街の中にひとりぼっち
サボりすぎたせいで書くことがあまりにもたくさんある。別に計画的に書こうとしている訳でもないからなんでもいいちゃいいんだけど、書きたいことを書くためにはその前提、つまり自分の現状まで触れないといけないとわかりにくいはず。誰かに向けて書いてるということもないし、大々的に公開しているわけでもないけど、せっかくならわかりやすい文章を書く練習にしたいじゃん。だから事の経緯まで全部書きてえなって思ってるの。それが足引っ張ってんだけどね。
本当を言うともう新年度。大一。大学生。高校生ではなく、大学生。高校生料金ではなく大体大人料金。学生割がギリ使える。
なんなら一人暮らし始めてる。学校までチャリで15分弱。高校よりは近いな。飯も自分で用意して、洗濯も自分でしている。なんならキャッシュカードもらって自分で銀行行くぐらい。
独り立ちって言うやつだろうな。
本格的な一人暮らしが始まって1週間である。感じたことのない孤独を感じる。今までは誰とも分かり合えない精神的な孤独を感じることは度々だったが、物理的距離的孤独は人生ではじめてだ。
誰とも喋らない。声を出さない、出せない(木造36年だから)(東京ドームと同じと考えればセーフ)。喉に優しい。今カラオケ行ったら楽しくてしょうがないのだろう。一人カラオケって普段家で声出せない人にとっての調整の場なのかもしれない。
ここで感じるのは「物理的な距離があるなら心理的な距離を近づければいいじゃないか」と言う主張。わかる。身に染みてわかる。
しかしながら、僕はラインや電話が嫌いなのだ。理由は顔が見えないから。僕にとって人の表情というのはほんとに大事な情報源なのだ。基本、喋りたい好きなことをダラダラと喋ってしまう人間なので、聞いてる相手はだんだん飽きてくる。でも、人として人に飽きられたくはない。そこを飽きる前になんとか話を切り上げたいといつも考えて話をしている。その時に大事なのが相手の目であり、表情なのだ。だからライン・電話を嫌っていた。
ただ、その害がここにきて現れた。ラインや電話ができなくても学校行ってる期間は友達と直接会えるので困らなかったが、今、眼前に友達がいない状況。でも、話したい。ラインや電話を使えるなら万事解決だが、その技術が僕にはない。この3年、いや6年間その技術を磨くことを全く放棄してきた。その害、皺寄せをゴリゴリに感じている。
あとは、孤独を感じる理由としては部屋が異様に広いということ。実家から持ってきたものはそんなに多くないし、単純に人口密度に関しては家族と住んでいる時よりも下手したら小さくなっているかもしれない。なんせ風呂もトイレもキッチンも全部僕専用だし。家族のメンバー全員に風呂トイレキッチンを分け与えられるほどの豪邸に住んでいる人は一握りの中のさらに一握りであろう。その中に我が家は流石に入っていない。
この妙な広さがなんか落ち着かないところがある。そう思うと僕は狭いところが意外と好きなのかもしれない。そういえば、机の下とかで本を読んだりゲームをしたりするのが好きだった。
そして、なんといってもやることの多さに疲れる。衣食住全て自分で死守していかないといけない。金が出ているのだが、学校がフルで始まったり、それこそ仕事なんかを始めた時にどうなってしまうのだろうか。
僕は生活が下手である。それをもう1週間で感じてしまった。生活を楽しめない。ラジオとかで誤魔化さないとほんとにやってられない。俺はもう自炊を半分諦めている。それでも夕食は作っているが、朝は遅く起きて作らない。昼は前日の夕食を多めに作ってそれをご飯の上に乗っけて食べている。こうやって簡素化簡素化を繰り返さないと無理。食を守れない。というか崩壊寸前ではあるが。
このエッセイは年度末というか4月上旬に書かれている。明日が入学式。少し前にオリエンテーション、昨日専攻での新歓があったが、入学式前なのでまだ高校三年生をまとめるつもりで書いている。
ここまでは一人暮らしって大変だぜーという(いつものことだが)なんのタメになることもない現状報告に毛が生えた程度のことをダラダラと書いてきたが、ここからこの一年の「まとめ」を書いていこうと思う。
