烏天狗クーロン

囲碁研究会の開催。書籍販売。囲碁の歴史研究をしています。

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マガジン

  • 囲碁史記 No.4

    囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.4は囲碁史記 第67回から第82回まで 明治維新から本因坊秀甫逝去までを紹介します。

  • 囲碁史記 No.3

    囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.3は囲碁史記 第42回から第66回まで 本因坊元丈の時代から幕末の秀和の時代までを紹介します。

  • 囲碁史記 No.2

    囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.2は囲碁史記 第25回から第41回まで 碁聖本因坊道策の後継者の時代から低迷期を経て本因坊察元、烈元の登場により再び囲碁界が活性化するまでを紹介します。

  • 囲碁史記 No.1

    囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.1は本因坊算砂から道策まで。

  • 囲碁の起源から日本への伝来

    囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。

最近の記事

囲碁史記 第100回 中川亀三郎の逝去と巌埼の社長就任

小林逝去後の方円社 明治二十六年に方円社を設立以来支えてきた小林鉄次郎が急逝すると、方円社はたちまち苦境に立たされ、小林が生前尽力して建てた錦町の会館も手放すこととなった。  当時の社長、中川亀三郎は、明治初期には若手囲碁棋士による研究会「六人会」を立ち上げ、その後、村瀬秀甫を招聘して「方円社」を設立するなど、囲碁界改革の中心的役割を果たしてきたが、もともと自分が前面に出て活動することは好まず、秀甫が亡くなり社長となってからは、方円社の経営もほとんど小林鉄次郎に任せきりであ

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    • 囲碁史記 第99回 方円社新会館建設と小林鉄次郎の逝去

      方円社の再移転 方円社は明治二十二年十一月に日本橋へ移転したが、明治二十六年三月には神田区錦町へ再移転している。日本橋の会館は手狭であったというから、活動を充実させるにはもっと広い場所が必要だったのだろう。  日本橋の会館同様、小林鉄次郎が奔走して移転にこぎつけたという。  なお、資金は日本橋時代からの後援者である医者の川村某が出資している。  雁金準一は当時の方円社について、錦町に移ってからも、小林鉄次郎六段が理事として采配を振い、稽古には毎日五段以上一人、三段位の助手が

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      • 囲碁史記 第98回 明治中後期の囲碁界の支援者

         明治以降、幕府の庇護を失い苦境に立たされた棋士たちを支えてきたのは政財界の囲碁愛好家たちであった。  今回は、本因坊秀栄が四象会を立ち上げ隆盛を極めていった明治中後期の囲碁界の支援者を紹介する。 犬養毅 囲碁の愛好家として知られる第二十九代内閣総理大臣犬養毅は、囲碁界の有力な支援者として色々な場面で登場している。 【犬養家は桃太郎の犬の子孫?】  犬養毅は安政二年(一八五五)、 備中国庭瀬村字川入(岡山市北区川入)の大庄屋、犬飼源左衛門の次男として生まれる。後に犬養

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        • 囲碁史記 第97回 秀栄の昇段と安井家断絶

          秀栄・算英十番碁と秀栄の昇段 明治二十八年に、高田たみ子の支援のもと「四象会」を立ち上げた本因坊秀栄は、秀甫亡き後の碁会第一人者の立場を確かなものとしていく。「四象会」へは坊社の垣根を越えて方円社からも有力な棋士が参加している。  明治二十九年五月には頭山満の主催で石井千治(五段)と十番碁も打っている。石井の先で、結果は秀栄の八勝二敗に終っている。通常であれば十番碁の場合、少くとも第六局以前に先二に手合が直るはずだが、胸を貸すつもりであったのか第七局以降も先で打たれている。

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        囲碁史記 第100回 中川亀三郎の逝去と巌埼の社長就任

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        • 囲碁史記 No.4
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        • 囲碁史記 No.3
          25本
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        • 囲碁史記 No.2
          18本
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        • 囲碁史記 No.1
          25本
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        • 囲碁の起源から日本への伝来
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          囲碁史記 第96回 四象会と高田たみ子

           本因坊秀栄が立ち上げた研究会「囲碁奨励会」が頓挫した話しはすでに述べたとおりだが、その後秀栄は高段者による研究会「四象会」を立ち上げ、人生の中で絶頂期を迎えている。  秀栄の人生を変えたのは、高田商会の社長夫人たみ子との出会いである。  高田商会は高田慎蔵が興した新興財閥である。慎蔵はかなりの囲碁愛好家であったといわれるが、それに輪をかけて囲碁好きだったのが妻のたみ子である。 高田たみ子の支援高田慎蔵  高田商会は明治十四年(一八八一)に設立された貿易会社である。

