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【急降下する仕事運】調子に乗りすぎた私の反省……その3

(その2から続く)
私のアホすぎる豪遊生活こそが、その後の転落人生への第一歩だったと確信している。自分を「イケてるセレブライター」と思い込み、謙虚さを忘れてかなり傲慢になっていた。

かなり調子に乗って仕事をしていたので、締め切りを守らないこともザラ。いや、締め切りなんて守らなくてもどうせ仕事なんて舞い込んでくるだろうとたかをくくっていたのだ。

一度などは、締め切りから逃げ続ける私の自宅に、編集者がいきなり凸してきたこともあった。(たかが2Pで3万円のギャラに……)と思いながら、鬼のような形相の編集者を横目に必死で原稿を書いた記憶もある。

しかしこうした悪行は知れ渡るもので(別の編集者から紹介された編集者だったので当然と言えば当然だが)、本当に仕事の依頼が激減した。Webへの完全移行期で、紙が売れなくなったのも依頼激減の1つだと考えたいが……。気付くと銀行の残高がかなり目減りしていた。さすがに焦った。

今思えば、この富ヶ谷のマンションが諸悪の根源だったと思える。HSPのコラムで書いたが、このマンションがとんでもない霊の社交場だったので、私の仕事への意欲が一切なくなったと真剣に思っている。

そこで私は、安定収入を確保するため、フリーランスという立場を捨てて編プロで働くことを決意。数年間フリーライターを封印する。とは言え、編プロでも取材して原稿を書いていたので、ライターという職業には変わりないが。

編プロでの経験は実に波乱万丈だった。最終的に自業自得でクビになるのだが、それは後で詳しく記述したい。ただ、「編集」というテクニックも学べたことは大きな財産になったのは違いない。

編プロをクビになった私は、初心に戻って再度フリーライターとして出直そうと考える。幸い、編プロはWebメディアを運営していたので、それまでは中途半端だったWebの知識にもいくらかの自信を持っていた。

しかし、考えが甘かった。当時、紙ももちろん存在していたが完全に下火。思ったように稼げない。富ヶ谷の高級マンションの家賃を捻出するのが難しくなり、同棲していた彼氏もW浮気で逃げ出したため、キープしていた新しい彼氏と新居を借りて移り住んだ。

新居は同じく渋谷区だったけど、富ヶ谷の高級マンションよりも家賃が5万円以上安く、しかもニュー彼氏と家賃を折半していたので、そこまで金銭的に負担ではなかった。しかし、とにかく仕事がない。セレブ時代は邪見にしていた編集者に頭を下げてなんとか仕事をもらう。やむなく営業活動(求人への応募)も行い、ラッキーなことにちょっとというかかなり強力なクライアントにも出会った。

とは言え、生活は楽にならなかったので、この時期に私はテレクラでアルバイトを開始した。(ライターなのに……)という屈辱? はあったものの、深夜のテレクラのアルバイト自体は夜型の私に合っていたし、ニュー彼氏のモラハラ・DV(「やっぱりコイツもか……もれなくだめんずを育ててしまう私 その2」参照)から逃れるにも都合が良かったのだ。

この頃の仕事の割合は、Web4:紙6くらいか。前述のクライアントが紙メインの制作会社で、企業とのタイアップ企画が多く、原稿料もP1.5万円と悪くなかったのが救いだったかもしれない。しかし、ほかの紙媒体では1/2ページの情報ページしか依頼されないことも。結構情報収集にも時間がかかるのに、ギャラはわずか7,500円……。割に合わなすぎる。

しかも、Webの原稿料もダダ下がり。1記事(3000文字以上)で1万円程度が良いところか。当時の月収は20万円程度と、全盛期の1/3まで激減していた。

その後私は、現在の旦那との結婚を機に、今度は企業の編集&ライターとして派遣社員で働くことになる。なぜなら、編プロなどより企業の派遣の方が就業時間がきっちりしているし、残業もない。毎月安定収入にありつけるし、ちゃんと仕事と家庭が両立できると考えたからだ。
またもフリーランス生活とはお別れだ。

その4へ続く


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