この一年は受験の年であった。今考えるとほんとに狂うように勉強していた1年間であった。我ながら本当にすごいなって思っちゃう。そのおかげで第一志望の大学に合格できた。
そして勉強してきた甲斐あって知性がかなり育ったと自負している。思考が深いところまで行けるようになったなと。しかしながら、その知性を扱いきれていないと感じる。表現ができないのだ。モヤモヤしたことを言葉にできない。昔は本能のまま構成や言葉遣いを考えずに殴るように書いていた。今はできない。しっかりメモを書いてるもん。それが本当に辛い。あと、本を読むのがすごくしんどくなった。自分が書けないから。
受験の間、僕は自我を捨てているような感じだった。正直、受験のための勉強は大嫌いだ。つまらない。そんなゴールに向かって突き進むなんて競争かよって心の中ですごい嫌悪感があったものの、それを殺してきた。だから、今年一年、書いたエッセイの量はとても少ないと思う。
でも、このスランプというのかもしれないものも次第に抜け出せていれるような気がする。自我をようやく取り戻せるようになってきた気がする。
この一年でちょっとずつ無意識的に感じるようになったこと、そして受験が終わって向きあわなければならない問題があった。
先日、あちこちオードリーに永野さん、お見送り芸人しんいちさん、ティモンディのお二人が出演していた。その中で永野さんが自らの経験してきた苦難の20年について言及し、「リアルを求める」と言ったあと、こんなことを言っていた。(原文ままではないのでニュアンスが違っているかもしれないが、自分がその永野さんの言っていることを頭の中でまとめたらこういう感じになった。口調も全く再現していないのに等しいので注意してほしい。)
「(若林さんや前田さんはなれなかった夢をスポーツ選手といったあと)若林や前田はそれがちょうどいいんだと思う。スポーツ選手になれなかったっていう挫折がちょうど世間にハマっているんだと思う。それに対して俺はさ、自慢でもなんでもないけど、お笑い芸人になりたくてなったのに全く売れなくて20年燻ってたわけで。それなのに、たまたまテキトーにやったネタが跳ねて今、テレビに出てる。それだけだから俺は結局ずっとお笑いで挫折したまま。そんな奴がテレビ出てお笑いやってるってめっちゃやばいよ。ねじれにねじれまくるに決まってるじゃん。」
先日、幼馴染の友達二人と会った。僕は高二秋から冬の間、学校に行くのがとんでもなく嫌だった。もう辛くて辛くてしょうがない時期だった。行きたくなさすぎてお風呂で泣いたこともあった。それを話したら二人とも共感してくれた。一人は彼も中二の秋に一ヶ月学校に行けない時期があったという。もう一人は高校の間、友達ができず、学校に行くのが憂鬱だったという。それもあって、彼らは「高校は楽しくなかった。高校の同級生はクソだ。」みたいなことまで言い出した。冗談にしても笑えねえと心の中で思っていた。だってクソな同級生とクソじゃない同級生が必ずいるはずだから。そんな「高校の同級生」と括って非難するなんて、老害が「最近の若者は」とかいうのとおんなじようにしか聞こえないのである。もちろん、これは心の中にしまっておいた。
そのあと、男三人で恋愛話になり、一人のやつが告るかどうか迷ってるみたいなことを言ってた。その話は置いておいて、僕はそういう恋愛の話になったということで隠しておくのも気持ち悪いから今彼女がいることを告白した。卒業式の1週間後に向こうから告白されたのでオーケーした。実際に今いるのだ(一ヶ月前ほどからだが)。そうしたらその友達二人は「なんだよ高校楽しんでんじゃん」と言われた。冗談半分で半分本気で言っているように感じた。
俺は両者ともに挫折マウントをとっていることに嫌悪感を感じた。俺(ら)の方がねじれてますよと。
正直に言ってそんなのクソだせえじゃん。挫折マウントなんて。
永野さんなんか「自慢でもない」って言ってるけど、そんなふうに人と比べるなんて何かしらの意識が向いているということには変わりない。そんなのクソだせえ。
友達たちだってそう。高校時代の不幸自慢なんて誰が聞きたいんだよ。
こうやって一丁前に他人を批判してるでしょ?じゃあ、お前はどうなんだ?って。見てみろよ。俺が友達に不幸マウントを取られた原因は高二のことを自分から話したことはら始まってんだぜ?笑えるよな。