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          囲碁史記 第96回 四象会と高田たみ子

          囲碁史記 第95回 大阪時代の井上家(後編)

           明治囲碁界から話が大正へとどんどん進んでしまうが、井上家について続けて語ってしまおうと思う。 十五世井上田淵因碩 明治三十九年(一九〇六)、十四世井上大塚因碩が没して二年が過ぎ、一門の話し合いで田淵米蔵が十五世因碩に決定。翌年春、大阪備一亭で披露会が行われる。  田淵米蔵は、明治四年(一八七一)に西宮市に生まれる。字は玉粒。  幼い時に大阪で医業を営む田淵家の養子となるが、九歳の時に養父を亡くし、中学に通いながら泊園書院に学ぶ。泊園書院は藤沢東畡が幕末期に設立した漢学塾

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          囲碁史記 第95回 大阪時代の井上家(後編)

          囲碁史記 第94回 大阪時代の井上家(前編)

          井上松本因碩の逝去 明治初期、家元井上家が孤立していたことはすでに紹介したとおりである。  松本因碩は安政六年(一八五九)に本因坊秀和が名人碁所就位を出願した際や、元治元年(一八六四)の村瀬秀甫の七段昇段、明治元年(一八六八)に林秀栄が四段昇段した際など、本因坊家のすることにことごとく意を唱えていた。当時の家元四家の関係は、林秀栄は秀和の次男であり、安井算英は幼い時より本因坊家で修行するなど、井上家以外は本因坊家に近い当主で占められており、明治五年刊行の「壬申改定の囲棋人名

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          囲碁史記 第94回 大阪時代の井上家(前編)

          囲碁史記 第93回 明治期の大阪の棋士と方円社大阪分社

           明治十二年に発会した方円社は、村瀬秀輔という棋界第一人者をトップに隆盛を極め、会員が各地に増えていく。  それにともない横浜分社が設立されるが、大阪ではどうであったのだろう。 江戸時代後期に活躍した中川順節 明治期の様子を語る前に、まず幕末期の状況を紹介しよう。  明治期に関西で活躍した棋士と直接関わっていないが、幕末期の囲碁界に大きな影響を与えたという意味で、中川順節を抜きに語ることは出来ない。  順節は江戸の御家人の生れで、幼い時から碁を好み、長じてからは井上幻庵因

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          囲碁史記 第93回 明治期の大阪の棋士と方円社大阪分社

          囲碁史記 第92回 中川亀三郎時代の方円社

           維新という風潮に乗り発展してきた「方円社」は、その大黒柱であった村瀬秀甫の急逝により大きな転換期を迎えていた。  今回は、秀甫の跡を継ぎ社長となった中川亀三郎の時代の方円社の変化について紹介していく。 方円社の移転 設立以来、方円社は表神保町に会館を置き、例会は神田花田町の相生亭で行われてきた。会館に塾生が住込み修行していたことは、以前紹介したとおりである。  ところが、中川亀三郎は社長に就任して間もなく表神保町から会館を移動している。  その理由について、当時塾生だっ

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          囲碁史記 第92回 中川亀三郎時代の方円社

          囲碁史記 第91回 明治期の女流棋士の活躍

          女流棋士の活躍 現在の囲碁界でも女流棋士が活躍しているが、明治期、今に続く女流棋士の礎を作った女性達を見ていこう。「坐隠談叢」では「女流碁客」として当時活躍した女流棋士を紹介している。  それだけ、明治期には囲碁界においても女性が活躍する機会が増えていったといえるが、明治期に急に増えた訳ではなく、江戸中期からその傾向は見られるようになったようだ。  紫式部も碁を打ったと言われているし、本因坊道策や秀策は母から碁を教わったと伝えられているから碁を打つ女性はたくさんいたと思われ

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          囲碁史記 第91回 明治期の女流棋士の活躍

