希望に満ちたコソボ ~バルカン半島で聞いてみた③
コソボの人
「コソボはセルビアに100年間占領されてきたんだ。けれどもアメリカを中心としたNATOが、その占領から僕たちを救ってくれて、セルビアから独立することができた。僕たちにとっては、もし太陽を神に例えるならば、大地はアメリカだと言いたいくらい頼りになる存在。笑うかもしれないが、それくらいアメリカには感謝しているよ」
と、コソボで出会った人は朗らかに話してくれた。
なぜコソボの人は、それほどまでにアメリカに感謝しているのか。どういう歴史があるのか。
そんな話をたくさん聞いた、コソボでの一人旅。
バルカン半島で聞いてみたシリーズの第3回目の今回は、コソボで聞いた話を。時期は2019年の春。
前回投稿した隣国アルバニアから、バスで陸路移動してコソボへ入国。
コソボってどんな国?
最初に、簡単にコソボという国の説明を。およその位置 ↓
コソボのアップ。今回頻出するセルビアも青枠で囲っておく ↓
ある程度の年齢以上の人たちは「コソボ紛争」という言葉を耳にしたことがあるのでは。バルカン半島は多くの民族が入り混じっていて、とにかく超複雑な地域。僕も若い頃に聞いたけど、どこで何が起こっているのか全然理解していなかった。
ユーゴスラビアの一部だった
この地域には、冷戦時代にはユーゴスラビアという比較的大きな国があって、バルカン半島の主要国だった。チトーという有名な終身大統領が治めていた、社会主義国家。
コソボは、そんなユーゴスラビアの中の一部の地域だった。
チトーは、多民族を抱える内政をとても上手にバランス良く運営して、多民族国家を束ねていた。そういう意味で非常にユニークで個性ある国。
ユーゴスラビアを表す有名な表現がある。
7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家
これほどに多様な人々を1つの国家に収めていたユーゴスラビア。セルビア人が政治の実権を握りながらも、他の民族たちにも配慮した政策運営によって、薄氷の上でなんとかギリギリのバランスを保ち、一つの国家としてまとまっていた。
それでも、各民族の不満は地下のマグマのように溜まったままで、チトーの治世は続いた。
* コソボの市場 ↓
セルビアに支配され続けたコソボ
コソボの人①(50才くらいの男性)
「とにかくコソボの人たちにとって、この100年間はひどかった。1913年からずっとセルビアに占領されてきたんだ。セルビア人たちの支配下で、コソボの人たちは権利もろくに認められず、母語であるアルバニア語の教育も殆ど受けることができなかった」
ここが非常にややこしいところなんだけど・・・。コソボの人というのは、民族的にはお隣の国のアルバニアと同じくアルバニア語をしゃべるアルバニア人たちのこと。アルバニア人たちは、(国としての)アルバニアに住んでいる人たちもいれば、セルビアのコソボ地域に住んでいる人たちもいる。
コソボ問題とは、セルビア人(スラブ民族)が支配するコソボ地域に住んでいるアルバニア人たちが、セルビア人支配から独立したい、という話。
もう一度、地図を ↓
コソボの人①(50才くらいの男性)
「チトーの治世の下で、1974年にはコソボが自治権を得て、それから良い時代を取り戻した。念願のアルバニア語での教育も受けることができるようになったんだ」
しかし、1980年にチトーが死去。それによってユーゴスラビアの求心力が失われていった。
コソボの人①(50才くらいの男性)
「我々が自治権を与えられた時代は、わずか10年ちょっとだけ。チトーの死後、1986年にミロシェビッチが大統領になって、我々の世界は一変してしまった。それ以降、学校教育は再びセルビア語が強制され、コソボのアルバニア人たちからあらゆる権利がはく奪された。ミロシェビッチは欧州の二大独裁者だ。ヒトラーとミロシェビッチ。そんな状況に対してコソボの人々に独立意識が芽生えて、1992年くらいから独立の動きが高まった」
