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『サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-』感想

 どうもです。

 今回は、2015年10月23日に枕より発売された『サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-』の感想になります。ようやくクリアいたしました…。

 OP曲「櫻ノ詩」は本当に名曲なんです…神曲。美しいピアノの旋律とエモーショナルな歌メロ。せめて曲だけでも聴いて欲しい!と云うか、エロゲ界隈で留まってしまうには余りに勿体ないクオリティ。クリアした後に改めて見ると、解る部分も多くて良いムービーです。
 プレイのキッカケですが、本作のライター"SCA自(すかぢ)"先生が同じく手掛けた作品『素晴らしき日々~不連続存在~』が最高だったので。テーマ的にも繋がりもあるらしく、本当に純粋な流れです。また、続編に当る『サクラノ刻』の発売が2月24日に控えてあるのもありますね。

 では、感想に移りますが、受け取ったメッセージと、キャラクターの印象を書けたらなと。こっからネタバレ全開なんで自己責任でお願いします。


1.受け取ったメッセージ

 本作から受け取ったメッセージは細かく分けると以下の3つ、ですが、まとめると一つにもなるかなと。名言達を頼りに、順々に書いていきます。

①自分にとっての美を信じて欲しい
②幸福の瞬間は舞い込んでくるから生きて欲しい
③受け継がれ、生きる意志・意義・意味になるから

 "①自分にとっての美を信じて欲しい"は本作では、絵画を題材として書かれたものでした。なので、別に美しいものであれば絵画でなくても全然良いんだと思います。芸術作品なら何でも、もっと大きく言ってしまえば、自分にとっての"美学"なのかなと。Ⅴ章でも稟・香菜・直哉の3人がそれぞれ信じている美学を語ってくれました。稟は天才代表、香菜は凡人代表、そして、直哉はその両方どちらにも寄り添える中間的立場。どれも納得できる考えでしたが、中でも特に伝えたかった事は言わずもがな直哉の考えでしょう。

「人が作ったものなら、それは完璧じゃない。美に完璧は無く、人々の想いによって虚ろに変化する」
「人の美に一貫性は存在しない」

草薙直哉-『サクラノ詩』

「作品が何のために生まれたのか、何のために作られたのか……」
「我々が何のために作品を作るのか……それさえ見失わなければ問題ない……。そこに刻まれる名が、自分の名前では無いとしてもだ……」

草薙直哉-『サクラノ詩』

 美学そのものは、人それぞれであり、と云うのも人から人へと伝っていくのだから変化するものであると。人それぞれ信じている美学があって、どれが最も素晴らしいなんて決めるのは無理な話です。でもだからこそ、自分が信じた美学に対しては唯一無二のモノとして絶対に信じてあげないといけない。でなければ、評価される事なんて叶わないし、周りに響きはしないでしょう。ブレない人の方がカッコイイなと思いますよね。そして、己が信じる美学を以てする生き様は周りに影響を与えるものだと、本作で十分に味わったかと思います。何の為に生きるのか、誰の為に生きるのか。それがブレる事はなかった直哉の生き様によって、ヒロイン達がどんどん救われていきました。ムーア展に向けて、直哉と圭が互いに切磋琢磨する様子もそうですね。また、圭や真琴も以下の様に直哉を激励していました。

「言葉なんて無くったって、言葉以上のものが伝わる」 

夏目圭-『サクラノ詩』

「あんたは、自分が傷だらけになり、まるで散る桜の様に、その美しい翼の羽をまき散らしながら、それでも作品を作りだす」
「あんたの生き方はねぇ。その生き方そのものが作品と直結しているの」

鳥谷真琴-『サクラノ詩』

 音楽や絵画、詩など、芸術作品と呼ばれているものを別に残せずとも、生き様つまり人生こそが作品たり得るのだと思います。それはもう十分に。だから、自信を持って、自身の信じる美学だけはそれぞれが思う形で貫いて信じて欲しいと、本作は伝えてくれていた様に思います。