もう少し曖昧のまま話を続けたいと思う。
俺は今まで自分の人生での挫折を挙げるとすれば二つあった。
一つは中学受験の失敗。小学校のときに学校が荒れに荒れ、両親がほぼ変わらないメンバーで行う中学進学後にまた荒れてしまうのではないかと心配になり、勧められた受験。近隣の私立校でもいいと言われたが、俺は県立の難しいところを目指した。僕は昔も今と変わらずよく寝る方で小6なのに9時とか9時半には寝ないとやってられなかった。10時まで起きていることは滅多になかった。そのため、勉強時間を確保するとなると、寝る以外の「余白」の時間が全くと言っていいほどなくなってしまうのだ。さらに、友達に受験することは言っていなかったのですっごい孤独であった。そういった面においては大学受験の時よりもしんどかった。
だからなのか、受験の数日前に精神が崩壊し、勉強を投げ出してもっと子供が遊ぶようなお手玉で一人ずっと遊んだ。多分頭がいいとまではいかないにしても馬鹿ではなかったため、いろいろな人に面倒を見てもらったし、期待してもらったが、正直自分としては試験を受けるだいぶ前から結果がわかっていた。なぜかというと、実力の伸びが感じられなくなったからだ。
その後、中学に入ってから自覚したのだが、僕は最初の「つかむ」までは早いのだが、そこから「実力」の伸びに時間がかかるのだ。器用なようで不器用。おそらくだが、話とかコツの理解力は人並み以上にあるのだと思うが、継続力に乏しい。その理由は飽き性で同じことを繰り返すのが無理だから。やってられないのだ。学校に行けなくなった理由もこれが関わっているのだと思う。
もう一つは中学の恋愛での失敗。今まで恥ずかしすぎて書くのを全く避けてきたが、今回全てを書くのは嫌だとしてもなぜ挫折になったのかというのだけは明確に示そうと思っている。
相手は学校外でも少し共通点があったAである(少し曖昧に書かせていただく)。そんな繋がりがあって、次第に仲良くなった。また、Aは可愛くて校内でも人気の女子であった。僕のタイプでもあった。顔だけじゃなく、仕草や感情の出し方などもすごい好きであった。そのため、僕はAに対して恋心を募らせるようになっていった。初恋である。中学に入り、1年2年ともに同じクラスで仲良くしてくれた。3年で違うクラスになったものの、自分で言うのもあれだが、学年での成績は高くて、生徒会に入っていて、スクールカーストでも上位だった俺は、そんな風に中学校生活を「頑張った」からなのか、卒業後Aと付き合うことに。正直、何年も大好きだった人と付き合えることを信じられないほど嬉しく思っていた。
ここまでは最高の展開と言ってもいいだろう。しかし、ここから三ヶ月で別れようと言われるほどになる。
まず、僕はあまりにAのことが好きすぎたため、毎日「会いたい」とラインをし続ける。そして会えたら会えたで緊張してうまく話せず。そして、ハグの強要もした。その時にゴリゴリに勃起してしまったのは笑えるが、笑えない。あと、友達に付き合っていることを自慢したりすることもあった。気持ち悪いよな。
こうしてたったの三ヶ月でAから別れ話をされた。別れ話をされた時の対応もクソだったと反省している。
この恋愛の失敗を受けて、私は自分が舞い上がった時の怖さを知って自然に生きること、背伸びをしないことを自分のモットーにした。また、ラインがうまくできないのはおそらくこの恋愛がトラウマだからだと思う。でも、勃起は治らないと思う。
また、こんなこともあった。自分はスクールカーストで上位になったからといってすげえ態度がデカくなっていた。例えばよく知らない女子がドア前に立ってドアを塞いでいた時に、舌打ちをして「邪魔だよ」と言ったり。この前、その女子の友達から「あの女子、お前のこと、嫌いらしいよ」と言われた。ああ、だろうなと思った。
正直、高校3年間はこんなことを反省しているうちに終わった。良くも悪くもずっとこのことを考えていた。未練ではあるが、未練以前の反省、大反省。そんな3年間だったなあ。
話はこの高校三年生に戻る。
