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ヨッシャマンVS怪人1号まっ子さん

ヨッシャマンをご存知でしょうか。
彼は、note上に実在するヒーローですが、勧善懲悪的正統派のヒーローとは一線を画す存在。
猿、鹿、蛇など小動物の言葉を解し、源泉を求めて旅をする「川のストーカー」でもあります。魔法の言葉の研究にも余念がなく、将来的には秘密結社のリーダーになるかもしれず。腸内細菌ゼンダマンを腸内で培養しつつ、現在は、絶賛不食の修行中──。
ミラーボールさながらの「多面体ぶり」が魅力の、ダークヒーローならぬ、ラーフヒーローです(ラーフヒーローっていう言葉、ありそうだなあと思って、記事を書く前にグーグルで探しましたが、ヒットしませんでした。ヨッシャマンさま、よろしかったら、ラーフヒーローという新しい称号、記念にお納めくださいませ)。

さて、そんな多面体的ラーフヒーローのヨッシャマンですが、最近また、その新たな魅力を発見しました。
それは、ヒーローなのに、怪人と戦わないところ!

実は、最近note界隈には、様々な怪人が多く出没しています。ヨッシャマンは、それら怪人の特徴やキャラクターをイラストに起こし、それを「怪人図鑑」にして「つぶやき」で発信中。
こちらは、その第1号「まっ子怪人」!

イラストに添えられた説明文をお読みいただくと予想できるかと思いますが、まっ子怪人はnoterさんであり、この怪人図鑑①は、ヨッシャマンが丁寧に読み込んだ「まっ子さんの記事の結晶」でもあります。
おもしろおかしく描いてありますが、まっ子さんの記事を愛し、しっかり読み込んでいなければ、こういう表現はできません。
モデルのまっ子さんのほうも、ご投稿を大変喜んでいらっしゃるご様子。

ヒーローなのに、戦うかわりに怪人を愛で、そして怪人に愛されてしまうヨッシャマン。

ヒーローが、みんな、そうだったらいいな!と、心から思います。
怪人と戦うヒーロー。
怪人に愛されるヒーロー。
どちらが本当に強いヒーローかと問われたら、わたしは、愛されるほうだと即答します。
だって、どんなに戦闘力が高くて、怪人を簡単にやっつけるヒーローがいたとしても、力で押さえつけるだけのヒーローでは、戦いはエンドレスに繰り返されます。
対して、怪人に愛されるヒーローなら、怪人は、既に敵ではなくて味方です。戦わずして世界に平和が訪れる。
これが本当の意味で強いということだよね!と、ヨッシャマンの活躍をみながら思うのです。

そのヨッシャマン、プロフィールにもある通り、武術を趣味にしています。
武術と武道の違いはありますが、実はわたしも、過去に武道をたしなんでおりました。
道場に通い始めたのは、社会人になったばかりの頃。ご縁をいただいて、達人とも超人とも形容できる先生のもとでお稽古に励めたことは、わたしの人生で最も大きな幸運のひとつです。

ヨッシャマンと怪人たちとの交流を嬉しく楽しく眺めながら、懐かしい大先生のお顔が心に浮かんだのは、その昔、道場の先輩が話されていたことを、ふと思いだしたからでした。
「大先生の強さは、虎をやっつけるのではなくて、ごろにゃん、と懐かせてしまうところだよね」と。
ヨッシャマンと怪人の関係と、少し似ていますよね。

当時、大先生のところには、あちこちの道場で師範を務められる錚々たる武道家のみなさんが、お稽古人として多く通われていました。大きな体躯の、みるからにお強そうな方々です。
対して、大先生は当時、齢90に差し掛かるというところ。若いときには体の大きな方だったと伺っていましたが、わたしがお会いした頃は、こじんまりした細身の体の、仙人のようなおじいちゃまでした。

それでもいざお稽古が始まると、立派な体躯のお稽古人が次々と、先生の指先ひとつで(実際には、指先すら触れていませんでしたが)、ぱあん、ぱあんと投げ飛ばされていくのです。
初心者のわたしは、そういうものを、ただ目稽古させていただく立場でしたが、大きな体のみなさんが、大先生にずかずか歩み寄っては、ぱあん、ぱあんと投げられていくさまを、息をのんで見守りました。
瞬きひとつできないほどの大迫力。けれど、それは乱暴さを一切伴わない、美しい舞のようなお稽古でした。

ほっそり小さな先生を空間のまんなかに、どっしり大きなお稽古人たちが、受け身の円や螺旋をくるくると描きながら四方八方に転がっていく──そのさまは、まるで大輪の花々が、大先生という古木の枝に、次々と咲いていくようにみえました。
受け身を取ったあと、すかさず目線を先生に戻すお稽古人たちの表情は、輝く花のような笑顔(強面でも笑顔は笑顔です!)。
相手を倒すのではなく、活かすことこそ本当の武の道なのだと──その光景は、わたしに教えてくれました。