 "②幸福の瞬間は舞い込んでくるから生きて欲しい"は『素晴らしき日々(以後すばひび)』の再解釈的な意味合いもあるのかなと思っています。①で書いた様に美学を信じて生きろと。でも、その先に本当に幸福はあるのかと。その問いの答えを確かに受け取りました。結論は以下でしょう。

「一番うまくいってない時、一番クソな時が、一番生きてる時なんだよ」

草薙直哉-『サクラノ詩』

 これだけ切り取ると誤解を招きそうな言葉ですが(でも好き)、ちゃんと説明してくれています。

「世の中でもクソみたいなものは大事だ」
「それが感じていられるのなら」
「それは最高の生き方だ」
「何も感じる事が出来ないなら」
「生きているのか死んでいるのかわからない」
「苦しみを感じられれば」
「それだけで生きていける」
「生きていこうとするから、苦しい」
「身体が生きたいから、苦しい」

「そういえば、親父は死ぬ前にそんな事を言っていた」
「苦しい事は正しい」
「抗っているのだから」
「消滅から抗っているから」
「だから苦しい」
「身体の痛みを受け入れろよ」
「それが生きるって事だ」

草薙直哉-『サクラノ詩』

 父親の言葉も踏まえて語ってくれた事が個人的にはグッときましたね。特に難しい事はなく、彼の言葉通り受け取ればいいのかなと思います。基本的に世の中はクソ、すばひびの頃から変わっていません(同意)。後ろ指を指されたり、非難されたり、何か大切なモノを失ったりするかもしれません。もう死にたくなる位しんどい時もあるかもしれない。でも、それを受け入れて生きなければならない。もっと云えば、そーゆー時にこそ幸福を望み過ぎてはいけない。

「人にとって、度が過ぎた幸福は、苦痛でしか無く」
「不幸なんて苦痛は、幸福と背中合わせでしかない」

草薙直哉-『サクラノ詩』

 苦痛と幸福は背中合わせ。「苦痛と共になければ、良き物は生み出せない」と長山香奈も言っていました。苦痛は後々の幸福のスパイスにもなるんだと思います。生きなければ、幸福の瞬間を掴める瞬間は訪れない。生きてさえいれば、幸福の瞬間は訪れる。何が何でも生きるしかないんです。過去を後悔している暇もなければ、未来に不安を感じている暇もない。ただ今を受け入れて、それが正しいかどうかもまた自身で決めて生きるしかない。これについては、Ⅲ「Olympia」での直哉の言葉が印象に残っています。

「選択した事に後悔なんてしても仕方がない。それ以外の未来なんてないんだから」
「正しいか、正しくないかはその選択そのものではなく、それを受け入れる態度だけだ……」
「大事なのは物事を選択する事じゃない。選択した事実を受け入れる事。正しく未来を受け入れる事だ」

草薙直哉-『サクラノ詩』

 "人生山あり谷あり"とか、"人生は選択の連続"とか云いますが、実際その通りの部分もある。ではどうするのか。受け入れるしかない。「すばひび」でも触れられましたね。生まれたからには死から逃れらない、その揺るがない世界の在り方を肯定することで、生を肯定しなければならない。結局生きようとするか、しないか。その生きる意志の違いでしかなく、その意志による過程こそが何よりも大事であると。その過程は①の美学を形成する位とても価値あるモノだから。今後どう生きていくべきなのかに繋がっていく。
 また、幸福を望むのであれば、自身の幸福ではなく、他者の幸福を祝福する事を願っていました。こちらも、すばひびの代表的フレーズ「幸福に生きよ」です。健一郎や直哉の奉仕の精神は勿論の事、Ⅲ「ZPRESSEN」でも強く描かれていたかと思います。

