囲碁史記 第100回 中川亀三郎の逝去と巌埼の社長就任
小林逝去後の方円社 明治二十六年に方円社を設立以来支えてきた小林鉄次郎が急逝すると、方円社はたちまち苦境に立たされ、小林が生前尽力して建てた錦町の会館も手放すこととなった。
当時の社長、中川亀三郎は、明治初期には若手囲碁棋士による研究会「六人会」を立ち上げ、その後、村瀬秀甫を招聘して「方円社」を設立するなど、囲碁界改革の中心的役割を果たしてきたが、もともと自分が前面に出て活動することは好まず、秀甫が亡くなり社長となってからは、方円社の経営もほとんど小林鉄次郎に任せきりであ