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モルドバ人、国外へ出稼ぎに ~モルドバで聞いてみた②

「旅先で聞いた話」シリーズのモルドバ編。今回は第二回目。

前回は、とにかくモルドバでは経済的に生活が厳しいということについて、現地の人たちから聞いた話を書いた。

今回はその話の中で出てきた「国外への出稼ぎ」について。モルドバでは非常に賃金が安く、給料の大半が住宅費用や暖房費で消えてしまって、生活が成り立たない。だから国の2世帯のうち1世帯では、誰かが国外へ出稼ぎに行っている、と聞いた。

モルドバ人
「みんな自国では給料が少なすぎて生活が成り立たないから、生き延びるために海外へ出稼ぎに行く。例えば、私の同僚はこないだまでイスラエルへ出稼ぎに行っていたんだけど、月給は24万円。ここの月給の10倍を稼いでいた


「ずっとそこで働くわけにはいかないの?」

モルドバ人
「モルドバのパスポートだと、普通は期間限定の就労ビザしか取れなくて、ビザが切れたら帰ってこないといけないからね」


「どの国へ出稼ぎに行く人が多いの?」

モルドバ人
「出稼ぎ先で一番多いのは、イタリアかな。次がロシアとか。それ以外は様々で、スペイン、ポーランド、ポルトガル、イギリス、ドイツ、オーストリアとか、いろいろだよ」

そういえば、バスに乗った時に、切符を売っているおばあちゃんがおつりを数えるときに何故かイタリア語で数えて渡してくれた。「ウノ、ドゥーエ、トレ、クアトロ・・・」って。

その時は、なんでイタリア語なんだろ?って思ったけど、たぶんそのおばあちゃんは昔にイタリアで出稼ぎしてたんじゃないかな。外国人には自分が知っている唯一の外国語であるイタリア語を使った方がいい、と思ったのかも。

モルドバ人
「この国には300万人が住んでいるって言われているけど、今いったいどれだけの人数がこの国に住んでいるかなんて、誰もわかりゃしないよ。相当な人数が国外で働いてるからね」

という感じで、あまりに経済的に厳しいために、ずっと自国で生活することが困難。そのため、本来は人にとって基本的なことの一つである「住みたい場所に住む」とか「家族と一緒に生活する」ことが、モルドバでは必ずしも成り立っていない。ヨーロッパの人たちは、一般的に人生で最も大切なものを「家族」と位置付けている人が多いのに、その家族と離れて暮らすという苦渋の生活を余儀なくされている家庭が多い。

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人にとって大事なこととは

さて、一般論として考えると、人にとって「住みたい場所に住む」や「家族と一緒に生活する」って、どれくらい人生の基本として大事なことなんだろうか。

逆にそれよりも大事なことって、どういうものがあるのか考えてみると・・・、

すぐに思いつくのは、「最低限の衣食住が確保できること」や「肉体的や精神的に不本意に傷つけられない」ことあたりかな。日本で言えば憲法で保証されている「文化的な最低限度の生活を営む権利」に含まれていると思われる。

他に基本として大事なことって、、、といっても、すぐにはパッと思いつかない。もちろん人によって何を大事に感じるかは違っていて当たり前だけど、でも一般的に言って、住みたい場所に住むことや、家族と一緒に生活できることはかなり重要なことの一つのような気がする。

日本との共通性

ただ、モルドバ人とこの話をしていて、正直なところ日本ってモルドバと大きく違わない面があるな、って感じた。

なぜか?

前置きが少し長くなるんだけど、、、

日本では、国の労働法によって「企業は正社員を解雇するハードルが非常に高い」。そのため、その法制度に基づいて「終身雇用」という世界ではあまり一般的でない雇用慣行を維持している

終身雇用という言葉を聞くと素晴らしい制度のようにも聞こえるが、それに伴って日本固有の特殊な事情が生まれる。

前述の通り、企業は正社員を解雇する権利を殆ど持たないため、逆に日本の会社は「会社が従業員を育成して、会社の都合に合わせて活用する強い権利」を与えられている。というのも、「終身雇用」と「従業員を会社にとって都合よく活用する権利」をセットで認めなければ、会社は一旦採用した従業員から食い物にされるだけになって、持続可能な雇用関係が成り立たないから

ついでに言えば、会社は従業員を育成する権利とともに、義務も負っているから、従業員の給与にも大きな差を付けられない。でないと給料の低い人については、「会社がこの人の育成に失敗しちゃいました〜」と認めることになってしまうから。だから、会社による従業員の育成計画は「順調に進捗している」ことにするので、従業員は勤続年数が増えるとともに「能力も上がっていく」ことになる。その結果、当然年齢とともに給与も上がる。いわゆる年功序列制度は、この考え方に基づいて正当化されている。

という雇用制度を成り立たせるため、会社は自由に従業員を育成して活用できなければならない。そのため、会社は従業員に対して「職務内容や勤務地を指示する権利」を持っている。その結果として、全国や世界に拠点を持っている会社では、従業員は世界のどこで働くかを自分で決める権利を与えられていないし、その結果として単身赴任もごく一般的に行われている

最近は「ジョブ型雇用」という言葉をよく聞くようになったけど、でも法制度が変わらない限り、木に竹を接ぐことになって、成り立つとは思いにくい。結局は法制度が変わらない限り、会社も従業員も変わりたくても変われないと思う。

日本の労働法の意味するところ

まとめると、日本の会社員は法制度によって世界でも特異に「解雇されにくい権利」を持っていて、それによって安定した地位を得ている。他方で、それとセットで「自分の望む場所で生活する権利を放棄している」と僕は理解している。もしくは、家族の転居が実質的に選択肢に入らない場合、家族が一緒に生活することができない。つまり「家族が一緒に生活する権利をある程度放棄している」ということを意味していると思っている。

一方でドイツをはじめ多くの西欧諸国では、勤務地のような生活に重要な影響を与える条件は、あくまで会社と雇用者との「合意(契約)」のもとに決まるから、交渉事。社会の慣行として、転職のハードルが日本よりずっと低いことも大きく影響している。ただその分、雇用を失う問題が日本より切実だけども。

いずれにせよ西欧では、みなさん自分が住む場所などは、基本的に自己責任に基づいて自分で決める制度設計になっている
(ただ、現実にはそんなに単純ではなく、従業員はあまり望まない転居を余儀なくされるケースもあるけど)

見方を変えれば、ヨーロッパの社会では、個人(とその家族)が住む地域を会社という営利組織が決めることはできないし、また会社は、従業員の家族の生活を引き裂くという、冷静に考えれば身震いするほど重大な指示をしなくても済む。

さて、前置きが長くなりました。本題に立ち返ると、、、

前述したように、モルドバでは自国内で働いて生計を立てることが非常に苦しくて、ときどきは国外で出稼ぎして働かないと、長期的には生活が維持できない。そのために、望まず家族と離れ離れで生活せざるを得ないことがある。

翻って日本でも、全国展開または世界展開している企業に勤めている人たちは、自分で自分が住む場所を決めることができない、または家族と一緒に住む権利をある程度放棄している

と考えると、世界第三位の経済大国である日本であっても、欧州最貧と言われるモルドバの現状であっても、仕事のために犠牲にしているものはそんなに違わないなぁ、とモルドバ人から話を聞きながら感じた。

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ではまた次回、別のテーマでモルドバ人から聞いた話について書きます。

by 世界の人に聞いてみた

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