「そんな辛気くさい顔しない!
私は祝福しているんだよ。二人が結ばれる事を」
「たぶん、誰よりも、私、私が一番祝福している」
「だって、だってさ。世界で一番、私が里奈の事大好きで……、
世界で一番、里奈には草薙直哉って男がふさわしいって事を知っている」
「そんな私が祝福しないわけがない」

川内野優美-『サクラノ詩』

 奇蹟なんかに頼らず、優美は苦しみを受け入れ、一歩を踏み出しましたね、これで良かったんだと。自分が好きな人、逆に自分の事が好きな人、その人達だけで全然構わないから、幸福を願ってあげるべきで、それができる人ほど幸福が舞い込んでくるものです。そして、その原理じゃないけど、幸福の瞬間と云うものは受け継がれていく話が次に続きます。


 "③受け継がれ、生きる意志・意義・意味になるから"は、正しくは、幸福の瞬間が受け継がれる事で、それがその人にとっての生きる意志などになる話。本作が「幸福の先への物語」って事で、メインメッセージにも当たるのかなと。"受け継がれる”と少し大層な表現をしましたが、ここで言いたいのは"因果交流"、心や世界を誰かと共有する事。主題歌『櫻ノ詩』の歌詞と、Ⅵ章ラストのモノローグでは以下の様になっています。

舞い上がる因果交流のひかり
きらめくいろにせかいが結ばれる

『櫻ノ詩』

弓張の夜景は、まるで散った桜の様に美しい。
たぶん、その一つずつの花弁、一つずつの灯りに、
それぞれの人の生活があるからだろう。
花弁は一枚でも美しい。
けれども、やはり数多くの花びらに囲まれた方がより美しい
人々の因果的交流灯。
数え切れない人々の因果が光を灯す。

草薙直哉-『サクラノ詩』

 "せかいが結ばれる"がまさしく"受け継がれる"、日々誰もが誰かの行動や想いに影響を与え、与えられ、何かを感じているものです。その現象を宮沢賢治の『春と修羅』の序文では"わたくしといふ現象"と称していましたね。作中でも血脈や交流を経た人間ドラマが描かれておりました。

「私は何事も、人との巡り合わせが重要だと思っている」
「人が自分一人の力で出来る事には限界があるからな」
「人の導き……天命みたいなものだと私は考えているが、そういったものが人生を大きく左右する」

夏目藍-『サクラノ詩』

「見た。見ないなんて関係ないのかもしれません。もっと言えばそれが何であるか、どの様な現象であるかですら……」
「ただ、大事なのは、その時、自分が何を感じ、何を思い、そして何を信じたか……だと思います」

草薙直哉-『サクラノ詩』

 人との巡り合わせの中で、もしくは①で書いた様なその人の人生が詰まった作品に対して何をどう感じるのか。悲しくなったのか、感動したのか、決意をしたのか、好きになったのか…。そしてそれは、その人の心や世界を、自分の中にも感じたからではないのか。健一郎さんや圭、ヒロイン達が直哉の描いた絵画を見て感動した瞬間がありましたね。

「だが、人が美と向き合った時」
「あるいは感動した時」
「あるいは決意した時」
「そしてあるいは愛した時」
「その弱き神は人のそばにある」
「人と共にある神は弱い神だが、それでも、人が信じた時にそばにいる」
「芸術作品は永遠の相のもとに見られた対象である。そしてよい生とは永遠の相のもとに見られた世界である。ここに芸術と倫理の関係がある」
「何も、永遠の相を保証するのに、絶対的な神なんていらない」
「人は、人のための神を感じ」
「そして、感動すればいい……」
「弱い神は、かよわき人々の美の中にいる」
「だから、そのかよわき神には意義がある」
「だから、俺は言うのさ」
「さぁ、受け取るが良い」
「この絵にやどった神は、永遠の相だ」
「この感動は一瞬だが、永遠だ」
「そして、そこに幸福がある……」