          囲碁史記 第90回 方円社三小僧

           明治十二年に発会した「方円社」は、社長・村瀬秀甫、副社長・中川亀三郎を中心に、小林鉄次郎、水谷縫次、酒井安次郎、高橋杵三郎の方円社四天王を始め、多くの有力棋士に支えられ発展してきた。  しかし、明治十六年に酒井安次郎、翌年には水谷縫次が亡くなり、明治十九年には秀甫や、設立に向けて尽力した高橋周徳が亡くなるなど、当初の主力メンバーが徐々にいなくなっていった。  一方で石井千治、田村保寿、杉岡栄次郎の方円社三小僧を代表とする方円社で育った若手の棋士も出始め、囲碁界の世代交代が

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          囲碁史記 第90回 方円社三小僧

          囲碁史記 第89回 明治期の地方棋士の動向 中国地方編

           前回、幕末から明治にかけて信州・東北で活躍した棋士を紹介したが、今回は中国地方の棋士を紹介する。 岩田右一郎岩田右一郎の経歴  岩田右一郎は島根県安来市の出身で、幼いときに本因坊家塾頭を務めた岸本左一郎の指導を受け本因坊家の門下に入る。右一郎の名は尊敬する師匠の名にあやかり名乗るようになったという。  島根県は江戸時代、碁聖本因坊道策や、弟の井上道砂因碩を輩出している他、岸本左一郎や岩田右一郎、また明治以降に活躍した内垣末吉や野沢竹朝らも誕生している。  安政五年に左

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          囲碁史記 第89回 明治期の地方棋士の動向 中国地方編

          囲碁史記 第88回 明治期の地方棋士の動向 信州・東北編

           江戸時代に囲碁の家元制度が成立すると、地方から江戸に出て碁を学び、再び地方へ戻って活躍するということも見受けられるようになった。  明治に入っても、それは基本的に変わらなかったが、維新という社会情勢の変化で、中央の囲碁界で活躍しながら囲碁を辞めた人、一旦辞めながら再び戻ってきた人、中央を去り地方で活躍した人など、様々な人物が登場している。  そこで、明治期に中央から地方へ移り活躍した棋士を紹介することとするが、最初は信州、東北方面の棋士について触れていく。 中世古才蔵 

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          囲碁史記 第88回 明治期の地方棋士の動向 信州・東北…

          囲碁史記 第87回 囲棋奨励会

          囲棋奨励会の発会 本因坊秀甫亡き後、十九世を再襲した本因坊秀栄は、安井算英と共に「囲棋奨励会」を結成した。奨励会は家元の会という訳ではなく、もっと門戸を広く開き若者が切磋琢磨する研究会的組織をイメージしたもので、当初は方円社とも提携する予定で、会員名簿に中川亀三郎や巌埼健造も名を連ねていたが、実際には参加を見送っている。ただ発会の際見送られたが、後には方円社の関係者も参加するようになっていった。  囲棋奨励会は明治二十五年八月に日本橋倶楽部で発会し、同二十七年二月まで十九回

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          囲碁史記 第87回 囲棋奨励会

          囲碁史記 第86回 金玉均と秀栄(後編)

          流配解除後の動き 金玉均は、明治二十三年十一月 二十一日に流配が解除されると、精力的に活動を再開し、各地に足跡を残している。  関東に留まらず、関西にまで足を伸ばし、朝鮮情勢の情報収集や活動資金の獲得に奔走していたようだ。  ただ、囲碁界では金玉均が沖縄を訪れ、そこへ秀栄が訪ねていったという話が伝わっている。現地で碁会が開かれ、席上、仇池遷史という人物が山水を画き、それに金玉均が書を書き添えて秀栄に贈ったという掛け軸が、後に秀栄の跡を本因坊秀哉と争う雁金準一の家に伝わってい

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          囲碁史記 第86回 金玉均と秀栄(後編)

          囲碁史記 第85回 金玉均と秀栄(中編)

          久我山稲荷神社の「人心同」碑 明治十九年八月に小笠原諸島への流配となった金玉均は、厳しい生活に絶望しながら祖国の独立という志を失うことはなかった。  小笠原に居た頃の心境について、前回現地で詠んだ漢詩を紹介したが、もう一つ、東京都内にある石碑について紹介する。  杉並区久我山にある久我山稲荷神社は、創建時期は不明であるが古来より久我山村の鎮守として祀られ、毎年七月二十四日の夏祭りには湯立て神事「湯の花神楽」が奉納されることで知られている。  また、新撰組の近藤勇に関する伝

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          囲碁史記 第85回 金玉均と秀栄(中編)