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【急降下する仕事運】調子に乗りすぎた私の反省……その4

企業の編集&ライターとして規則正しい生活を送る中、実は副業でフリーランスのライターも並行して行っていた。結構というかかなり多忙な新婚生活だったけど、フリーランス仕事は企業のような「縛り」がないし、人間関係にもさほど悩まなくて良いので、かなり楽しんで両立できた。心のどこかに、「フリーランスの感覚を忘れずにいたい!」という気持ちがあったのだと思う。

私は時給などより良い条件を求めて企業を渡り歩き、トータルで結婚から7年くらいかな? フリーランスという働き方から離れていたように思う。とある企業からは「社員にならないか」というお誘いもあったが、やはりフリーランスへの未練があり、丁重にお断りした。

というか、この企業を渡り歩いた数年間で、難解な原稿や当時走りだったSEOも学ぶことができ、またも無駄に自信がついた。そこで私は懲りずにフリーライターとして再度独立したのだった。実は当時、旦那への愛情は冷え切っていて、「なんでお前のために私の人生を犠牲にしなくちゃいけないんだ」という気持ちもあった。

しかしこの頃にはWebが全盛期。かつてお世話になっていた紙媒体も次々と廃刊し、過去のフリーランス時代に築いた編集者とのパイプも一切なくなってしまっていた。当然誰にも頼れない。自力で求人に応募するのみだ。

なんとか築いてきたキャリアが評価され、いくつかの制作会社にWebライターとして拾ってもらったが、Web記事の単価が労力の割に非常に安いため年収はやっと200万円に届くか届かないか、という感じ。果敢に仕事を増やそうとしても、年齢がネックなのかなかなか採用されない。自分のライターとしての限界を感じた瞬間だった。

さらに2017年、政府が「働き方改革」を推進したことで会社員の副業が解禁されて副業ライターが大繁殖。SNSやブログ文化も成熟しまくっていて、それまでライティングの「ラ」も知らないような一般人までがライター業界に参入してきた。

これにより、Webライターの原稿単価もさらに下がった。「1文字0.1円」なんて求人を見た時は、正直言って愕然とした。いくら仕事がないと言っても、そこまで落ちぶれたくない。

「ちくしょう、プロの意地を見せたるわ!」

と思った私は、「他のライターに差をつけるには、ライター1本で生きていくには、資格しかねえな……」と考えた。そこで、やたらと資格取得に励んだ。

医療系の記事の単価が高いこと、派遣社員時代に企業で医療系の原稿を書く機会が多かったことも引き金になり、単価アップを目指して学校に通い医療事務の資格も取得した(今思うとなぜ医療事務を選択したのかは謎だが)。

薬機法の資格にもトライしたが、残念ながら落ちた。ちなみに、金融系の記事の単価が高いことからFPの資格取得にも励んだが、これまた落ちた。

だが、こうした努力がちょいちょい認められ(勉強中です、と言うと応募企業の心象が良くなる)、仕事の依頼が少しずつ増えたように思える。

さらに旧知のフリーランス編集者がさまざまな案件を紹介してくれたのも大きい。私同様、HSS型HSPの彼女とは相性も良く(と、私が思っているだけだったりして・笑)、彼女の支えもあって、旦那と別居中の現在でもなんとかライター業1本、おひとり様でもそこそこ不自由がない(?)生活ができているというわけだ。

(長くてすみません。。。
その5へ続く)

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