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【知られざるアーティストの記憶】番外:「♬どの町まで行けば 君に会えるだろう」

アファメーション

「わたしはワダイクミの魂と一つです。
彼とともに、真実の言葉を紡いでいます。
妥協せず、攻める。過不足のない、ことば。」

最近、気功のときに唱えているアファメーションです。
言葉は真実には届かないけれど、常に追いかけていく意気込みで綴ります。
これからも見にきてくださいね。

記憶と記録

二人の出会いから付き合い始める手前までに約30回を要しました。このペースではどれだけ果てしない物語になるのかとも思いますが、これまでの部分を細かく描写してきた理由の一つに、この時期にたくさんノートを書き残していたから、ということもあります。「〇月〇日」と日付まで記せるのは、記録としても残っている記憶だからです。どうしても「記録」に残っているものは、取捨選択せずになるべく全てを文字に残したいという思いが働き、全体の流れからすると些細なことでも記述している部分があります。

ここから先の部分では、マリがあまりノートを必要としなくなったため、記録が飛び飛びにしか残っていません。記録にはないけれど、はっきりと記憶している出来事を拾い集めて、なるべく時系列に並べていく作業になります。日付のない思い出たち。しかも、その記憶も、どんどん私の脳内からこぼれ落ちていくのを感じています。ノートに書いていなくてもはっきりと記憶していたはずの事柄や人名や続柄など、どんどん忘れているのです。そのことに焦りや寂しさも感じますが、忘れることは悪いことではなくて、その分思い出が熟成しているとも考えます。

ただ、ワダイクミオタクである私としては、もっと「記録」の部分を残すすべを、しかるべき時に考えておけばよかったと後悔するわけです。例えば、手続きのために彼と取りに行った、彼のルーツが記載された古い手描きの戸籍謄本。これは従兄に持って行かれてしまう前に私のほうでも写しを取っておけばよかった。ドタバタと悲しみの中だったとはいえ、自分の機転の利かなさを悔やみます。

彼が遺した歌

「♬どの町まで行けば 君に会えるだろう

 どの町を歩けば 君に会えるだろう

 教えておくれよ 君が好きだから

 いつも側に居たいから」 

ウルフルズ「ワンダフルワールド」

彼の部屋の壁一面に作りつけられた本棚の、左最下段にはCDが並べられていた。数枚のクラシックとJポップ、映画のサウンドトラックの他は、宗次郎と喜太郎のアルバムがずらっと大勢を占めていた。彼は原稿に向かうとき、聞こえるぎりぎりくらいの小さな音量で喜太郎か宗次郎のCDをかけていることが多かった。

しかし、彼が最期の1ヶ月間に自宅の枕元で聴いたCDは、宗次郎でも喜太郎でもなく、ドラマ「Pure」のサウンドトラック、ドラマ「それが答えだ!」のサウンドトラック、そしてSF映画の代表作である「ブレードランナー」のサウンドトラックの3枚であった。この3枚のCDは、まるで私へのメッセージのように遺された。

思うに、彼が同世代のアーティストとして好みつつも少なからずライバル意識を持ち、自分の作品創作時のBGMにもしていた宗次郎と喜太郎の音楽を、死の床の枕元では聴きたくなかったのではないか。それよりも気楽なドラマのサウンドトラック(ドラマが好きだったのか音楽が好きだったのかはわからないが)と、昔観て熱狂したのであろうSF映画の音楽に耳を傾けたのかもしれない。

いったいどんな思いでこの音を聴いていたのだろう。あの日々、確かにこの音を聴いていたはずの人が今はもうどこにもいないということに不思議さを感じる。ドラマ「Pure」と「それが答えだ!」のサウンドトラックには、まるで彼の存在そのものを思わせるような美しい調べを持つ主題曲がそれぞれ収録されている。その他には、心の内面をえぐるような暗い曲調のものもあり、それらは病気と対峙するときの、または若い頃の挫折を語るときの彼と重なった。優れたドラマの楽曲というのは人生のあらゆる局面を奏で上げるものかもしれない。なんとなく、彼がこのCDをチョイスした理由がわかるような気がする。

『ピュア』メインテーマ


『それが答えだ!』メインテーマ


この3枚のCDの中で、唯一日本語の歌詞が付いた曲が、ウルフルズの「ワンダフルワールド」(ドラマ「それが答えだ!」サントラのラスト曲)だった。彼がチョイスした理由の中でのこの曲の重要性はわからないけれど、この歌詞に私への思いを重ねてくれていたとしたら、私はこの歌の中に常に幸せを感じることができる。(今でもずっと車の中で聴き続け、三男も上手に歌いこなせる♪)


第4章のヘッダー画像は

彼が遺した画材の中の、「雲形定規」でした。この曲線をどうやって原稿の中で活かすのか、私にはさっぱりわかりません。でも確かに、原稿制作中の彼のデスクにもよく乗っていました。

ちなみに、彼の遺した画材は一つ残らずどなたかの手に渡し切り、一つも捨てませんでした。彼の大切にした画材をもらってくれた協力者の一人、近々ご紹介予定の私の「美しい友人」へと、物語は続きます。

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