草薙直哉-『サクラノ詩』

 上記の言葉が全てでしょう。幸福の瞬間を与えた、その対象に閉じ込められた心や世界は、受け継がれたその人の中に在り、永遠になる。人生は十分に作品たり得ると先述しましたが、人生に"生"と"死"はあれど、これは始まりと終わりではない。過去と現在と未来を含んだ過程の中で、また誰かによって再び生まれる事ができる。存在する事ができる、誰かの心や世界の中に。そうして、幸福の瞬間は受け継がれていくのです。

世界の限界をこえる詩を
この筆にのせて とどけよ 私を超えて

『櫻ノ詩』

 そして幸福の瞬間というのは、必ず人の生きる意思や意義になるはずです。「幸福に生きよ」そう願った人が、自分の心や世界の限界を超えて、他者の心や世界へと手を差し伸べている。誰かが感動してくれた時、自分もその人も等しく幸福の瞬間をつかまえる。でもそれがいつか分からないから、後から幸福だったと気づく時もある。また、天才と凡人とあると区別されるのは事実ですが、それでも、誰かの為に想いが届くのであれば、そこに優劣は絶対にないはずで。決して悲観する事無く、ただ今を生きる事。
 改めると、その生き様は誰の目にも留まらずとも、同じ様に苦しんでいる誰かのたゆまぬ一歩に繋がる"勇気"になっているし。そして、その一歩は、必ずその人の世界を救う"希望"に変わるはずだと。だからこそ、誰にも知られず、見向きもされず、決して報われる事もなかった人も等しく報われる時があってもいい。幸せになってもいいんじゃないかとも思います。そして、世界と私はずっとずっと循環していく。

 ここまで色々と書きましたが、まとめると、作中の以下の言葉に集約されるのかなと思います(というよりコレを元に書いた)。

世界は、どんなに悲しい瞬間でも美しく。
そして、どんな幸福な瞬間でも醜い。
そういうものだ。
だから、俺達が生きる世界には、意味と意義がある。

草薙直哉-『サクラノ詩』

 この言葉が今でも心に響いていて、お気に入り。世界は醜いけど、醜いからから美しい。人生は苦痛を伴う時もきっとある。でも、どんな時でも自分にとっての美を信じて、生きてさえいれば、輝く幸福の瞬間は舞い込んでくる。生きる意志が宿る。それは"誰かの何か"からかもしれないし、"自分の何か"から誰かへかもしれない。その瞬間は一瞬だけれど、その先も永遠に循環し、次の誰かの生きる意志にもなる。だから、改めて生きて欲しい。本作は切にこれらの事を願っていた様に思います。

 受け取ったメッセージは以上になります。難解な部分もあったので、理解が浅いとか、読みづらいとか多々あるかもですが、何か少しでも感じ取って頂けたり、考えのヒントになっていたりしたら幸いです。



2.各章とキャラクターの印象

 ヒロインについては各√物語の感想も交えながら、印象を書いていこうと思います。※登場キャラ全員いないのはご了承ください

鳥谷とりたに 真琴まこと

 Ⅲ「PicaPica」で描かれたのは、真琴が母である鳥谷紗希と和解するまでと、ムーア展へ向けて天才達の為に文字通りの最善を尽くす話。
 前者は中村家側が視えないからか正直ややこしく、気持ち的には乗れず。良くも悪くも淡々としてましたが、本間麗華撃退に向けて協力し合う中で、真琴が紗希の想いを徐々に感じ取っていくのが解るのは良かったです。
 後者は残念ながら彼女の想う"本物"を手に入れる事はできず、寂寥感も残る終幕。ただ、彼女が直哉への恋が愛となり、嘗て叶えられなかった”大切な人と一緒に過ごす"、当たり前の日常は幸せだったはずで、その温もりや優しさに包まれる余韻もありました。
 真琴はとても繊細かつ敏感、そして誠実な娘でしたね。自己管理が徹底している上で気配り上手。直哉や母親に対して頑な一面は時に脆く危うさになるけれど、そうまでして彼女を突き動かしているのは何なのか。『櫻日狂想』でした。世界が変わった、救いだったと…彼女が言わんとしてる、何物にも代えがたい衝撃、あの感覚は体験として共感できるモノが多かったので素直にとても感動しました。だから、返しても返し切れない恩の様な、誰かの為に全力を尽くす姿が好きです。


