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あなたはどんな会話を好む人ですか?

みなさん、日常で家族や職場の人などと、いろんな話題について会話しているでしょう。

その話題というものは、無限にある話題の中から、あなた自身が自分の意思をもって選び出しているもの。

ただし。「意思を持って話題を選び出している」とは言っても、現実に話題の選び方というものは、その人の育った文化によって大きく影響を受けるもの。

では具体的に、文化からどんな影響を受けているのか?

今回はそんな話題を。

ロシア人の違和感

僕がドイツで働いていた当時、日ごろから仕事でとてもお世話になっているロシア人の若い女性がいた。彼女は少し前にロシアからイギリスへ働きにきて、ロンドンで法律関係の仕事に従事していた。

ある日、僕は会議に参加するためにロンドンへ出張して、そこで彼女と直接会う機会があった。あれはもう6~7年くらい前だっただろうか。

みんなでお昼ごはんを食べる時に、たまたま彼女と同じテーブルになったから、雑談がてらに彼女へ異国のイギリス生活には慣れてきたか聞いてみた。

僕が想定していたのは、肯定的な返事。ロシアとイギリスの生活を比べたときに、まあ概ね良くなったと感じるんじゃないかな、とか深く考えずに思ったから。

でも、返ってきた返事は予想とは違った。冴えない表情を浮かべて「ロシアが懐かしくて、つらくなってきたんです」とのこと。

彼女は何に対してつらいと感じているのか。主に3つの要因があるらしい。

まず1つ目は「友達と離れて暮らしていること」。やはり生活の中に友達がいると感じられるか否かは、大きな違いがある。

そして2つ目は「食事」。これも日常の満足度に大きな影響を与えるだろう。

これら2つの要素は、たしかに異国で生活するときにつらくなる代表格。

で、3つ目につらいこととして挙げていたことが興味深かった。

ロシア人
「あと一つのつらいことは、会話の話題の選び方なんです。ロシアで人と話をすると、会話の趣旨や話題はだいたい「困っている問題」とか「嫌なこと」とかいった「文句」が中心になるんですよ。みんなそんな内容を好んで喋るから」

まあ、ロシア人のみんながみんな、というわけではないだろうけど、そういう傾向があるらしい。

ロシア人
「でも、イギリスで同僚と会話するでしょ。そしたら会話の中心になるのは、慣れ親しんだロシアのそれとは全然違うんです。イギリスではみんな、楽しかったことだったり、面白かったことといった、『良い話』が話題の中心なんですよね。それに違和感があって・・・」

とのこと。

それに対して僕は「ということは、もっと困った問題を抱えた方が、幸せになるってことかな?」とか言って、茶化してしまった。

けれど、後からよくよく考えてみると、結構切実な問題だと思った。

会話の「趣旨」について、洋の東西

文化やコミュニティーによって、会話の「趣旨」や「テーマ」の選び方は千差万別。

まず、会話の「趣旨」については、楽しい、嫌だ、失敗した、自分はこう思う、など文化によって好まれる趣旨や避けられる傾向は明らかに存在している。

ロシア人女性の彼女がイギリス生活で感じたことは、僕もドイツでよく感じていたこと。ドイツで同僚たちと会話すると、週末やバケーションでの楽しかった話や素晴らしい体験を好んで話題に引っ張り出す人が多いと感じる。だからバケーション時期のお昼ご飯での話題は、それはそれは夢のようなお話で溢れることになる。

この背景として、ドイツなど西欧では「良いものは良い、悪いものは悪い」というハッキリした区分けがあって、みんなの前で悪い話題を持ち出すのはあまり褒められた行為ではない、という風土が影響していると僕はみている。また、よく書いているようにドイツはマッチョな文化。人に対して弱いところを見せる行為はあまり馴染まない、という面もあるのでは。

けど、ただし。実際にドイツ社会で生活していると、そんなに美しい話ばかりを聞くわけではない。仲良くなって信頼関係が生まれてくると、愚痴だったり、文句だったりと、2人だけの時にはネガティブな話題をぶちまける人も結構多いというのが僕の経験。まあ、洋の東西を問わず、人間ってそういう面を共通的に持っているんだな、と思う。

逆に言えば、ドイツでは文化的に、ネガティブな趣旨が抑圧されている社会なんだろう、という陰影が浮かび上がってくる。

さて、翻って日本では。もちろんドイツと同じように素晴らしい経験が話題に挙がることもある。が、ドイツと比べると頻度は少ないような気が。

では日本で選ばれる話題には、どんな傾向があるのだろうか。もちろん人やコミュニティーによって様々なのは当然だけど、僕が日本独特だなと感じるのが「自虐的な趣旨が好まれる」傾向があること。

例えば、こんな恥をかいてしまったとか、飲み過ぎて失敗したとか、太ってるから、とか。そういった自虐的な話題を挙げて、うまく笑い話に繋げる人が多いのが、日本の独特な傾向だと感じる。

で、これには日本特有の文化が背景にあると思っている。日本人は悪い話であっても、笑い話や別の見方に昇華させる能力を多くの人が持っているから成り立つ話な気がする。そしてそれが可能になるベースには、日本人が「相手の立場に立って考える」ことを日常的に実行しているからでは、と思う。

では、ドイツで(笑い話のつもりで)日本風に自虐的な話をすると、何が起こるのか。みなからオーとかノーとか同情されて、悲しそうな憐憫に満ちた表情をされて終わってしまい、決して笑い話として受け取られない事態が起こりがち。なぜなら前述のように、西欧の価値観では「良いことは良い、悪いことは悪い」と分かりやすい素直な反応をすることが美徳とされているから。

だから逆に、西欧の人が嫌だったことについて話をした時に、それに対して僕が日本人的に「でもこう考えてみたら、逆に良い経験だったと思うんじゃない?」とか言ってみると、そんな発想は無かった、目からうろこが落ちた的な反応が返ってくることも多い。

会話の「テーマ」について、洋の東西

次に「テーマ」について。欧州ではとても頻繁に、政治的な話題や宗教的な話題、社会的な話題が会話に挙がってくる。逆に、これらのテーマについてしっかりと語り合えなければ、人との関係が深まらないと僕は思っている。

でもこういったテーマは、日本ではあまり歓迎されない傾向があるとされている。

また、僕が個人的に大きな違いを感じるのが、テレビについての話題。

これは僕だけかも知れないけれど、ドイツで生活していてテレビの話題が挙がるのは、だいたいニュースかドキュメンタリーの話題だった。特にドキュメンタリーは見ている人が多くて、(僕がそれ系の話題が好きだからからも知れないけれど)しょっちゅう話題に出てきた。しかし、いわゆるバラエティー番組に類する話題はほぼ聞いたことがなかった。

他方で日本では、バラエティー番組やテレビに出演する芸能人など、テレビに関する話題が頻繁に出てくる。なんだけど、あいにく僕は社会人になってから地上波テレビは殆ど見ていないので、日本ではいつもその手の話題に反応できずに申し訳ない思いをしている。

まとめ

ということで、冒頭のロシア人女性に話を戻すと。

会話の趣旨やテーマというものは、文化と密接に関係していると思うので、日常生活でそれに違和感を感じるなら、結構切実な問題だと思った。友人との付き合いでも、会話の合う合わないという要素は結構重要なのでは。

ということで、あなたは、家族や友だちや職場ではどんな趣旨や話題を持ち出すことが多いでしょうか?

by 世界の人に聞いてみた

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