最初から100点をつけるテスト
小学生の頃、幼なじみのゆなちゃんとよく学校ごっこをしていた。
どちらかが先生役で、どちらかが児童役。
先生役の人は、チラシの裏とかに適当にテストを作って、児童役の人がそれを解く。
正直、やりたいのは先生役の方で、児童役の時は先生役が回ってくるまでのサポートみたいな感じでやっつけだった。
そのためか、児童役だった時のことはほとんど覚えていないのに、先生役としての記憶はけっこうある。
ゆなちゃんは帰国子女で、英語が得意な分、国語が苦手だった。
でも私は当時から国語が好きだったので、国語のテストばかり作成して出していた(ゆなちゃんごめんね)。
遊びとはいえ、何とかゆなちゃんに国語を好きになってもらいたくて、チエ先生は試行錯誤して、奮闘した。
でもゆなちゃんは毎回、テストの点数が低かった。
100点満点中、いつも20点くらい。
(児童役はやっつけなのだから、ゆなちゃんだって本気で問題を解いていたわけではなかったかもしれない)
だんだんかわいそうな、申し訳ないような気分になってきて、100点を取らせてあげたくなってくるチエ先生。
というか「100点だよ、すごいね」と褒める先生を味わってみたかったのかもしれない。
そこで私は思いついたのだ。
最初から100点をつけて、問題を解かせればいい。最初から、ハッピーエンドを用意する。
テストなのに、予め100点と書かれた解答用紙。
よくよく考えれば突っ込みどころ満載だが、アメリカ育ちのゆなちゃんは感情表現が豊富で、すごく喜んでくれた。
「いいんですか先生?」とか言って。
(児童役の子は先生役に敬語で話すのが暗黙のルールだった)
するとどうなるかというと、ゆなちゃんは100点に見合った解答ができるよう努力し始める。
「100点をつけてもらったからには、少しでもその期待に応えたい」という感情になるのだろう。
以前よりも真面目に、しかも楽しそうに取り組むようになった。
間違っていても正解をつけてくれるから、失敗も恐れなくなって、自信を持つようになる。
次はもっと整合性を高められるようにと、頑張ってくれたのだと思う。
現に、実際の点数も明らかにそれまでより上がっていた。
結果、ゆなちゃんは国語が大好きになる…とまで言えたらもっと美談になっていたのだけれど、この時の遊びはこれくらいだった。
でもこのテストの出題方式は、けっこうありなんじゃないかと思っている。
私は今日までの人生で、何かの先生になりたいと思うことはなかったが、もしなることがあったら、この方式でテストを出題しようとか勝手に決めていた。
今でも応用することがあり、自分の書く記事に最初から高評価をつけておいたりする。これは自己肯定感の低い自分にとっての訓練にもなってくれる。
みんなが喜んでくれる記事を書くにはどうすればいいのかと、逆算して考えることもできる。
思い通りにいかないことの方が多いけれど、それならどうしてそうならなかったのか、できなかったのかを反省する(辛!)。
ゆなちゃんはピアノの先生になるのが夢だったのだけれど、幼稚園の先生になった。得意なピアノを発揮する場にもなっているという。
ずっと会えていなかったが、先日10年ぶりに再会した。
「私はライターになったよ」と伝えたら、相変わらず感情表現の豊かなゆなちゃんは目に涙を溜めて喜んでくれた。
「すごいよ! チエちゃんは国語に関しての想像力がずば抜けてたから」(国語に関して?)
「チエちゃん国語教えるのほんと上手だったから、受けるのすごい楽しかったもん」(嬉しいけど国語強調するね?)
ゆなちゃんは児童役を、楽しんでくれていたのだ。
先生役が回ってくるまでのやっつけで児童役をやっていたのは、私だけだったようだ。
何ていい子なんだ。それに引きかえ私は、児童側の記憶がほとんどないんだから。
そんなゆなちゃんが幼稚園の先生をしているなんて。なんかかわいいな。
教えてもらうことも楽しめるゆなちゃんは、きっといい先生なんだろうな。
私はゆなちゃんの最初の教え子で、ゆなちゃんは私の最初の言葉の受信者だったのかもしれない。
目の前で涙ぐむゆなちゃんを見て、私はもっと泣いてしまった。
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