御桜みさくら りん

 Ⅲ「Olympia」で描かれたのは、稟の過去が明らかになると同時に、彼女がそれと向き合う話。直哉とは幼馴染の関係で、再会を果たして、またあの頃の様に…って云うのは如何にもエロゲらしい文脈強め。でも同時に、ちゃんと2人を取り巻く過去に重みがあったのが良かったです。
 物語の鍵を握る吹の"忘れてしまった忘れ物"は、「わすれたんなら、わすれものじゃないなぁ…って思いました。それはいらないもんなんだって」(希美香-『素晴らしき日々』)を連想。そう、忘れてはいけない"記憶"だと直哉は稟に想い出させる決断をする。彼女の中で歪みが大きくなっていくも、その反動と共に表れていく"記憶"が収束に向けて綺麗に揃ってく流れはひとしお。稟と直哉それぞれが責任と向き合い受け入れていく。もうこれ以上は失わない様にと、掴んだ存在を絶対に離さないと。2人の絆・想いは過去から今…未来へ途切れずにずっと続いていくと安心できる終幕でした。
 稟は、何でも出来る娘で相手の気持ちを機敏に察知し、感情移入するのもきっと得意なんだろうなと。誰にでも常に明るく優しく振る舞えるのはメンタルの強さあってこそ。加えて、若干図太いと云うか、大人しそうに見えてズカズカ行く処は行くわよ!ってメリハリある感じが好きです。


氷川ひかわ 里奈りな

 Ⅲ「ZPRESSEN」で描かれたのは、過去から今に至るまで直哉、里奈、優美の3人の関係性が変化しながら、直哉から里奈へ6年越しの継承が果たされるまでの話でした。幼少期の頃は直哉から生命力を与えられた里奈、そして全てを断念した直哉に今度は里奈が愛情を与える。あの時と立場が逆転するのもやはり胸熱展開。劇中劇及び直哉の奉仕の精神を筆頭に、お互いがお互いの願う事によって紛らわしい事になるんですが、その関係性の変化、愛する人への想いに只々胸が締め付けられましたね。特に優美が誰よりも2人の幸せを願い、千年桜の奇蹟を否定するシーンは圧巻の"泣き"でした。個人的には本作最初のピークポイント。最愛の里奈を幸せにできるのは直哉しかいないし、直哉にも幸せになって欲しいと願う自分がいると。優美…好きだ…ってまじでなった。"死"を享受してこその"生"である事を象徴し、その先を行く様な、糸杉を描いたラストも良かったです。
 里奈は妹系幼馴染ポジションだけど、優美との関係も大切にしたいし、基本的には尽くし体質なのでNOと言えない甘える事が苦手なんだろうな…と云うのが透けて視える娘でした。でもだからこそ誰よりも一途で力強くてそこが愛おしくなるんだろうなと。デキる女感あるトコが好きです。


川内野かわちの 優美ゆうみ

 Ⅲ「Merchen」は、サブ√故の短めで、表題通り御伽話的な彼女の幸福が詰まった物語でした。幼き頃に生えていた牙と、その裏に抱えていた苦悩諸共を憧れの少女である里奈が包み込み、代わりに生まれる笑顔を愛でていく。こちらの√ではやっぱ優美よりも里奈が転向し仕掛ける形で、この√を後に読むと(ある意味正しい)違和感を感じましたね。夕焼けに佇み何とも言えないエモーショナルな余韻をもたらしてくれた「ZPRESSEN」とは対照的に、奉仕の精神を持ち合わせず、芸術家としての直哉に別れを告げるラストもまた印象的でした。本当にこれでいいのか…何かが足りない余韻。
 先述した「ZPRESSEN」でも強く描かれたように、優美は大事な人の為に怒って泣ける感情豊かな処が堪らなく好きですね。里奈という存在がいたからだとも思うんですけど、正義感も強く、弱さを隠してでも手を差し伸べるべき状況などを解っている。心の受け皿が広くて、それ故に寂しがり屋で。それを解ってかこの√では独占欲を垣間見せた里奈は新鮮でした。


