何かしら小さなギフトを贈る。それでケチと言われたらたまったもんじゃない。自分にはケチかもしれないが、自分以外にはケチどころか太っ腹……とまではいかなくても、割と金払いが良い部類ではないかと自負している(えっへん)。

 私の持論だが、本当にケチな人というのは、自分にはたくさんお金を使うのに、他人にはまったく出さない人だと思っている。ギブ&テイクの、「テイカー」という人種だ。悲しいかな、そういう人間も一定数存在するように見受けられる。「他人から〇〇してもらう」「自分にしかお金をかけない」のが当たり前。彼・彼女たちは心が貧しいと思うから、反面教師にして距離を置いているけど。本人がそれで良いなら、良いとしよう。

 でも、「〇〇(趣味の高いやつとか)買った!」とか、「〇〇してもらった!」ばっかりで、なんかむなしくならないのかな。お金持ちが数十万円の高級品を購入しているところで、「それで?」としか思わない。ありがたいことに、私の周りは「ギバー」がほとんどだ。それが金銭とかモノとかに限らず、言葉とか、時間とか。

 別に誰もが金銭的に太っ腹でなくても良いのだ。ない袖は振れないし。だけど、振る袖がなくても、振る心はある。他人への愛で溢れている。私も彼や彼女たちを見習って、心だけはケチにならないようにしたい。心の余裕が金銭的な余裕から生み出されるのも一理あるとはいえ、必ずしもそうとも言えないケースもある。

(→その2へ続く)


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