餃子のルーツを学ぶvol4 宇都宮餃子はなぜ生まれた?
こんにちは。学ぶ餃子vol4です。
今回のお題は、
宇都宮餃子はなぜ生まれた?
です。
それでは、ノートを机にペンは手元に、準備はいいですか?🥟
そもそも、宇都宮餃子とは?
とのこと。つまり、宇都宮内で餃子店の繁栄があってこそ宇都宮餃子が今もなお名を博していると考えられます。そこで気になるのは、宇都宮餃子を食べる宇都宮市民の餃子愛はいかほどか、ということ。
ここで、総務省の2022年家計調査から、宇都宮市のギョーザの年間購入額を見てみましょう。
以上からわかる通り、全国2位ということで宇都宮市民にとって餃子は家庭料理としてポピュラーな選択肢になっていることがわかります。
現在は2位であるものの、実はそれ以前、宇都宮市が1位をとっていた歴史も持っているのです。
とのことで、宇都宮市が上位にランクインしていたのにはかなり長い歴史があるみたいです。
そこで一つ疑問が浮かびます。
なぜ宇都宮市民はそんなに餃子を食べるのか?
続いては、宇都宮での餃子の起こりを見ていきましょう。
一般的には戦後の昭和時代にさかのぼると考えられいるようです。戦後、宇都宮市には多くの中国からの引揚者が定住し、その中には料理人や飲食店経営者も含まれていました。彼らが持ち込んだ餃子の技術やレシピが地域に広まり、宇都宮餃子の基礎が築かれたと言われています。
例を挙げると、
とのこと。つまり、中国からの引揚者から経営者へ餃子の文化交流が起こっていたとも考えられるのではないか、と思います。餃子知識の輸入と伝達が、宇都宮餃子の発祥において重要な役割を果たしていたといえます。
続いて少し時代は進み、2年後の昭和28年。また新たな餃子店が生まれたようです。
この時代には、中国料理人から日本人餃子店経営者への餃子知識の交流が行われていたことがわかります。
そうしたこともあり、宇都宮には餃子の店の豊富さもさることながら、独自の餃子文化が根付き、餃子を愛す人々がたちまち溢れるようになったのではないでしょうか。
その後、餃子で町おこしをしようと考えた宇都宮市役所の職員たちは、任意団体「宇都宮餃子会」を発足。また、「宇都宮餃子」を観光資源としてさまざまなイベントの開催、餃子マップの作成、餃子駅弁の販売、餃子像の建設などに力を入れ、現在では年間約80万人が宇都宮に餃子を食べに来るほどになったそうです。
現在、宇都宮市内には多くの餃子店があり、宇都宮餃子祭りを年に一度開催されています。2022年には餃子祭りが3年ぶりに開催され、約30店舗の餃子店が宇都宮城址公園に集まりました。また宇都宮市外でも宇都宮餃子を提供する店舗やレストランが増えており、その影響力は広がっています。
まとめると、宇都宮餃子の誕生には、中国からの引揚者による餃子の技術やレシピの輸入、中国の餃子文化を取り入れた餃子店経営者と餃子を愛する宇都宮市民の存在、そして宇都宮を盛り上げようと取り組む宇都宮市の活動が関わっていることがわかりました。
宇都宮に足を運ぶ機会がありましたら、宇都宮餃子をぜひご堪能あれ☺️
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