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【突撃!隣のCTO】転職を重ねて辿り着いた「ネガティブな状態に置かれている人をフラットに持っていきたい」という願い  株式会社トラストバンク CTO・山崎 賢さん Vol.2

様々なCTOにキャリアや原体験、これからの野望などをインタビューする、techcareer magazine(テックキャリアマガジン)とのコラボレーション企画「突撃!隣のCTO」。

今回は株式会社トラストバンクのCTO山崎賢さんにお話を伺いました。複数の大手企業で新しいサービスを立ち上げ、500人から1,000人のエンジニアを束ねた実績をお持ちの方です。恵まれた現状に甘えることなく、転職を重ねチャレンジし続けた先にあるものとは。お話を伺いました。

※お話内容や経歴等は全て取材時のものです。


■プロフィール:山崎 賢さん

神奈川県出身。ふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」を企画・運営する株式会社トラストバンクCTO。ベンチャーから大規模なサイトに至るまでエンジニア/管理者として多様な経験をし、2020年より現職。日本CTO協会所属。子供とビールをこよなく愛すCTO。「やまけん」の愛称で呼ばれることが多い。

■山崎さんが転職を重ねて至った、CTOとしての「価値」について

ーエンジニアを志した原体験とキャリアの出発点を教えてください

幼少の頃から「機械いじり」が好きで、電化製品を解体して組み立てる遊びをしていました。それがエンジニアの原体験です。「パソコン系の仕事は面白そうだ」と思い、大手SIerに新卒として入社し、4年間ほど業務系のプログラムを作っていました。iモードのサービスが出始めた頃で「携帯でインターネットをする」仕組みを担当していました。その頃に使用していた言語はCとC++と一部Java、そしてアセンブラでした。これらの言語を半年くらいで覚えました。特にアセンブラは、プログラムを機械が翻訳すると「パズルみたいな感じ」で面白かったです。

ーゼロから勉強されたんですか?

幼少期から「機械いじり」が好きだったので、比較的、習得は早かったと思います。「どのようにして動くんだろう?」という知的欲求ですね。C言語は動いているOSに近い言語ですので「OSがどのようにして動くか?」から入ると理解しやすかったと思います。バラバラにして、そこから理解していく「機械いじり」の延長です。

ー大手SIerを卒業した後は、どうされたんですか?

Yahoo!に転職して、ヤフオクの開発エンジニアに配属されました。事業会社で誰でも知っている、まさにメインストリームのサービスに関わることができ、自己実現欲求が満たされました。担当したのはヤフオクのシステム改修業務です。他にもヤフオクからスピンアウトしたサービス「官公庁オークション」を立ち上げました。エンジニアとして「責任を負う」という立場で初めてリーダー職を経験し、仕組み作りや納期、人の管理も含めて緊張感のある状況でした。Yahoo!では顧客を集客することが価値として認められる「顧客最優先主義」を掲げており、それが今の自分の考え方の原点になっています。

ーマネジメントなど、新たな挑戦もすることになったんですね。

僕が入社した頃は社員数も少なかったのですが、その後、爆発的に人が増え、エンジニアというよりも人に教える時間が相対的に長くなりました。頼ってもらえて嬉しい反面「まだそこには早いだろう」という、自分の中で消化し切れない思いがありました。そんな思いを抱えるなか、リスペクトしていた先輩がYahoo!を卒業することに。、「あるベンチャー企業で開発の組織を作るから手伝ってくれ」とお願いされて、自分も卒業を決めました。「このままでは大きな企業のカルチャーに甘えてしまう」という不安と、「リスペクトする先輩と働きたい」という思いが強かったと思います。

ーその尊敬できる先輩は、どのような方でした?

