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世界を豊かに彩るサンタさんたち

前回は「地図で見るドイツのクリスマス文化」を投稿したが、その流れで今回は欧米のサンタさんについて書いてみる。

多様なサンタさん

昨年に「クリスマス文化③、こんなに多様なサンタさんがいたとは」で書いたように、実は欧米の世界には多様なサンタさんが溢れている ↓

実際はこんな種類どころではなくって、たとえば北欧には北欧の違った文化があったり、もっともっと多様性に満ちている。

さて、上の写真のうち、一般的に日本でなじみのあるサンタさんは、左の人ではないでしょうか。

(1)アメリカのサンタさん

サンタクロース自体は数百年の歴史を持つが、この写真のタイプは100年近く前にアメリカでデザインされたもの。コカ・コーラ社が、自社のブランドカラーと同じ赤い色の服を着た福々しくて恰幅良い体形のサンタクロースをデザインし、プロモーション活動を行ったのが発祥。そこから世界中へ広がっていって、今ではおそらく最も世界で一般的なタイプ。

という経緯があるため、ドイツでこのタイプは一般的に「アメリカ人」と認知されている。

(2)ドイツのサンタさん(聖ニコラウス)

これらはドイツで見られる様々なタイプのサンタさん。オリジナルは一番左のチョコレートのパッケージになっている「聖ニコラウス」で、サンタクロースと同じ位置付け。聖職者なので聖書を持っていて、帽子には大きな十字架があしらわれている。

ドイツの子どもたちは、12月5日または6日の夜に玄関の外へ靴を置いておく。すると次の日の朝、靴の中には聖ニコラウスが入れてくれたお菓子などが残されている、という要領。

また、その際に手紙を置いておくと、聖ニコラウスはその手紙をイエス・キリストのところに届けてくれるとも言われている。うちの息子が昔に書いた手紙 ↓

ちなみにうちの息子は修行僧か仏様かというほど欲がない。

(3)ロシアやウクライナのサンタさん(ジェド・マロース)

ロシアやウクライナなど東欧のサンタさん。というか、正確には「ジェド・マロース(吹雪のおじいさん)」と呼ばれている。東欧の冬は内陸なのでとにかく寒さが厳しい気候だから。しばしば「スネグーラチカ」と呼ばれる雪娘を連れている。


さて、僕はこんな多様性あふれるサンタクロースたちに囲まれて、ドイツで8年間ほど過ごした。そして今年は日本で久しぶりのクリスマス期間を過ごしている

愕然とした今年のクリスマス

今年、僕は職場へ「ウクライナ伝統のジェド・マロースの人形」を持って行って、机に置いて飾っておいた。

必ずや、同僚たちが「おっ、青い色のサンタクロースって珍しいね」とかなんとか声を掛けてくれるだろう、と思い込んでいた。

ところが、初日に誰からも声を掛けられず。2日目も、何の反応もなし。3日目も4日目も・・・そして10日ほど経っても、誰からも何も言われない。

業を煮やして、職場でただ一人、僕のnoteを読んでくれている人に聞いてみた。

「これ、ずっと置いているんだけど、誰も何も言ってくれなくて」

すると彼女の言葉。

同僚女性
「あのですね、たぶんこれを見たみなさんは、サンタとは思わない気がします。謎の人形を飾っている、としか認識されていないのでは」

と言われて、雷に打たれたように自分の思い違いに気が付いた。

同僚女性
「私は、あの『多様なサンタさん』の記事を読んでいるから、一瞬でサンタさん系列の人だって分かりましたけどね。でも、みなさんは分からないと思いますよ」

彼女は少し遠慮がちに、しかし「これは、この人にハッキリと言ってあげなければ」とばかりに使命感を持って毅然と指摘してくれた。

彼女の諭す声を聴きながらも、僕は頭の中で、

「12月にこの手の人形を置いていたら、クリスマスに関連したものってみんな思うはずやん」

「こんな風貌だったら、サンタクロースの範囲に入るって分かるやん」

「そもそもサンタクロースって、いろんな風貌、いろんな色、いろんな物を持っていて、多様性に溢れているものやん」

っていう言い訳がグルグル回っていた。

でも一方で、その自分の「当たり前」は、必ずしも他人の「当たり前」と同じではない、ということもイヤというほどよく理解している。

とにかく僕は、職場の人たちに人形を突き付けて、これをみて何だとおもうのか聞いてみた。若い人なら、或いは分かってくれるかもと願って、20~30代くらいの人たちを次々と捕まえて聞いていった。

同僚②
「なんだろう、よく分からない存在ですね」

同僚③
「なんか宗教的ですよね。そういうご趣味なのかな、というくらいしか」

そう、そこに至ってハッキリと理解した。僕は「宗教的な謎の人形を机に置いている、ヤバいおじさん」だったのです。

というか、この記事をいま読んでくれている人たちは、僕がこの人形を日本の職場に持って行った時点で、この結末を既にお見通しだったのでしょう。ええ、そうでしょう。

でも僕は彼女から指摘されるまで、露ほども疑うことなく、みんなこの人形がサンタクロース系列の人だって理解してくれると思い込んでいた。改めてつくづく思い知った。僕は「自分にとっての常識」というレンズを通して世の中を見ていた、ということを。

ちなみに、興味深い反応を示してくれた人がいた。

同僚④
「いやー、この人形はなんでしょう、ノーアイデアですね。え!?東ヨーロッパのサンタさんですか。・・・たぶん私がサンタさんを識別するキーは、赤いかどうかですね。あの例の鮮やかな赤だったら、少々顔が違っていても、おヒゲがなくっても、サンタさんって自動的に識別すると思いますよ」