それと並行して、1989年にはドイツでベルリンの壁が崩壊。社会主義国や共産主義国がドミノのように崩壊していった。
コソボ紛争
ユーゴスラビア国内でも、各民族の民族主義者たちが独立を求めて各地で蜂起。1990年代には、ボスニア紛争など血みどろの戦争が起こった。
このコソボ地域も、その例外ではなかった。コソボ地域に住むアルバニア人たちは、セルビア人が実権を持つユーゴスラビアから独立しようと、独立運動が激しくなり、多くの難民を生んだひどい内戦が勃発。コソボ紛争は1998年から1999年までの1年間続いた。
コソボの人②(30才くらい)
「コソボ紛争の時は、あらゆる悪いものを目の当たりにしてしまった。死体、セルビア兵に乱暴される女性、赤ん坊や小さな子供が殺されるところ。そう、あらゆる悪いものだ」
そんな中、セルビア人と仲が悪いアメリカや西欧諸国が、コソボの独立を軍事支援した。
NATOによるセルビア空爆
この時期にセルビアからの独立運動を展開したコソボの独立派を、アメリカやイギリスを中心とするNATO軍が応援して、セルビアを空爆した。
*写真は、僕がセルビアを旅行した時に撮ったセルビアの首都ベオグラードの中心地。セルビアではおそらく意図的に、今でも空爆された建物を残している。「見ろ、これがアメリカなどNATOがやったことだ」と。
そういったNATOからの軍事的な支援もあって、コソボ紛争を経て1999年以降コソボは実質的に独立状態になり、2008年には正式に独立宣言を行った。
ちなみに、なぜアメリカやイギリスを中心とするNATO軍がコソボを応援して、セルビアを空爆したのか?もう21世紀も目前の時代に、首都を空爆する、などということを。
単純化して言えば、アメリカ大統領の選挙戦や支持率集めのために、「正義を行使するアメリカ」をアピールしたかったから、とされている。
もともとはその数年前に、ユーゴスラビアから独立しつつあったボスニア・ヘルツェゴビナが、アメリカの広告代理店を雇って、国際社会へ向けて「ユーゴスラビアを実質的に支配しているセルビア人が諸悪の根源」というPR活動を実施した。
そのイメージ作戦が良くも悪くも大成功して、国際社会はセルビア人が諸悪の根源と定義した。アメリカとNATOはその構図に基づいてボスニア紛争に武力介入してセルビア人陣営を武力で叩き、地域の安定化を実現した。
更にそれから数年経ち、再びコソボ紛争でも同じ構図に。アメリカ大統領のクリントンが主導してセルビアを空爆して、「力強いアメリカ」「正義を行使するアメリカ」を見せつけて、アメリカ国民や国際社会から喝采を浴びた。
*セルビアの国会議事堂には「コソボはクリントンとNATOに誘拐されている」という横断幕が張られていた ↓
なお、セルビア人は、同じスラブ系民族のロシア人との結びつきが深い。アメリカやイギリスにとって、ロシアは冷戦時代からの”敵国”。敵であるロシアの友好国であるセルビアに対して武力行使することに、躊躇がなかったという面も大きかったと思う。(そのあたりの経緯は「ドキュメント 戦争広告代理店」という本に詳しく書かれている。興味ある人にはオススメ)
*公正を期すためにコメントしておくと、僕はセルビアも旅行して現地の人たちと話をしたけれど、セルビア人も普通のちゃんとした人たちだった。またいずれ詳しく書きます。
ただ、ここでのポイントは、セルビア人が本当に「良い人たちか、悪い人たちか」はあまり関係ない。国際社会が「セルビア人が諸悪の根源」という構図に合意して、そう定義してしまえば、セルビアが悪いことになる。
なお、今年のロシアによるウクライナ侵攻にあたって、プーチン大統領が出した声明文では、スピーチの冒頭にこの時のNATOによるセルビア空爆について怒りをぶちまけている。実は、ロシアがウクライナへ侵攻した理由の3割くらいは、このときのセルビア空爆に対するロシアの意趣返しだと僕は思っている。
