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【突撃!隣のCTO】 常に新人になれるかが成長の鍵 株式会社リンクアンドモチベーション開発責任者・柴戸 純也さん Vol.15

様々なCTOにキャリアや原体験、これからの野望などをインタビューする、techcareer magazine(テックキャリアマガジン)とのコラボレーション企画「突撃!隣のCTO」。

今回は株式会社リンクアンドモチベーション 執行役員 開発責任者の柴戸純也さんにお話を伺いました。自分をあえて厳しい環境に置き続け、億単位の売上創出や上場などの高い目標を達成されてきた柴戸さん。大切にしている価値観は、“常に新人になれる力” だそうです。いつも学ぶ姿勢を忘れずキャリアを歩まれてきた柴戸さんのお話は、エンジニア以外の全てのビジネスパーソンに参考になること間違いなしです。

※お話内容や経歴等は全て取材時のものです。


■プロフィール:柴戸純也さん

大手IT企業を経て、フリーランスとして技術力を磨いた後、2つの企業で執行役員を勤め、1社を上場へと導く。「社会を前進させるプロダクトをつくりたい」という思いから、2018年にリンクアンドモチベーションにエンジニア社員一人目として入社。現在は、モチベーションクラウドシリーズの開発責任者を務めると同時に、グループ全体のDXを牽引。2022年1月より執行役員に就任し、テクノロジーの力で「第二の創業」を推進している。

■手に職をつけるためにエンジニアを目指す

―エンジニアになろうと思ったきかっけはありますか?

学生時代に将来のことを考えた時、エンジニアになれば有利になると思ったからです。当時は、今と比べるとエンジニアはそれほど注目されていた職業ではありませんでした。しかし、将来絶対に需要が出てくると思ったんです。もともと数学や物理が得意だったこともあり、大学進学時に情報科学科を選択しました。これがエンジニアになるきっかけですね。

―なぜ「エンジニアは、将来絶対に需要が出てくる職業だ」と思ったのですか?

友だちのお父さんの影響です。子供の頃、近所の友だちの家に高価なコンピューターが置いてあったんです。私はゲーム好きだったので、すごく興味を持ちました。そして友達のお父さんに、「これは将来絶対に役に立つ」と言われたんです。私は育ててもらった環境が母子家庭ということもあり、母の背中をみて育ちました。そのような環境も影響し、中学生の頃から「食べていくためには何をすれば良いか」ということをいつも考えていました。将来は、手に職をつけようと意識していたこともあり、友達のお父さんの話が自分の心に刺さったんだと思います。

―情報科学を学んでいたとのことでしたが、学生時代に実際にプロダクトを開発されていたのですか?

大学では、プロダクト開発はしませんでした。授業で、コンピューターサイエンスやC言語などを学んだだけですね。当時はインターンも今ほど盛んではなかったので、プロダクト開発に関われる機会があまりありませんでした。初めてものづくりをしたのは、社会人になってからです。

―大学に入ってからは、ずっとエンジニアになろうと思っていたのですか?

そんなことはないです。正直、当時はプログラミングが好きかどうかはわかりませんでしたが、得意かどうかはやってみないとわからないと思いエンジニアを目指しました。私は幼少の頃からスポーツが好きで得意だと思っていました。しかし、将来のラグビー日本代表の友人に出会い、「自分はラグビーが好きだけど、得意ではないんだ」ということを痛感しました。そうかと思えば、自分には全く向かないと思っていたアメフトを、友人の誘いでしぶしぶやってみたところ、没頭するくらい楽しくなりました。忙しい社会人になってからも続け、結局26歳頃までやっていたんです。その体験から、好きと得意、嫌いと不得意なんて全く一致しないと感じたので、得意かどうかわからないプログラミングもまずは挑戦し、没頭してみないとわからないと思い、エンジニアになることを決意しました。

■没頭するために、あえて一番厳しい環境を選択

―実際にファーストキャリアではプログラミングに没頭できましたか?

実は、最初の職場は3ヶ月で辞めてしまいました。その理由は、与えられたキャリアコースがプログラマーではなく、最初からSEになるコースだったからです。プログラマーとしての経験を積まずにSEを目指すとなると、中身のない監督者になってしまうのではと不安を感じました。当時、いずれはなんらかの責任者を務めたいとは思っていたものの、まずは基礎からプログラミングの経験を積み、技術を身につけたかったんです。それが実現できない環境だとわかったので、辞めることにしました。

―波乱のファーストキャリアですね。その後は、どうされたのですか?

