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女性たちがネクタイを切りにやってくる日

なにやら物騒なタイトルの記事。

いったい何の比喩なんだろう?と思うでしょうか。

実は、文字どおり女性たちが男性のネクタイを切りにやってくる。そんな日が、僕が以前に住んでいたドイツにはある。

それはカーニバルの初日

カーニバルの初日がその日にあたって、今年の場合は今週の木曜日。

カーニバルとは何なのか、については、1年前に「ドイツのカーニバル文化」で投稿した。日本語でいえば「謝肉祭」で、キリスト教の行事。

毎年だいたい4月頃にイースター(キリストの復活をお祝いするお祭りの期間)があって、その手前の1ヶ月半は断食期間と定められている。

なお、断食と言ってもまったく何も食べないわけではなく、ぜいたく品(肉・お酒・甘いもの等)を断つ期間とされている。

で、その長い断食期間に入る前の期間(2月上旬から3月上旬までのどこか)は、よし、好き勝手に食べられなくなる前に、いっちょパーッと騒いでやるか!という気分で約1週間にわたってお祭りが行われる。なんて表現したら怒られるかな・・。とにかく、この1週間がカーニバル期間のハイライト。

そのお祭り期間の初日は「女性のカーニバル」とも呼ばれていて、女性が力を持つ日とされている。お昼前の11時11分になると、職場では女性がハサミを持って巡回して、男性をつかまえては、男性の権威の象徴であるネクタイを切って歩く

そして女性は切ったネクタイの先っちょを、「戦利品」として職場に掲示する。

僕のネクタイも切られて、職場に吊るされた。もちろん、この日は切られてもよい不要なネクタイを締めていく。

そうやって、女性が主導権を握る日、とされている。

・・・さて、この風習を聞いて、あなたは素直に腹落ちして理解できたでしょうか。

僕は初めて聞いた時に、まあ、なんとなく分かったような気になっていた。けれども・・、心のどこかで腑に落ちることがない、そこはかとない消化不良な感覚が残った。

その消化不良の理由は、更に長いことドイツに住む中で徐々に理解できていった。

それは「ネクタイ」が象徴的に意味するところが、僕とドイツ人でちょっと違っていたからだった。

ネクタイって何の象徴?

日本人にとってネクタイといえば何を思い浮かべるでしょうか。

僕にとってネクタイといえば「礼儀」という言葉が最初に思い浮かぶ。

僕は普段はネクタイをつけずに仕事をしているんだけど、礼儀を示さなければいけない相手と会う場合には、ネクタイを締めて会う。

判断基準は、その会う人に対して「ネクタイをつけないと、礼を失することになるかどうか」。

ドイツ人にとってネクタイが意味するところ

では、ドイツ人にとってネクタイとは何を意味するのだろうか?

まずは「男性」を象徴している。一般的にネクタイは男性が締めるものだから。これは日本でも同じような感覚だろう。

男性の象徴であれば、ネクタイを「切る」という刺激的な行為をするのはなぜか?「奪う」程度ではだめなのか。

そして、そうやって切ったネクタイをみんなが見える場所に「掲示する」のはなぜか

そこの繋がりに、僕はどこか腹落ちしない消化不良を感じた。

実は、その背後に日本人とは違うドイツの世界観があって、ドイツではネクタイが「権威」という文脈を帯びているからだと思う。

その「権威」を説明するために、最近の僕とドイツ人との会話を参照したい。

ドイツ人の元同僚との会話

実はつい先月に、ドイツから昔の同僚が日本に出張してきて、彼と一緒に居酒屋へ飲みに行った。サシ飲み。

その席で、彼は最近の採用事情について熱く語ってくれた。彼の仕事は人事ではない。だけどドイツでは、自分の部下や関係の深くなる同僚を採用する際には、関係する人たちが直接に採用面談へ参加して面談して、会社やチームにフィットするか確認することがよくある。

そういう慣習だから、高い地位にいる彼は、年がら年中いろんな採用面談に参加している。

ドイツ人の元同僚
最近の採用は本当に売り手市場なんだよ。応募者と面談するだろ。昔だったら殆ど一方的に会社から質問して、応募者に答えてもらう。そうやって会社側が応募者を値踏みするものだった。

でも最近はね、質問の時間が半々なんだ。会社から質問するだけじゃなく、応募者からも会社についていろいろ質問してきて、かなりの時間をかけて説明することが期待されている。例えば、『御社の雰囲気や従業員文化について説明いただけますか』『御社は社会貢献とかにも力を入れているんでしょうかね?』とか。

こうやって、明らかに応募者の方からも会社を値踏みしてくる。それに対して会社はキッチリと納得できる説明ができないと、応募者から選んでもらえないんだ。ドイツは産業が活況で人材の取り合いになっていて、採用も楽じゃないよ。

昔は違ったんだけどな~。会社側はきっちりネクタイを締めて面談に参加して、権威と立場を誇示したもんだった。ほら、分かるだろ。ネクタイを締めることで、どうだ、自分はそういう立場なんだぞ、ってことを示せるもんだよな。