エンジニアリングとしての能力が高く、面倒見が良く、人間力も高い人でした。「この人がお兄さんだったらいいな」と思っていました。困っている時なんかに、人前では何も言わず、「顔色悪いけど大丈夫か?」とメールを送ってきてくれる、気遣いがある人でした。

先輩と共にベンチャー企業に入社し、新規でソーシャル系サービスを立ち上げました。「どんなエンジニアを採用する?」「インフラをどこに構築する?」「ネットワークの設定をどうする?」といった、開発の組織づくりから全て任され、最終的にソーシャル系のサービスを3つリリースしました。しかし、立ち上げた3つのサービスは全滅してしまいました。エンジニアとして作ることには自信を持っていましたが、ビジネスとしての設計を詰め切れず、目標を達成できませんでした。「作るだけでは世の中に価値を届けることができない」と自身の未熟さを痛感しました。そして、「作るだけではなくビジネスや課題解決を学びたい」と思いリクルートへ転職しました。

ーなぜリクルートだったんですか?

転職する前からリクルート出身者と一緒に仕事をしていたこともあり、「新しいものを軌道に乗せていくカルチャーがある」と確信していたんです。その頃のリクルートは分社化する前で、入社直後はホットペーパービューティーの開発責任者として全国の美容師さんが使う「サロンボード」という業務システムを担当していました。その後、ホットペッパーグルメやじゃんらん、Airレジ系システムの一部を開発する組織長になりました。エンジニア組織の人員は500人から1000人ぐらいいました。

ーリクルートで学んだことを教えてください

「お前は手を動かすな」というところから始まりました。「君が考えることは今を作ることじゃなく未来を作ることだ。中長期を考えなさい」と教えられました。その思考によって、自分の脳が「アップデートされた」と思いました。他には採用や育成などの分野でも、多くを学ばせてもらいました。

ーリクルートにはどれくらい在籍されたんですか?

6年間ですね。会社にも仲間たちにも本当に感謝しかなく、辞めたいという気持ちはなかったのですが、「ビジネスを学んだ上で、どう社会に貢献して影響力を出せるか」をもっと突き詰めたくなって、卒業を考えました。もしリクルートに居続けた場合に語弊はあるかもしれませんが、「リクルートという大きな組織の影響力に自分の想いが潰されてしまうかもしれない」という不安も抱くようになって。ビジネスマインドや中長期の思考がインストールされつつあったので、「ベンチャーなど技術力とビジネス力が合わさった環境でチャレンジしたい」と思い、日本最大級のあそびのマーケットプレイス「asoview!(アソビュー)」を運営する、アソビューという会社へ転職しました。

ーアソビューへ転職した理由を教えてください

アソビューの社長がリクルートの出身ということもあり、共通の知人がいました。そして、驚くべきことに社長と元CTOが私と同じ高校出身で運命的な出会いを感じました。ここから私のCTOとしてのキャリアが始まります。入社した頃は「さぁー、俺は何をやるか」という勢いでしたが、ベンチャー企業では中長期的な思考はあまり必要なく「今」が重要でした。実際、目の前の課題の方が大きく、CTOという名の下に泥臭いことをしていました。自分でコードを書き、バグを修正し、採用も担当していました。その後、開発体制を整え、中長期的な思考を持てるような余裕が出てきた段階で今後の人生を考えるようになりました。そんな想いを抱きながら、トラストバンクへ今年(2020年)5月に転職しました。

ートラストバンクへ転職した理由を教えてください

元々、大学は獣医学部でしたが、獣医になることを諦めました。職業とするには「辛い」と感じたからです。しかし、今になっては「辛いから諦める」というマインドはありません。そして、今後の人生を考えるにあたって、職業を超えても「自分は世の中に、どのような貢献をしていきたいのか」と自問自答を繰り返し「課題を感じている状態に置かれている人をフラットに持っていきたい」という考えに至りました。そのタイミングでトラストバンクを知りました。取り組んでいる地方の事業は、今まさに九州や東海地域を襲っている豪雨被害などの災害もそうですが、「課題を感じている状態のものを力づけていく」という思いがあり、そこに身を置きたいと思ったんです。

■開発手法に捉われない、山崎さん独自の開発スタイル

ー技術責任者として今取り組んでること、これから取り組みたいことを教えてください

CTOとして中長期的な視点で重みを持って活動することを意識しています。具体的には「どんな開発体制を作るか」「どういうアーキテクチャーを導入するか」です。時に、開発の手法やフレームワークはある意味で宗教的になってしまうので「課題解決と組織に合ったものを自分で創意工夫すべき」と思ってます。中長期的な視点を持つことによって得た考えとして、今後はサービス開発自体のマイクロサービス化を進めたいと思ってます。一般的な「マイクロサービス」という概念ではなく「色々な価値を貢献していくヒューマンリソースの中で、ソフトウェアがより他と干渉しないで独自性を持った開発ができるのか」というテーマで踏み込むつもりです。

