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教育で多様性を育み分断を繕うということ

NewsPicksのWEEKLY OCHIAIのテーマが「子どもの教育格差と自己責任論」で、番組自体は前半の教育格差についての日本の現状の話から、後半の教育格差は教育のデジタル化やデータ分析で解決するのかという話まで、予定時間を大幅にオーバーして後半の話が着地しなかったけれど、前半の話について少し考えてみたくなった。写真は関係ないけど、今朝ぼくが寝てる足の上に乗っかってきたうちの猫。

この割れ切った世界の片隅で

このnoteを書いた山邊鈴さんがゲストのひとり。
参加できるのが30分ということで、番組の前半で、日本の教育における「ふつう」が届かない人が多くいる現状を訴えていた。

ぼくが東京に住んでいて感じる寂しさの一つがこの分断というか、誰かの言葉で語ろうとして、自分の言葉じゃないなと感じることだったり、誰かを思いやることだったり、自分だけ良ければいいように行動することだったり。かつて、パリに行ったときにメトロの入り口のドアを次の人が通るまで押さえて待っていたりするのがこの街では普通で、バックを前に抱えてスタスタと歩かないとスリに会うのも日常だったり。

教育の問題というよりは、もっと幅広い経済とか文化とか育ってきた環境の問題も絡み合っていて、教育だけでその格差を解決するというのは難しいんじゃないかと思うけれど、社会に出るまでの中で最も長い時間を過ごすコミュニティである学校に多様性があることが当たり前になるように、学びの機会と共に過ごす仲間が社会に選ばれることないようには日本もしなきゃいけないんだと思った。

ぼくが育ってきた環境と教育のこと

少しぼくが育ってきた環境とか受けた教育のことも書いてみようと思う。

小学校3年生までは親父が大阪で自動車整備の会社を経営していて、英語とそろばんと習字と学校の前で怪しいおじさんに勧誘された巨大な鉛筆型の消しゴムが加入特典の通信教育とか、ぼくが興味を持った習いごとは一通りやらせてもらっていた。それが会社をたたむことになって、急な引っ越しで同級生たちとの関係も途絶えてしまって、転校先の学校ではうまく馴染めずに執拗なイジメを受けたのを覚えている。

小学校4年生からは親父も仕事が見つかって、石川県に引っ越すことになって、環境が変わることで少しは良くなることを期待したけれど、やっぱり最初は馴染めなかった。ある日、学校から帰ってくるのを見ていた親父に「下を向きながら歩くな」と言われたのだけれど、言われるまで下を見ていることに気づいていなかった。たぶん学校に馴染めないことでションボリ歩いていたんだと思う。そう言われてからは、下を向いていることに気づくと気持ちを鼓舞するように前を向くようになった。

何がきっかけだったかは覚えていないけれど、金沢大学教育学部附属中学の受験のために5年生から塾に通うようになった。かつていろんな習いごとをしていたように、塾にも興味をもあったからか、誰かがいる場が好きだからなのか、多分どっちもなんだと思う。結局、合格はできなくて、公立の中学校に進学したけれど、中学では成績はそれなりに良かったので、高校も公立の進学校に進むことができた。中学からは陸上部に所属して県大会に出るくらいには活躍できたので、その頃には少しは自分に自信を持てるようになってきたんだと思う。

当時の公立の中学校は漫画の世界のように荒れていて、リアルに隣の中学の奴らが攻めてきたりとか、事件は絶えなくて、番長的なやつもいたけれど、先生たちも厳しく指導はしつつも、見捨てたりはしなかった。ぼくらも過度に恐れることはなく、みんな仲良くやっていたと思う。

高校でも進学校とはいえ、部活動も盛んで、ぼくも引き続き陸上部に所属して県大会で入賞するまでになった。同級生もわりと個性的な奴らが多くて、ぼくらが3年生のときの生徒会は軽音楽部のメンバーで占拠して、校則改正とかしまくっていた。学校の前の売店に内履きのスリッパのまま行ってもいいとか、合理的というか、生徒からすると地味に嬉しいものが多かった気がする。

分断を再び繕う取り組みを

鈴さんが書いてるほどの分断を感じずにいられたのは、地方の公立校だけで過ごして、個性豊かなクラスメートに恵まれたのかもしれないけれど、石川県に引っ越していなかったら、親父が仕事がうまくいってなかったら、学校が嫌になって学びどころじゃなかったのかもしれない。

自らも選べず、親に環境を与えてもらえない、変えてもらえない子供たちに社会は学校は何ができるのか。落合さんも言っていた対話が解決することは、まだきっとあって、社会や学校のコミュニティで多様性が生まれるような仕組みづくりと、お互いを知ること思いやること。社会や学校での機会損失が生んだ分断を再び繕う取り組みは、デジタル化により平等な学習の機会を与えることも大事だけれど、対話して相手を理解することが当たり前になるきっかけを社会でも学校でも増やすことなんじゃないかと思っている。

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