夏目なつめ しずくすい

 Ⅲ「A Nice Derangement of Epitaphs」は、怒涛の過去回想と伏線回収で本格的な盛り上がりを見せてくれました。描かれたのは、直哉の父・健一郎との過去。そこから拡がって、稟と雫の関係もピースがハマっていく気持ち良い感覚と共にようやく判明。また、どうして吹が生まれたのかも。
 直哉が全身全霊で制作した贋作『櫻七相図』。そこで自然と込められた父と雫への想いが、作品を通して父へと伝わったシーンはとても良かったですね。記憶に残る名シーンだったと思います。この過去と、現在の吹の話を繋いでくれた言葉としては「願わくば、救われてほしい」だったかなと。
 雫によって具現化した吹の存在もそうですが、自分の為を想っていたのが、いつの間にか誰かの為になっている。幸福が幸福を呼び寄せ、因果交流の果てに生まれた存在は醜くも途轍もなく美しいんだと。そんな存在を共に愛せる直哉や雫達に感動せざるを得なかったです。また、その過程にあった描きたい、助けたいと思った信念が記憶にある限り、吹の様な存在をずっと認識し続けられるのだと。
 雫は死にも生にも直面し、心(自我)にも触れられる存在で。そんな彼女特有の溢れんばかりの優しさが滲み出ていて良かったです。やり取りの数々に自然と笑みが零れたし、最後には涙も見せてくれて。本当に優しい娘。
 吹は図太く強気な処が稟と似ていた様に感じました。一方で、口調や立ち振る舞いは雫寄りだった気がします。本作屈指の小動物系で可愛い。


草薙くさなぎ 健一郎けんいちろう草薙くさなぎ 水菜みずな

 Ⅳ「What is Mind? No matter. What is matter? Never mind.」で描かれたのは、水菜と健一郎の馴れ初めの話。本作でイチバン好きなエピソードだと、クリアした後でも胸を張って言える。普通にボロ泣きした。
 鮮明に視えてきた中村家の全貌、それを良しとして堪るかと奮起する健一郎と夏目家。胸糞なだけあって、もう痛快でした。紗希の思い通りにならず苦悩する処にも、水菜の良くも悪くも純粋な処も感情移入を誘うし、ボロボロになりながらも、一泡吹かせてやろうとする健一郎のカッコ良さ。水菜と協力し、オランピアの贋作を制作するシーンは、これがあの世界的芸術家・草薙健一郎かと…震えましたね。また、水菜の強さを認めた琴子さんも良かったです。そして、何と言っても、健一郎と水菜の告白シーン。健一郎の優しさ、語りも刺さって、こんなん泣くわな。心と身体は決して切り離す事ができない、違っていながら同じもの。でもだからこそ自分を苦しめず、幸福の瞬間を掴み取って欲しいと。そんな願いを此方も受け取りました。
 健一郎さんは、ただの超イケメンでした。コレは惚れるし、ヒーローだなぁと。いつでも自然体で、芯が真っ直ぐ、思い遣りもあって好き。
 水菜さんは、人一倍意志の強く、目標に向かって愚直に努力できる方でステキでした。個人的に声がかわしまりのさんで最高だった…涙声特に。