でもいまじゃそういう権威とかって流行らないんだよ。それよりもフラットな組織とかフランクなコミュニケーションとか、そういうのが求められている。だから最近では僕も、ネクタイを外して採用面接に参加しているんだ」


如何でしょう。ドイツではネクタイという存在は「相手に対する礼儀を示すもの」ではなくて「自分の権威を示す」という文脈を帯びていることが感じられると思う。

ちなみに、ネクタイが「権威」の文脈をもつ理由は何故だろうか。それについては、歴史的な背景が影響しているのではないかと思う。

歴史的な背景

基本的にドイツはヨーロッパの中で比較すると権威主義的な国とされていて、立場や学歴(特に博士)といったものに対して重きを置いている

歴史的に言えば、ネクタイはそういった立場の高い人や良い学歴をもつ知的生産層である「ホワイトカラー」の人たち、つまり「エリート」が締めているものとされてきた。

たぶんその背後は、ノブレス・オブリージュの思想があると思う。つまり、社会的地位が高い人は、より多くの義務を負うという考え方。有能な人は重要な立場に立つべきで、そういった人たちは「一般の人よりも社会に多くの貢献をするべきもの」、「社会に多くの価値をもたらすべきもの」という考え方が根底に流れている。そのため、しかるべき立場にいる人は、有能なリーダーとしてしっかりと人々を導くことがよしとされている。

ちなみに日本だと、立場が高い人がいかにもエリートのように振る舞うことに対して拒否感があって、どちらかと言えば恥ずべき行為とされていると思う。たとえば水戸黄門のように、質素にひっそりと民衆の中に紛れるような心根が尊いとされる傾向があるように感じる。

話を戻すと、元々ドイツでネクタイとは、ホワイトカラーの象徴であり、有能さを示す象徴であった。ネクタイはそういった「ドイツの価値観の中で権威を示す象徴」として位置付けられている。

「権威」という文脈を帯びているから、その権威を単に女性たちが「奪う」という程度では生ぬるい。

「切る」=「打倒する」「革命を起こす」という過激ともいえる行為でなければ、女性が主導権を握る日、という趣旨が表現できない。

で、ここまで理解すると、あとは自然に次の段階に繋がっていく。

「ネクタイを掲示する」のは、そうやって革命を起こした次の段階として、「革命を誇示してみんなに知らしめる」という意味を帯びた行為なのではないだろうか。

ネクタイに投影された日本とドイツの価値観

この記事を書いていて、興味深いことに気が付いた。

ネクタイは、日本では(少なくとも僕にとっては)「礼儀」の象徴。

ドイツでは「権威」の象徴。

どちらも、それぞれの文化で特に大事にしているとされている価値観と言えるのではないか。

アジア文化の特徴と言えば「礼儀」がよく挙げられる。その中でも特に日本は礼儀を重んじる国としてみられている。

他方でドイツ。僕も何度か書いているように、ドイツは「マッチョなものが素晴らしい」「力強いものは善である」という価値観を感じる。それが「権威主義的」と言われる所以になっている。

日本とドイツ、それぞれの文化で大事にしている価値観が、それぞれの国でネクタイに込められている意味と近いと思いませんか。意味するところはそれぞれ全然違うけれど。

まとめ

如何だったでしょう、「女性たちがネクタイを切りにやってくる日」。

まとめると、ドイツでネクタイは「男性」という意味とともに「権威」という文脈を帯びている。だから「女性のカーニバル」、つまり女性が主導権を握る日を象徴的に表現するのであれば、男性や権威の象徴であるネクタイを「切って」、みんなの見えるところに「掲示して知らしめる」。

この行為は、僕のようにネクタイを「礼儀」として位置づけている世界観からは、繋がっていかない展開だろう。それが、昔の僕が消化不良を感じた原因だと思う。


そういえば、これを書いていて思い出した。ドイツで2つ目の会社で働き始めた初日。CEOから2つ厳命された

ドイツの会社のCEO
「例外なく全員をファーストネーム(下の名前)で呼ぶこと。たとえ相手がCEOでも。そして決してネクタイは付けないこと

当時は、やたら気合を入れて鼻息荒く指示するCEOに対して、笑いながらハイハイって従った。けれど今から考えると、そのCEOにとっては会社の経営の根幹を成す大事なコンセプトだったんだろうなぁ、と。

つまり彼は会社から「権威主義的な雰囲気」や「立場に守られて安住した振る舞い」を排除したかったのだろう。

それよりも、どれだけ自分で汗をかいて、自分の手で会社に価値をもたらすことができるか。そういう価値基準で仕事をしろ、ということを伝えたかったのだと思う。実際に僕が働き始めてから、彼はみんなに対して口を酸っぱくしてそのことを繰り返していた。

いま振り返ると、ドイツに来て日が浅かった当初は、こういった上司の厳命も、カーニバルで女性がネクタイを切りにやってくる行事も、なんとなく理解したつもりで、本当の意味は分かっていなかった。

でも、社会の背景にある価値観に気づくことができてはじめて、ようやく意味するところがピンときた、と今になって思う。

「ワレ革命ニ成功セリ」

by 世界の人に聞いてみた

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