一度福岡の実家に帰りました。しかし当時、福岡にはプログラミングができる会社がそれほどなく、東京に戻って会社を探すことにしました。色々な会社を見た中で、一番厳しい環境に身を置きたいと思い、知人に紹介してもらった金融機関の大規模プロジェクトに参画できるSES会社に転職しました。スポーツの経験を通して基礎の大切さをわかっていたので、とにかく量をこなして徹底的に基礎を身につけようと思ったんです。約3年猛烈に働いた後、フリーランスに転身することに。ある程度技術力もついてきたので、自分で仕事を取ってきて納品し、税金の処理なども含めて一通りのサイクルを自分自身でできた方が良いと思ったんです。

―フリーランス時代はどのような開発をされていたのですか?

フリーランスになってから色々な会社にお声がけいただいたのですが、まずは一番厳しくフィードバックをしてくれた社長の会社に参画し、ECサイトの開発などに取り組みました。その後は、スタートアップや、産業技術総合研究所(産総研)のプロジェクトに参加し、様々な経験を積むことができました。フリーランスを経験したのち、その時に関わっていた知人の受託開発会社に、7,8番目ぐらいのエンジニアとして入社することにしました。

■大きな目標を達成することにコミット:億単位の売上創出と上場を経験

―なぜ知人の受託開発会社に入社しようと思ったのですか?

会社の方針がすごくおもしろかったんです。「顧客のことを徹底的に理解しよう」、「営業や事務を置かず全部自分たちでやろう」という考えのもと、最小限の人数で最大限の売上を作って社員に還元しようとしていました。そのため、請求書などの作業も全部自分たちでやり、社長が会計係をするといった体制でした。私自身、何でも自分でできるようになりたいと思っていたので、この環境は魅力的だったんです。「40人で20億円の売上を出せば、みんなが幸せになれるのでは」という若い考え方でした。

―最終的に、「40人で20億円」という目標は達成できたのでしょうか?

無事達成できました。しかし同時に、次に何を目指したら良いのかわからなくなったんです。その会社では、家族のような雰囲気をつくることができたと思います。本当にいい会社でした。しかし自分の成長を一番に考えた時、上場というスケールを求めに行く環境に身を置くことが最適だと判断しました。そして、当時は未上場のアドテク企業だったジーニーに課長代理という役職で転職しました。

―柴戸さんのそれまでのご経歴を考えると、もっと上のポジションでも良いのではと思いました。何か理由があったのでしょうか?

転職に失敗した方を見てきましたが、その多くが役職を一気に上げて転職したケースでした。求められる期待に対して、評価を気にして焦りが強くなり、周囲との関係をうまく築きづらいことが主な原因なんだと思います。そのため、あえて最初は給料と役職に拘らず、成果を出せばきちんと評価をしてくれるジーニーに入社しました。

―上場を目指している会社はどのような雰囲気でしたか?

職場にはかなり緊張感が漂っていて、特に上場直前の「失敗したらやばいぞ」という雰囲気にはしびれました。昇降格も頻繁に発生していましたね。最終的には無事に上場でき、良い経験をさせていただいたと思います。

―受託開発会社と事業会社を両方ご経験されていますが、どのような違いを感じましたか?

たとえば、受託開発会社だと事業会社に比べ、今やっている案件に飽きた場合は、希望に応じて業界や担当領域、使用技術を比較的変えやすいと思います。しかし、まだプロダクトが少ない事業会社だと、それはなかなか難しいです。また受託開発会社は、難しい局面で意思決定をお客様に委ねられます。一方で、事業会社では自分たちであらゆることを決めないといけないので、意思決定の回数が圧倒的に多いという大変さがあります。良し悪しの話ではないのですが、こういった違いを感じましたね。

■数値目標だけではサステイナブルじゃない! “仕事” のモチベーションを上げることに狙いを定める

―上場という大きな目標を達成した後、どのようなキャリアを歩まれてきたのですか?