夏目なつめ あい

 Ⅴ「The Happy Prince and Other Tales」は、激闘を経ての再起、そして喪失と怒涛の展開でした。直哉が復活!と興奮する一方で、嫌な予感が的中する感じ、複雑で気持ちの良いモノではなかった…。こんなにも彼は頑張ってきたのになと。稟が遠くに行ってしまうのも寂しいし。藍のお蔭もあり、何とか立ち直ってくれて良かったです。終盤では3人が色々と語ってくれました。見る者がいなくても美の真理は存在するとする稟。世界と私が循環する様に美もまた流動的だとする直哉。その切り取った瞬間、私が美しいと思うものを絶対の美とする香奈。"人が何を信じて、美を創りあげるか"、興味深く、各々論ずる話にキャラ性が乗っかっているのがとても良かったです。
 Ⅵ「櫻の森の下を歩む」は、期待通り最終章に相応しい内容でした。年月が経ったからこそ、気づいた父親の言葉の真意。そして、あの時は後悔もあったけど今は"俺は、俺で正しかった"と確信する。それこそ新ヒロイン達との交流を力に新しく教会壁画を完成させ評価されたのが、彼のこれまでの生き様を肯定している様でした。「人と共にある神は弱い神だが、それでも、人が信じた時にそばにいる」「感動すればいい、その感動は一瞬だが、永遠だ」と、だから直哉があの時の皆との"想い出"と、藍と共に皆がいつでも帰ってこれる"居場所"を護り続けた事はとても意義あるものだと思えますね。
 藍は本当に小さな身体で大きな心を持った娘でした。ひたすら面倒見が良くて母性の塊。水菜さん譲りの捨て身の精神まで持ち合わせていて、男としては守りたくなる娘でもありましたね。人やモノを守り通す事がどれだけの事か解っているからこそ、直哉をずっと慕い愛していたんだと思います。


夏目なつめ けい

 朗らかな雰囲気や、優しさが滲み出る言動など、周りの人達から本当に愛されて育ったんだなと云うのが節々から汲み取れる。安っぽく聞こえてしまうかもですが、本当に人がい子でした。でも、きっとその自覚もあって、彼なりに恩返し的な気持ちが大きかったんじゃないかと憶測があります。だから周りにも自身にも絶対に甘えられないし、直哉に対しての絶大な信頼もあったのかなと。芸術の才能に加え、恐ろしい程の集中力を魅せて去っていった彼。『サクラノ刻』で更なる深掘りがされる事を願っています。


長山ながやま 香奈かな

 最初はよくわからず、表面上しか描かれなかったので何かあるんだろうなと。それが終盤で明かされた訳ですが、彼女の揺るがない信念がドタイプでした…共感できる処も多かったし。控えめに言って最高。彼女の行いは決して褒められた事ばかりではないけれど、例え嫌われてでも、どう思われようとも、絶対的に信じているモノの為ならば、手段を選ばない貪欲さだったり、その信じている存在を鼓舞する気持ちだったりは凄い解るなと。V章でこれまでの選択を後悔して自責の念に駆られた直哉に対して、喜びと怒りの複雑な想いを込めて奮起させたのは紛れもなく彼女だったなと思います。自分が選んだ道を信じて疑わない娘だからこそ彼に響いたんだろうなと。好きすぎる言葉なので、書き残しておきます。

「才能は凡人を裏切りますが、技術は凡人を裏切らない」
「努力で得た技術体系こそ、凡人の武器。凡人の刃だって、天才どもののど元に届く事がある」
「才人は、天才を惑わす技を持っている。
何故ならば、才人は凡人であるからです」
「描くという行為、その無限とも思える様な反復。それだけが凡人が天才を凌駕出来る方法です」