それほど頻繁ではありませんでしたが、大先生から直々にお稽古をつけていただいたその記憶も、たからものの思い出です。
上段者の方たちにするように、わたしを投げ飛ばすことはありませんでしたが、ただ先生を打ちにいく、それだけの行為が、わたしにどれほどのことを教えてくれたか!
わたしの語彙で、それを表現しきるのは難しいことですが、わずかでも汲み取っていただける部分があるようなら、とても嬉しく思います。

例えば、相手が敵意を持って自分に打ちかかってきたとします。それに対して、自分も相手を打ち負かすつもりになっては、技は効きません。本当に、驚くほど効かないのです。
そうではなくて、相手の流れを汲み取る。敵意すら受けとめる。そうして相手の力と合流する。
映像的に表現するなら、相手が自分に打ちかかってくる姿を、水や風の流れとして感じ、自分も水や風となってその流れと合流する、同化する──そんな感じでしょうか。
そうして相手の流れときちんと同化できたなら……実はもうその時点で、相手は自分を打ち負かすことができないのです。だって同化しているのですから、ともに生きるしかないのです。
もちろん、自分側も同じです。もう既に相手とひとつのものなのですから、敵対する必要がない。敵対せずに、ともに練る。世界を描く。
そういうお稽古をしていると、そもそも「敵対」とは幻想であることが、はっきりと体感できるようになります。
大切なのは、敵と戦うことではなく、そもそも世界に敵はいないと知ること。

そして、それはつまり、ごろにゃんと懐いてくる虎との関係、あるいは、ヨッシャマンと怪人たちとの関係と同じですね!
「敵対」とは幻想である。
身を挺して、それをわたしたちに伝えてくれるヨッシャマンと怪人たちに、あらためて感謝の氣持ちを送ります!

最強のヒーロー、ヨッシャマン。そして、怪人代表まっ子さん。
最後に敬意を込めて、おふたりの記事をご紹介させてください。

ヨッシャマンのご投稿は、もうどれもこれも間違いなくおもしろいので、選ぶのに迷うのですが……せっかくなので、お嫁さんを募集されているこの記事を。
#20ヨッシャマンVS結婚」。

私が三度目のパートナーの募集要項に書きたいのは一文である。
「楽しく会話できる方」
これだけでいい。
好きな人と楽しく会話する。それ以上の娯楽がこの世にあるだろうか?
楽しい生活なら1人でも送れる。現に私は1人でも十分楽しい。でも、会話はできない。その至福は味わえない。
2人ならもっと楽しいのだ。

昼は戦友のように。
夜はお姫様のように。

私が今想像し得る、最も素敵な会話の始め方がある。
目を覚ました彼女に、私はこう言うのだ。
「今日はなにして遊ぶ?」

この素敵な表現に、ぴんとくる方がいらしたら……ぜひヨッシャマンのお部屋まで!

そして、大好きなまっ子さんの記事からは、読んだあと三日間は笑いがとまらなかった、このご投稿を。
「思い込みを超えた私。」

本筋に関係のある部分を引用してしまうと、読んだときのおもしろさが半減してしまうので、内容とはあまり関わりのないところをちょっと抜粋。

肌寒い部屋で、つめたい素麺を箸ですくった。
そして何を思ったのか、私は息を吹きかけた。

ふ〜。ふ〜。

肌寒かったからだろうか、それとも麺だったからだろうか。
私は無意識に冷たい素麺を冷まそうとしたのだ。

ご麺なさい。

ヨッシャマンが、ラーフヒーローなら、差し詰めまっ子さんはnote界のラーフヒロインといったところ(まっ子さん、突然こんな称号与えてしまって、ご麺なさい)。
なにしろ、吹きだしたら不都合な場所では読み始めないことを……強くおすすめします!

人を笑わせる文章を書けるってすごいなあ!と思います。
ヨッシャマンやまっ子さんと、この世界で出会えた幸運に心から感謝しています。いつも笑わせてくださり、ありがとう!

笑いって、無敵ですね。
そう、敵なし。
笑いのあるわたしたちの世界には、「敵」は存在し得ないのです。




付録:怪人図鑑情報。

5月17日現在、①~⑦まで公開済み。
ちなみにわたしも、怪人③として参加させてもらっています。


付録その2:みさぼんが投稿してくれた、「くりすたるる怪人」ヨッシャマンの脳内イメージ。
あんまり素敵なので、そして、noterさんたち、みんなのリレーが嬉しいので……こちらも付録として掲載させてください(こんな素敵なわたしの怪人、お恥ずかしいようですが、あくまで脳内イメージ。この怪人も、もちろん戦いません)。




こちらの記事に、数週に渡り、計4つのコングラボードが届きました。記事にご協力くださったみなさま、スキをくださったみなさま、本当にありがとうございました!

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