恐るべし、コカ・コーラのブランド戦略。これほどまでに人々の意識に深く浸透しているとは。

そんな中、超優秀かつEQの高い、ある同僚女性が当ててくれた。

同僚⑤
「うーん、初めてお目にかかる感じのかたですねー。宗教色が濃いような。でもどこかサンタさんっぽいですねー。いま12月ですし。でもその割に、杖なんかをお持ちですね。そしてソリには乗ってないですねー」

と、サンタクロースと見抜いた上に、いいポイントを突いてくれた

ということで、ここでジェド・マロースに関してロシア人から聞いた話を。これは昨年の記事「クリスマス文化③、こんなに多様なサンタさんがいたとは」の一部を、そのままコピペしたものです。

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ロシア人から聞いた話(去年の記事の再掲)

この銀色のサンタは、園芸屋さんに並んでいたものを買ってきた。いかつい顔をしていて、なんとなく風変わりで気に入ったので、アメリカンなサンタと並べて職場の机に置いておいた。

そしたら、ある同僚がこの銀色の人形を見た瞬間に「これって、ロシア版サンタクロースのジェド・マロースでは?」と貴重なコメント。

そこで、職場にいるロシア人の同僚のところに走っていって、人形を突きつけてみた。

すると、そのロシア人同僚は、
「おぉー、これは(ロシアや東欧で普及している)キリスト教正教のサンタクロースに相当する人やね」
とのこと。

僕が「他のサンタクロースとどこが違うの?」と聞いたところ。。。

*ちなみにこのロシア人同僚はめっちゃ巻き舌で喋る人。彼の英語はまるで関西弁に聞こえるので、関西弁に翻訳させてもらいます。

ロシア人
「ほら、この銀色のサンタは、分厚くて足元まで隠れる長いローブを着てるやろ?ロシアや東欧はまじで寒いから、サンタも完全防寒やねん。これくらいの長さがないと、寒くてやってられへんからなー。でも逆に、暖かいスペインとか行ってみ。南欧のサンタは、ひざ上20cmのミニスカートとか穿いとるらしいで。知らんけど」

「あとな、ヒゲが長~くて、へそまで延びとるやろ。寒いから、ヒゲをめっちゃ伸ばすねん。マフラー代わりにするんちゃうか。知らんけど」

長い杖を持っとるやろ。深い雪の中、自分自身で雪をかき分けてかき分けて歩いていくから、これくらいの杖が必要やねん」

「でもな、西欧のサンタをみてみ。あいつなんか、例の鹿みたいな動物にそりを曳かせて、自分はそりの上でふんぞり返って、ほんでワインとか飲んどるやろ。頬っぺたを赤くして。そりゃあ、ホッホッとか言いながらにこやかな顔になって、福々しく太ってしまうのも道理やで。このジェド・マロースさんとは、苦労が全然違うでぇ」

「ということで、ホラ、このジェド・マロースの顔をみてみ。めっちゃ険しい顔しとるやろ!?」

ということで、いかつい顔をしているのには理由があったということが分かった。

サンタクロース界も奥が深いなぁ。

ーー(再掲終わり)ーー

まとめ

最近よく思うんだけど、こういう「地域性のある伝統文化」って、実はもう人類史上で新しいものは二度と生まれないんだろうなあ、と思う。何を言ってるかというと・・・

均一化が進む世界

数百年前にさかのぼると、昔は交通が発達していなくって、それぞれの地域の自然や風土の中で生まれた文化は、容易には他の地域へ伝播していかなかった。だから、その地域の文化はその地域の中でとどまって、独自に発展していくことが多かったと思う。特に山の地域ではその傾向が強い。あと日本とか鎖国していたし。

でも過去数百年にわたって徐々に交通が発達し、人の移動が活発化していった。更には物の輸送、つまり物流も発達していった。

それに伴って、特にこの数十年は世界中のものが世界のどこでも手に入るようになりつつある。

更にインターネットが発達したここ20年ほどは、世界のあらゆる情報が世界のどこにいても入ってくるようになった。目の前のディスプレーには、文字通り『世界』が広がっている。

それは便利であり興味深い一方で、世界が均一化する方向へ一気に加速する、という影響をもたらす。

そしてもう生まれない、地域性のある伝統文化

昔は地域性のある文化が、数百年あるいは数千年かかって育まれていき、地域に根差した独自の文化として発展していった。その土地の風土が豊かに詰まった文化が。

でもそれが、人・モノ・情報の流通が飛躍的に向上したことによって、今後の世界ではもはや地域に根差した文化が発展することは基本的にあり得ないのではないか。世界のどこにいっても、みんな同じようなものをもって、同じような情報に触れる方向へ、不可逆的に進んでいる。

こういった伝統文化は、地域ごとの固有の価値観や世界観といった、目に見えない人々の考え方がベースにあって、その上に数百年か千年以上にわたって「目に見える形」となって形や行動として育まれて、受け継がれてきたもの。

そのような伝統文化は、もう人類史上でもう新たに生まれることがないとすれば、これから消えゆく一方の地域性のある文化は、今後その価値をどんどん高めていくのではないか。

例えば、ヨーロッパのクリスマス文化。
例えば、日本のお正月文化。

このような文化は、地域性を持つ伝統文化であると同時に、世界の多様性も意味している。世界のサンタさんは、必ずしもあの鮮やかな赤い色だけではない。もっといろんな色に溢れている

こういった多様な文化は人類を豊かに、そして世界を彩り豊かなものにしてくれると思うから、これからも大事に残していきたいものだと僕としては思っている。

by 世界の人に聞いてみた


ドイツのクリスマス文化については前回の記事をご参照 ↓

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