上場を達成し、40歳という節目が近づくにつれて、自分のキャリアを再度見つめ直しました。今まではスキルアップや売上、上場といったわかりやすいことを目標に頑張ってきました。しかし目標を達成する度に、「次はどうしようか」と考えていたんです。「このまま、単なる数値目標を達成し続けるだけのキャリアを歩んで良いのか」と疑問を持ち、自分が何をすべきかを改めて考えました。まず、やるならば、人にとっても自分にとってもなくてはならない、かつインパクトが大きい領域を考えました。人間のベーシックなニーズを満たすような、なくてはならない領域…衣食住、医療…と考えていくうちに、社会人の多くの時間を占める “働く時間” に目を向けました。多くの時間を費やしているにも関わらず、日本ではこの領域において問題が山積みです。先進国の中での生産性の低さや、働く時間が原因で自ら命を断つ人はまだまだ多く、とても悲しいことです。働く時間は、幸せをもたらしますが、たくさんの問題がある時間ですよね。だから「この時間をを良くすることで、世の中に大きなインパクトを与えられるんじゃないか」と思ったんです。ちょうどそう考えていたタイミングで、リンクアンドモチベーションからお声がけいただき、1人目のエンジニアとして入社することになりました。

―1人目のエンジニアだったんですね。どのような経緯で入社されたのですか?

エージェントさんからお声がけいただいたのがきっかけです。先に述べたように、仕事や働く領域に関心を持っていたので、自ずとリンクアンドモチベーションの事業に興味を持ちました。話を聞いてみて、「エンゲージメントで、組織と個人の課題を解決する」というサービス内容に共感。8回の面談、面接を経て入社することになりました。その頃の社内にはエンジニアのことが分かる人がおらず、CTO協会の松岡さんや広木さんにも面接していただきました。

■成長の源泉は、自分の無能力感にぶち当たること

―これまでの経歴の中で、エンジニアとして大きく成長した出来事はありますか?

トラブルが起きた時に、大きく成長してきました。例えば、データを復旧できないレベルの不具合に直面したときは、腹を括って謝罪するしかありません。事前に防げなかった反省や、自分の無力さを実感しました。今になって思い返すと、こういった無能力感や、後悔にぶち当たった経験が自分を強くしてきたと感じています。新人やベンチャーの社長は、ある程度経験を積んできた人に比べて大きく成長しますよね。それは、自分の能力ぎりぎり、もしくは能力を超えたことにチャレンジし、無力感や無能力感にぶつかる回数の違いではないでしょうか。ビジネスパーソンにとって26〜30歳の時期は、一番天狗になってしまいがちと言われています。しかし私の場合、この時期はフリーランスとして日々無力感に襲われまくっていたので、貴重な成長の機会になりました。

―今後、どのようなエンジニアが求められると思いますか?

前提として、一つの技術に特化しているタイプ、フルスタックといったバランスタイプなど、いろんなエンジニアがいて良いと思います。しかしプロダクト指向で開発ができるエンジニアは特に重宝されるのではないでしょうか。プログラムを書くだけじゃなく、経営課題や事業課題、お客様の課題をどのように解決するかを考えて開発できるエンジニアは、あらゆる環境で活躍できるはずです。

―柴戸さんは、大学でコンピューターサイエンスを学んでエンジニアになられています。コンピューターサイエンスの知識は、エンジニアにとって必須の知識だと思いますか?

必須ではないと思います。現在はフレームワークが充実しているので、極端かもしれないですが、深い専門知識がなくてもプログラミングは可能です。一方で、めちゃくちゃ高トラフィックなシステムを作る時など、難しい問題を解く時は、コンピューターサイエンスの知識が必要になってきます。そのため、私自身は大学でコンピューターサイエンスを学んで良かったと感じています。

■いつでも新人になれるかどうかが成長の分水嶺

―いちエンジニアとして大切にしている価値観はありますか?

“いつでも新人になれる力” ですね。技術進化のスピードがめまぐるしい現代は、常に新しいものが出てきます。今日の正解は明日の不正解、今できないことも来年にはできている、など変化の激しい時代です。それらを自分の力だけで全てキャッチアップすることはかなり困難。役職が上がっているのに、教えることよりも教えられることの方が多くなってきていると感じています。そうなってくると、偉そうにすることなく “新人のように素直に学ぶ姿勢” を持ち続けられるかが重要だと思います。言い換えると、教師ではなく生徒でいられる力ですね。

―ここまでお話を聞いて、最初「まずは没頭してみよう」と飛び込んだエンジニアの世界はどうでしたか?

