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あなたは一言でどんな人と言われたい?

今でも、あの時に感じた衝撃は覚えている。

20年以上も前、まだ社会人になりたての当時。人事異動があって、上司の上司の上司の・・・というえらい立場の人が新しくやってくることになった。

新たにその立場に立つ人は、数年間のアメリカ駐在生活から日本の職場へ戻ってくる人だった。だから、新人の僕にとっては未知の存在。

そこで、職場の人に聞いてみた。


「今度アメリカから帰ってくる〇〇さんって、どんな人か知ってます?」

その答えは。

職場の先輩
「知ってるよ。どんな人かといえば、猜疑心の強い人だね」

その答えは衝撃的だった。

その人は社会人生活を何十年も過ごして、定年もそう遠くない年齢。アメリカからいわゆる「エラい立場」として帰ってくる。

その人が、というか、その人自身の人生そのものを表す言葉として、「猜疑心が強い人」という一言で表現されてしまう。そんな一言で総括をされてしまう人生って。

そもそも、人を一言で表現すること自体に対して怒る人もいるだろう。「人間というものは非常に複雑だし、全ての面を知っているわけでもないのに、それを一言で表現するなどケシカラン!」と。

それはそれで真実を含む。けれど、多くの言葉を費やして「彼はこういう面があって、しかしこういう面もあって、それにも関わらずこういう面もあって・・」と説明することが、常に現実的にできるとは限らない。現実には往々にして、ある程度は抽象化したり、一言で終わらせなければならない状況もある。

そのため、僕はこれまで「アノ人を一言で表現するならば」というコメントをたくさん聞いてきた。

どんな一言での総括があったかを思い出してみると、例えば・・

「酒が飲めないのに酔っ払いみたいな人」
「とにかく話がムダに長い人」
「間違って日本に生まれたイタリア人」
「経済ヤクザ」
「高級官僚」
「2割引のフレディー・マーキュリー」
・・・

このように、人というものは一言で表現される場面があるもの。みなさんも思い当たる記憶があるのではないでしょうか。

という経験を経て、その時からちょくちょくと気になるようになった。

自分は一言で表現されるなら、どんな人と言われるのだろうか

そして、そもそも、

僕自身は一言でどんな人と言われるような人生を送りたいのだろうか

noteの僕は

いま、僕はnoteで記事を投稿している。それによって普段読んでくださっている人は、僕に対して何からのイメージをお持ちだろう。それは、僕の「」ともいえるし、僕の「ブランド」ともいえる。いいブランドか、悪いブランドかはさておいて。

あるnoterさんは、僕のことを「生徒会長」と表現してくださった。noteの世界でそう見える面があるのは、間違いないだろう。そして僕も、その表現が決して的外れだとは思っていない。むしろ、うまく表現されたな、とニヤリとした。

現実の自分は

では、現実の僕がなんと言われることが多いのか。

まず、noteの記事から浮かび上がる僕自身は、現実の僕自身とそんなに違うとは思っていない。何かの仮面を被りながらnoteの記事を書いているわけではない。

敢えて言えば、noteでピックアップする話題は自分が語りたいことを選んで語っている。だからそれから外れた話題になると、これまでとちょっと違った面が出てくることはあるだろう。でも、全然違った顔がそれほど潜んでいるわけでもないと思っている。

さて、現実の僕がこれまで言われた表現を一言に集約すると。

「人当たりは柔らかいけれど、実は頑固だよね」

という表現が一番多かったように思う。

他にも似たような表現で「いい意味なんだけど、頑固だよね」「素直にみえて、頑固だよね」など。

はい、そう表現される人らしいです。よく言われたのは、20代から30代くらいの時期だったかなー。ただ、みんなからいつも言われるというほどではなく、ふとした時にこのように表現される、というレベルです。

そういえば、その当時に飲み会の帰り道で、よく当たると有名な道端の占い師に遊び半分でみてもらったことがある。簡単な会話をいくつか交わして、生年月日を伝えた後で、何を言われたかというと・・

占い師
「お前は、頑固じゃ!とんでもない頑固モンじゃ!!」

なんで初対面なのに、喝破された(?)のだろうか。いまだに不思議。

あと、他にも言われることとしては、「人をよく見てるね」「いつも人間観察してるよね」とか。

ドイツで働いていたときも、

「アジアからヨーロッパに来て働いていたら、普通はヨーロッパに馴染むだけで手いっぱいと思いきや、お前はドイツ人たち同士の人間模様までよく見てるよな」

ということらしいです。

40代になってから言われた言葉は・・、そうそう、こないだドイツ時代の知り合いの日本人から言われた言葉があった。

「アナタのイメージって、学級委員長なのよね〜」

ちなみに僕は、教職免許を持っている。ということで、僕は生徒会長とか学級委員長とか、どうも学校関係が似合う人のようです。

自分自身はどう表現されたいか

さて、いま改めて考えてみると、自分は「一言でいうと、どういう人」と言われるような人生を歩みたいか。

・・・まあ、「頑固」でもいいんですけどね。

いろいろと考えて、やっぱり自分の記事で書いたことに立ち返りたい。

「あー、いい人生だった、と思うには」という記事で、ずっと前から自分が理想と考えている人生について書いた。

僕は自分の人生において「共感」「繋がり」「成長」「貢献」をたくさん感じられることを望んでいて、それらの結果が「信頼」という言葉に集約されている。

つまり僕は、一言で表現されるなら「信頼できる人」と言われたい、ということだと思う。

「信頼」という言葉は、相手の人が僕に対して様々な良い意味合いを感じて、その結果として生まれてくるもの。つまり、非常に総合的な意味合いを持つ。

また、一方通行に僕を表現しただけの言葉ではなく、僕に対して、その人がどう感じたかという双方向な関係性も含まれているところが、特に気に入った。

さらに言えば、信頼を抱くまでには、長い時間関わりの深さの両方が必要。すぐに簡単に醸成できるものではない。

ということでまとめてみると、「信頼」とは、非常に総合的で双方向、かつ時間や関係性の深さが背後に存在しているもの。

周りの人から「信頼できる人」と一言で表される人生って、そう悪くないのでは。

さて、では最後に問いかけを。

「あなたは、一言で表すならどんな人と言われたいでしょうか?」

by 世界の人に聞いてみた

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