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【人生の転機】 「私もビビる」好色編集者・M氏 #1

 前回は、企業ライターとして通用するライターとはなんぞや、について、自分のクローンに育て上げてセミリタイアした商社勤務の上司・H氏について書いた。今回は、そもそも私がフリーライターとしてデビューできたのか。その大きな足がかりになったM氏について書いてみようと思う。

 というのも、先日、10年以上ぶりに自分の実家に帰省した。旦那がいる時は、盆正月に帰省するのは旦那の実家ばかりで、自分の実家に帰省することは暗黙の了解で「ナシ」だったから、随分と自分の実家には帰省していなかった。旦那と別居して義実家に帰省する必要もなくなり、この度、やっと自分の実家に帰省してみたというわけだ(もっと早く帰省するべきだったが、なんやなんや両親が東京に遊びに来る機会が多かったので帰省を先送りにしていた)。

 前置きが長い。

 実家に帰省して本棚に発見したのは、私が「ライター」として初めて参画した本だった。私が送本した記憶はないので親が購入したのだろう。初めて自分の名前がクレジットされ、「ギャラ」を受け取ったムック本。もはや25年以上も前に発売されたムック本を今も両親は保管していたのだ。そしてこのムック本の編集者がM氏だった。私が20代前半に40代だった彼は、もう定年退職しているはずだ。

 学生アルバイト当時、「好色」な編集者として女子アルバイトの間でも有名だった編集・M氏。「その服、エロいな」「ずいぶんぴったりとしたズボンだけど、どんなパンツ履いているの?」なんて言葉のセクハラは当たり前。舐めまわすような視線が気持ち悪い、なんて声も上がっていた。嘘か誠か、ホテルに誘われてアルバイトを辞めた女子もいると噂されていた。

 ちなみに、モデル並みに可愛くてオシャレで大人っぽい学生アルバイトたちは、すごく高級なレストランでM氏からご馳走になっていた。一方、オリーブ少女(?)だった自分は小デブな上に色気ゼロだったからか、M氏から誘いを受けることはなかった。アルバイトで残業した時に蕎麦屋の出前を編集部で一緒に食べたくらいか……? 

 口が悪く、常に何かしらに怒っているM氏を正直私はどこまでも苦手だった。ビジュアルもガタイがよく、どこかの国のレスラーみたいだ。なのに、M氏には奥さんと子どもがいた。(なんでこんなんと結婚したんだろう……ああ、金か……)と納得したものだ。それ以外にM氏に惹かれる理由はないじゃないの。

 が、そんなM氏の周りには、最先端のライターやカメラマン、イラストレーター、モデル、スタイリストが常に集っていた。打ち合わせでM氏の元に訪れるのも有名人が多かった。

 なんでこんなレスラーにこれだけの人脈があるのか。理由は明確だった。企画力と、企画を通す力がずば抜けていたのだ。それは学生の私にも分かった。

 まあ実際は「絶対クルから!」と喧嘩ごしに編集長に企画を提案し、熱意に負けた編集長がさじを投げていたような気もする。例えば、「ワインが好きだからワインの本を作る」「〇〇(美人タレント)の部屋を見たいから、インテリアブックを作る」とか……公私混同甚だしいが、確かにM氏が企画したムックや特集ページはヒットしていた。

 編集アルバイトをしていた学生時代はM氏との接触もほぼなかったし、もしあったら「私もビビる」by外山恒一(私は別に右でも左でもないが、2007年の政見放送はオモロい)、卒業後、編集部に居座り、名ばかりのフリーライターになっても引き続きM氏との接触はなかった。ただ、学生時代よりも編集部にいる時間が長くなったので、M氏を分析する時間は増えた。分かったのは、本当に1日中怒っていることだった。電話でも、対面の打ち合わせでも、独り言でも、常に怒鳴っている。

(→#2へ続く)






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