僕は中学受験の失敗を活かして大学受験では、一度すぐ伸びるが、その後長いこと伸び悩むことを知っていたため、その伸び悩みの期間を覚悟して受験勉強に取り組んだ。事実、部活引退後の最初の共テ模試で7割弱をとって文系学年2位だったが、11月まで周りの友達は8割到達したりしているのに75%の壁を越えられなかった。しかし、その間も多少波はあったものの、耐え忍ぶことができて、共テ本番では8割を超えることができた。また、切羽詰まって精神状態が崩壊することがないように、毎日勉強後に友達とダラダラ喋る時間少しを作ったり、近くでやってた「山里亮太の140」に行ったり、2次試験1週間前だったけど「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」を見ちゃったりして娯楽とのバランスをうまくとっていた。
僕は高校頭恋愛失敗や女子から嫌われた経験を活かして高校生活では、基本ナチュラルに過ごすことを目指し、仲良くしてくれる友達をできるだけ大切にしようと思った。図に乗らないように、臥薪嘗胆じゃないけど、毎朝起きたら脳裏から苦い思い出が自然と垂れてきていた。過信は火の素だと。でも女子にはトラウマが残っているので近づけなかった。また、ラインも下手なんだなと言うことに気づいて、使うなら直接話そうの理念のもと、やってきた。そのせいで今でもラインはきもい。交友関係を広めようと思って頑張ってラインを使っているが、限界が見えている。ラインなんかで引かれたくない、嫌われたくない。もう辞めたい。そう思っていたらそう自然に生きる僕に彼女ができた。感覚としてはなんだか不思議である。
このように僕は挫折を糧にここまでやってきた。この一年、挫折をフルで活用した一年だった。それで結果が出た。
悪いことじゃない。
でも、俺の谷は埋め立てられた。糧にできる挫折がない。だって乗り越えて結果出しちゃったんだもん。
最悪である。
俺にはブースターがもうないのだ。あのH2ロケットの周りについてるやつは大気圏をできる前に捨てられた。俺は大学を、社会を目の前に裸一貫で立ち向かわなきゃならない。
正直、挫折が欲しい。だってそれに縋れるから。見てみろよ、永野さんと友達たちを。それに縋って自分の居場所を確保できてる。最高じゃないか。羨ましいよ、ほんとに。
だから不幸マウントをこき下ろせないんだ。もろにくらっちゃうから。悔しいよ。
挫折がないというのは本当に怖い状態なのだ。私はそれで嫌な経験をしたし、人にさせたからな。
僕は音楽家になりたい。でも、音楽家といった表現者って挫折を味わってるからとんでもないパワーが発揮できてると思ってる。そのパワーもなく、凡人の俺が芸術の世界に入って音楽を作ることができるのか?自信無くなるよ、これじゃあ。どうすんだよ、まじで。最悪だよ。
俺はほんとに恐れている。自分が天狗になってしまうことを。
でも、信じていることがある。どうせまた挫折することがあると言うことをだ。絶対にこのままうまくいかないと思う。もっと地獄を見ると思う。だって俺のいく道はきっと修羅の道に間違いないから。芸術の世界だぜ? 本当のひとりぼっちは今なんかじゃなくて、きっとこれからなんだと思う。「街の中」だけじゃない。きっと「世界の中」で一人ぼっちにでもなるんだろうな。
最後にこの一年をまとめようか。
高校三年生の一年を一言で言うなら、「自己最高の一年で、自身最悪の一年」である。盛りだくさんだったな、この一年。
いやー、長かったな、この1本。疲れたな、さすがに。多分、4時間半ぐらいかかってる。
途中で嫌味なように感じるかもしれないが、今自分が本当に立ち向かわないといけないと思っていることに全力でぶつかった結果です。暖かい目で読んでくれると幸いです。でも、まだまだ問題は山積みだな。あと、こういうこと書いてる時が一番ひとりぼっちだなって感じる。どうせ共感してくれる人なんていないし。
こんな感じで高校三年生も終わりにしようかな。
ああ、あとnoteを始めました。カニデ・ウレシソって言う名前で始めました。読んでくれる人はいるのだろうか。ここで書いても意味はないけど。
4月上旬 入学式まであと13時間。始まりが遅えんだよな。
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