結局、電車でもプログラミングをするくらい好きになりました(笑)。今では、エンジニアの道を選んで良かったと思っています。

■野望は組織の問題を解決するイノベーションを起こすこと

―開発責任者・経営者として取り組んでいることを教えてください。

現在だけじゃなく、3〜5年後の未来を描いて成長させようとしています。将来的にミッションを実現させたいのはもちろんですが、Howの部分では、コンサルティングのオートメーション化、コンサルティングのDXを実現させたいと考えています。たとえば、大量のデータで溢れた現代において、人間の認知が及ばない小さな因子が、結果に大きな影響を与えることがあります。そういった因子を認知した上で打ち手を予測し、システム化することを目指しています。もちろん、人間だからこそ出せる価値も当然あるので、7割をオートメーション化するイメージです。これによって、コンサルタントは3割の部分での価値創出にフォーカスし、その価値をさらに研ぎ澄まして深めることが可能になります。結果的に、全体としてよりクオリティの高い価値を提供できるはずです。「そんなのできないよ」と思われるかもしれないですが、そういうものこそ自分がやるべきだと思っています。かつて、ガラケー時代にスマホが出てきたときは、多くの人がスマホを馬鹿にしていたのと同じですね。

―柴戸さんのこれからの目標や野望があれば教えていただけますか?

組織の問題を解決し、誰もが安心して働ける世の中を実現したいと思っています。ペニシリンという抗生物質やX線の発見は、人類と病の戦いを大きく前進させました。一方、組織の問題には古代からずっと悩まされています。現時点では、人類に組織の問題を解決する画期的な技術は無いとも言えます。私は、その技術を創り、届けるチャレンジがしたいと思い、リンクアンドモチベーションに入社しました。多くの人にずっと使われるサービスを創り、一人ひとりが尊重されて、自分が主役と思えるような社会を実現させたいです。

■プロダクト指向で一緒に課題解決ができる仲間を募集!

―次に、貴社のミッションや事業について教えていただけますか?

私たちは「良い会社の定義を変える」ことをミッションに掲げています。これまでは “良い会社” というとP/LやB/Sなどの事業面でしか評価されていませんでした。しかしその事業を支え、成長させていくのは、まぎれもなく “人” であり “組織の力” です。「利益が出ていればいいよね」ではなく、“人” や “組織の力” という側面も含めて “良い会社” と定義されるような世の中にしていきたいです。私たちは、それを創業当時からの事業であるコンサルティングと2016年にリリースしたモチベーションクラウドシリーズでミッションの実現を目指しています。モチベーションクラウドは、組織状態を “エンゲージメントスコア” として可視化し、従業員エンゲージメント向上のサポートをするプロダクトです。創業から蓄積されてきた組織人事に関する膨大なデータと、変革実績から得られたナレッジやノウハウを、テクノロジーの力でプロダクトへ落とし込み、より多くの “人” や “組織” に変革の機会を提供していきます。

―最後に、どのようなエンジニアと一緒に働きたいかを教えてください!

古代から悩まれ続ける組織の問題を解決することは一筋縄ではいきません。だからこそ “技術の先にある課題を解決したいと思える人” と一緒に働きたいですね。技術力がなくても、課題解決への共感があれば後からついてくると思います。正直、当社ではやりたいことに対してまだまだエンジニアの人数が少ない状況です。現在の30人から100人くらいに規模を拡大して、新しいプロダクトもどんどん作っていきたいと考えています。当社のビジョンに共感していただける方をお待ちしています!

■取材を終えて

スタートアップから大企業、SIerや事業会社と、様々な環境で開発に携わってきた柴戸さん。その全てであえて自分を厳しい状況下に置き、無力感を感じながら、もがいて成長してこられた姿が印象的でした。そんな怒涛のキャリアを淡々と、わかりやすいたとえ話も混ぜながらお話しさる柴戸さんからは、経験に基づいた底知れない余裕を感じられます。エンジニアとして、ランクが上がるにつれて教わることが多いと言い切る姿勢にも惹き込まれました。これからもまだまだ進化されるであろう柴戸さんが、古代から続く組織課題に、革新的なイノベーションを起こしてくれる日もそう遠くないかもしれません。

(取材・執筆:techcareer magazine