ー経営陣の一員として今取り組んでること、これから取り組みたいことを教えてください

CTOの役割というのは会社の状態によって明らかに違うと思っています。小さな会社のCTOはテクニカル面での知識や経験を求められますが、大きな会社のCTOはどちらかというと「オフィサー」です。弊社ではその中間辺りかと思います。経営戦略と地域課題について「どのようにテクノロジーをシームレスに繋げていくのか」というテーマを持っています。

ー山崎さんが考える、これからあるべき技術者(エンジニア)像とは?

エンジニアという職業は専門職として成り立っていますが、長い目でみると一般化されていくスキルだと思います。今では、当たり前のように誰でもパソコン使いますが、30年前には考えられないことでした。パソコンを使うことが専門職だったのと同じようにエンジニアという職種は誰でもできる簡単で身近なものになっていくと思います。そうなると「ソースコードを書いてプログラムを書ける」ことにしがみ付くことは良くないと思っています。一番の仕事の価値は「課題を設定して解決する」ことです。それができるエンジニアが求められてくると思います。

ー山崎さんの「信念」「価値観」「大切にしていること」は?

「人の未来と成長にコミットしたい」と思っています。全ての人を成長させることは難しいかもしれませんが、誰かが困っている時に寄り添い続けることはできます。実は信念としてYahoo!の頃から心掛けていました。好きな言葉は「とりあえずやってみよう」です。やらずに 臆して止まっているよりは失敗した方が学びがあります。例えば、お恥ずかしい話ですが、中学生の頃から好きな子がいたら取り敢えず「告る」タイプでした(笑)。滅茶苦茶振られましたが・・・。

また幼少期の頃は転勤族でしたので「今いるこの場所が永遠に続く場所ではない」という考えを持つようになり「ズルズル過ごしていたら何もせずに別れる時が来て後悔する」という思いがありました。これが「取り敢えずやってみよう」という考え方の原点ですね。もう一つ日々の生活で大切にしていることは外に出ることです。モニター画面を見てプログラムをしていると視野が狭くなってしまうので、雲の流れや木々を見るとか、大きなスケールの中に一旦思考を飛ばした方が、本質的な考え方やアプローチができるような気がします。

ーこれからの目標や野望を教えてください

50歳を過ぎたら地方に住み、子供達のために塾を開きたいと思っています。今後「ITを学んでいるかいないか」が大きなアドバンテージとなり、教育の格差が出るからです。「山崎塾」から出た子供達が世の中に良い影響力を与えてくれたら嬉しいですね。

ー最後にお知らせしたいことがあったら、教えてください。

山崎:弊社は第二創業期のフェーズに入っています。エンジニアの組織作りやアーキテクチャーを含めて「どのように新しくできるのか」という提案を持った仲間を募集しています。一緒に働きましょう。

また、もう一つ大事なお知らせがあります。現在(2020年7月2214日)九州で大雨の被害が拡大しています。弊社としてもふるさと納税で災害支援ができるサイト(https://www.furusato-tax.jp/saigai/)を開設しています。すでに本日も43億円ものを突破する寄付が集まっているのですが、まだまだ助けを必要としています。引き続きふるさと納税を活用した被災地への災害支援を受け付けています。

現実に悲しんでいる方に対してトラストバンクとしてではなく災害支援をキーワードにして広めて頂けたら幸いです。是非ご協力の程お願い致します。

■取材を終えて

大手企業で経験を積み、今年5月に転職したトラストバンクで新たな挑戦に向かう山崎さんのキャリアジャーニーはいかがだったでしょうか? ウォーターフォールやアジャイル開発に捉われない「課題解決と組織に合ったものを自分で創意工夫すべき」という独自の手法を駆使した今後のサービス展開が楽しみです。山崎さんの旅はまだまだ続きます。

(取材・執筆:techcareer magazine