長山香奈-『サクラノ詩』


草薙くさなぎ 直哉なおや

 いざって時の行動力は父、健一郎さん譲りかなと。加えて、自分を後回しに、弱さを押し殺してでも、他者に寄り添い、どこまでも救いを追い求める姿は主人公像、もとい惚れるヒーロー像で素敵でした。自身の事は殆ど話題にしない(一種の諦めみたいな)し、異常な程の献身さで、それだけのエネルギーや能力を身体にはずっと秘めている。だからこそ彼自身にも救われて欲しい、幸せになって欲しいと云う想いが個人的には残ったまま本作を終えています。プレイヤーの僕以上に、作中のキャラ達の方がもっとそれを望んでいると思いますので、その辺りが続編で描かれたら嬉しいですね。



3.さいごに

 名作でした。ここまで強度ある物語とメッセージ性を両立できる方はそう多くはないです。高かった期待に十分応えてくださったし、久しぶりにすかぢ先生のエッジが効きつつも優しい文章を読めて良かったです。真琴√を手掛けた浅生さんの文章も理路整然とした丁寧な文章で読みやすかったです。
 本作は長い長い人生の一部分の日常を覗かせてもらった感覚があり、感動も最大瞬間風速系と云うよりは後から余韻がじんわり来る系。壮大な物語ではなく、ちゃんと地に足のついた学園日常モノだったので、プレイヤーである私達と何ら変わらない部分もあり、共感しやすい内容だったなと思います。もっと彼・彼女達の人生を見ていたいと心から思いました。
 また、すかぢ先生なので、哲学的な話はありつつも、その要素はあくまでメッセージ性を下支えするものでしかなく、最終的には愛すべきキャラ達からその考えが伝わってくる形。キャラ達が言葉にしても違和感がない様に、そして、物語として展開される様にするの本当に難しいと思います。でも、改めてすかぢ先生はキャラクターを描くのにとても長けている方だなと。この子はこーゆー行動を取るだろう、逆にコレは絶対言わないだろう、のラインがブレずに決まっており、そこへの誠実さが滲み出ていて。だから好きなんだと確信しました。そして、キャラを好きになっていき、その子達の言動だからこそ、心に響いてくるモノがありますね。いつかまた皆が弓張の街に戻ってきてくれたら嬉しいなと思います。

 イラストは、"基4"先生、"籠目"先生、"狗神煌"先生。もう全員好き。"基4"先生は水菜さんや紗希さんなど切れ長の目を持つ美人顔に惹かれます。"籠目"先生は真琴や藍、香菜ですね、頬の柔らかい感じが凄い好きです。"狗神煌"先生は稟、里奈、優美、雫、吹ですかね。シャープな顔立ちとメリハリのあるボディライン、そのギャップがとても良かったです。お気に入りのCG一枚選ぶなら、Ⅵ章の長山香奈ですね。背景も良き、髪下ろした方が美人。

© MAKURA

 声優さんは、全員ピッタリ、ハマり役だったと思います。キャラ数が多かった分、色んな方の声を聞けてお得感と満足感がありました。中でも繰り返しになりますが、"かわしまりの"さんが好きなので、水菜さん役でご出演してくださって嬉しかったです。泣きの演技がやはり神がかっておられる…。

 音楽はピクセルビーさん、ryoさん、松本文紀さん。本作をプレイする前から主題歌や劇伴を聴いていた位好きでした。もうサウンドも展開も美しすぎる。なので、改めて作品の世界に浸りながら味わう事ができて良かったです。真面目に全曲良かったんですが、「舞い上がる因果交流のひかり」「心象の中の光」「夢の歩みを見上げて」「空を舞う月 空を舞う翼」「花弁となり 世界は大いに歌う」「夜空は奏でるだろう」「舞い上がる因果交流」辺りが特に気に入っています。ボーカル曲は「櫻ノ詩」は勿論の事、「天球の下の奇蹟」が好きです。

 とゆーことで、感想は以上になります。
改めて制作に関わった全ての方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。これだけでも長尺な作品でしたが、まだまだ続くようで、続編『サクラノ刻』、そして『サクラノ響』まで本当に楽しみに待ってます。

 ではまた!

※次作『サクラノ刻』の感想はこちらから。


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