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体の中のクリスタル。

大好きなクリエイターさんのひとり、綾野つづみさんが、昨日、こんな記事を投稿されていました。

ものすごい……と形容したくなるほど、文章力のある方です。
マドラーで、読み手の心をぐるぐるぐるっ!とかき混ぜるような文章を書かれるので、そこから何を汲み取るか、も、読み手によって様々かもしれません。
記事の内容を、わたしがここで要約するのは惜しいようにも、僭越なようにも感じられるので、どうぞそれぞれに、綾野つづみワールドを楽しんでもらえたらと願いますが、わたしがこの記事によって「背中を押された」そのことを、簡潔にお伝えできたらと思います。

綾野さんは、なぜ書くか、なぜ書いたものを投稿するのか、について、独特の考察をされています。無数の言葉があふれるネット社会に、読まれるかもしれない、読まれないかもしれない、ご自分の新たな言葉を投入する意味は何か……ということを考え、ご自分なりの解を示されました。
その解を、わたしの言葉に意訳してよいならば、それは、「宇宙全ての記憶と知識を保管する図書館」に情報を提供すること。
一般に使われる言葉で表現すると、いわゆるアカシックレコードに、自分の情報を刻み、世界を拡大させること、といいかえられるかもしれません。

一般に使われる……という書き方をしましたが、アカシックレコードという言葉をご存知ない方も、もちろんたくさんいらっしゃると思います。
これは、人智学の提唱者、ルドルフ・シュタイナーの造語ともいわれます(他にも諸説あり)が、宇宙誕生以来のすべての記憶、情報が蓄えられている「記録層」を指す言葉です。
わたしたちの知的活動のみならず、感じたこと、行動したこと、すべてが記録として保管されている場所です。壮大な図書館とイメージすることもできますし、膨大な記録を保有したデータと捉えることもできます。どちらでも、腑に落ちるイメージで、どうぞ想像を膨らませてください。

さて、わたしは瞑想を趣味にしていますが、その時間に、アカシックレコードから情報を受けとるのは、わたしにとっては日常的な出来事です。
それを、すごいこと、とか、一般的でない、とか、捉えないでいただけたらありがたいと思います。
みなさんも、インターネットにアクセスして、必要な情報を調べたり、受けとったりされますよね。それと何もかわらないと思ってください。

インターネットを、わたしは、「模擬アカシックレコード」だと捉えています。
インターネットの普及していない時代には、「目にみえない無限の記憶の記録層」から個人が情報を取りだす、という行為は、想像すら難しかったかもしません。でもいまは、インターネットの普及のお蔭で、「あふれる情報の中から必要なものを取りだす」ということが、誰にとっても日常となりました。
ダウンロードという言葉からも、情報を「降ろす」という感覚は一般的になりましたし、指先ひとつで「ぽちっ」と情報が手に入ることにも、何の違和感もありません。

指先ひとつで「ぽちっ」。
アカシックレコードから情報を受けとるのも、それとほとんどかわりません。必要なことは、必要なときに、瞬間的に手に入ります。
あとは、その情報を受けとるスマホなり、パソコンなりを、自分に内蔵すればいいわけです。

パソコンなど、多くの電気製品には、水晶振動子という部品が使われているのをご存知でしょうか。
わたしは、パソコンなど電子機器そのものには精通していないので、その仕組みを詳しく知りたい方は、どうぞ、「模擬アカシックレコード」──インターネットで深堀りしてみてください。
ここでは、パソコンやスマートフォンの仕組みには、実は水晶が不可欠である……ということを共有したいと思います。

その水晶が、わたしたちがアカシックレコードから情報をダウンロードするためにも不可欠らしい……ということを、わたしは瞑想中に受けとりました。
何から受けとったかというと、アカシックレコード、それ自体からです(実際には、わたしたちに情報を与えてくれる発信源も、おそらくひとつではないのですが、ここでは便宜上、様々な発信源を総称して、アカシックレコードと表現させてもらいます)。

ところでみなさんは、三焦、という言葉をご存知でしょうか。さんしょう、と読みますが、五臓六腑、という言葉のほうが、馴染みが深いかもしれませんね。
五臓六腑。伝統中国医学で使われるこの言葉の中で、三焦は、六腑のひとつといわれます。
ちなみに五臓とは、心臓・肝臓・脾臓・肺臓・腎臓。六腑とは、大腸・小腸・胆・胃・膀胱・三焦。この中で唯一、実際に相当する臓器が見当たらないのが三焦です。
相当する臓器が明確でない三焦に対して、中国医学や経絡の世界では様々な解釈がなされていますが、わたし自身が「受けとった」のは、「三焦は三晶である」ということでした。

三晶。3つの水晶。
本当は3つに限らず、細かいものをあわせるとかなりの数になるはずなのですが、ここはややこしいのでシンプルに、「わたしたちの体の中には、3つの水晶があります」とさせてください。

ひとつは仙骨に守られるようにして下腹部に、もうひとつは心臓の裏側に、そして3つめは松果体にあります(わたしはそれぞれを透明なまあるい玉のように感じるのですが、人によっては、もう少し尖ったり、幾何学的だったりするかもしれません。また、この体内の水晶は、それを反射・反映させる形で、肉体の外側に「みえない体」を形成しています)。

これらの体の中の水晶が、いってみれば、わたしたちの体内に内蔵されるパソコンで、アカシックレコードから情報をダウンロードする鍵となります。
3つの水晶にはそれぞれに守備範囲があって、「情報やお知らせ」は松果体の水晶に、「情動や感情」は胸の水晶に、「肉体に必要なもの」は下腹部の水晶に受信されます。
この、体内に縦に並ぶ3つの水晶、三晶が転じて、三焦、となり、六腑のひとつに数えられているのではないか……とわたしは推測しています。

瞑想する時間は、わたしにとって、趣味、という以上のもの。なによりの喜びで、そこで「受けとった」ものは、「わたしにとっての」真実です。
それを文章にして広く発信する必要があるのかどうか、少し迷いながら過ごしていました。
「わたしにとっての」真実は、みなさんに必要な真実とは、少し違うかもしれない。そういう思いがあるからです。

けれど、そうだとしても。
「ただ発信する」ということの価値を示してくださった綾野さんのご投稿が、わたしの背中を押してくれる氣がしました。

つぶやくように、発信しよう。
感じたことも、学んだことも、降ってきたことも。

それが、インターネットで世界に広がる情報のひとつになるのなら。
アカシックレコードに刻まれ、人の叡智が育っていく、小さな一助となるのなら。
そして、読んでくださる方の心や意識に届いて、小さな振動となるのなら。

……なにより。体の中に水晶があるとイメージするのはとても楽しいです。その清々しさをみなさまと共有できるなら、ただそれだけで、とてもとても幸せです。


追記
こちらの記事に、コングラボードが届きました。スキをくださったみなさま、本当にありがとうございました!↓↓↓

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