政治家のスタンドプレーのために、最後にツケを払うのはやっぱり民衆やね。しかも、弱い立場の他国の国民が。
コソボ独立
ということで話を戻すと、2008年にコソボは正式に独立宣言を行って、なんとか100年ぶりに独立状態に戻ることができた。
なお、コソボの独立を承認している国は、現在でも日本も含む世界の半分くらい。残りの半分くらいの国々は、様々な理由によって独立を承認していない。だから地図上ではセルビアとの国境は点線になっている。
* 町の中心には「NEWBORN」(新生)というモニュメントが ↓
このような歴史的経緯があるから、コソボの人たちは、自分たちを占領してきた”悪魔のセルビア人”から解放してくれたアメリカやイギリスに対して、救世主として絶大な信頼を寄せている。そこで、冒頭のコソボの人の言葉につながる。もう一度、冒頭の言葉を再掲。
コソボの人①(50才くらいの男性)
「コソボはセルビアに100年間占領されてきたんだ。けれどもアメリカを中心としたNATOが、その占領から僕たちを救ってくれて、セルビアから独立することができた。僕たちにとっては、もし太陽を神に例えるならば、大地はアメリカだと言いたいくらい頼りになる存在。笑うかもしれないが、それくらいアメリカには感謝しているよ」
コソボは未だに、経済的にはとても貧しくて、汚職もひどい。それでも、みんなこれから時間をかけて国が良くなっていくと信じているから、苦しいながらも未来への希望に満ちていた。
コソボの人③(40才くらいの男性)
「支配された100年のうち、まともな時代は最近の20年だけ。そんな短い期間では、国は大きく変わらないよ。気長にいこう。僕たちの時代は、これからなんだ」
コソボの人たちの人生の優先順位は?
そんなコソボの人に聞いた「コソボの人たちの人生の優先順位は?」という質問への答え。
コソボの人①(50才くらいの男性)
「まずは家族だね。次に仕事だったり、友達だったり。コソボの人たちは、人に対して優しいよー」
コソボの人④(30才くらいの男性)
「みんな家族と時間を過ごすのが好き。そして友達付き合いも大切にする。街も小さいから、みんな知り合いみたいなもんだ。そしてみんな、とてもホスピタリティーがある。今でも田舎へ行ったら、見知らぬ人の家のドアをノックしたら家に招き入れてくれて、食事を振舞ってくれて、泊めてくれる。しかもこういったことをタダでやってくれるよ」
コソボの人⑤(30才くらいの男性)
「家族との時間を一番大切にしているんだけど、仕事で忙しい人が多いんだよね。。。例えば僕の父は2つの仕事を掛け持ちしていて、毎日16時間働いている。昼はホテルの仕事で、夜はドライバー。仕事は一つが8時間労働だから、合わせて16時間。こんなに一生懸命働かなければいけないのは、経済の力が弱いからだね」
ということで、ヨーロッパ圏だから当然といえば当然だけど、基本的には家族が一番、友達二番。ただし経済状況によっては、それらの優先事項に仕事が割り込んでくる人もいる、という順位だった。
あと最後に。コソボは人々がとにかく素朴で暖かくて、これまで旅行した中でも有数の居心地の良い国だった。治安もとても良い。
コソボの人④(30才くらいの男性)
「コソボの人はとてもホスピタリティーがある。これはコソボ人の生まれ持っている性質からきているんだ。イスラム教の教えの影響で優しいんじゃないかって?まあそれもなくはないかも知れんけど、でもコソボの人たちは、根本的な性質として優しさを持っているよ」
*コソボの人は大半がイスラム教徒。モスクが美しい ↓
by 世界の人に聞いてみた
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