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けん玉紅白歌手・三山ひろしの功績と魅力

三山ひろしの紅白初出場は、自分の中でもとても大きな出来事で、隠居する時に社会人生活を振り返って自伝を書くとしたら、序盤にそこそこのページ数を占めることになると思う。思えば、クラウンに入って半年そこそこで、すぐに出向したから、プロモーション部に戻ってきてからデビューからちゃんと携わった初めての歌手かも。


主に演歌・歌謡曲ジャンルの歌手が多数いるレーベルのプロモーションに携わっているメーカーのほとんどが、メディア担当とアーティスト担当と分かれているのが主流なんだけど、特にメディアでNHKを担当していると、アーティスト担当を持つということはほとんどない。それは、NHKという媒体が演歌・歌謡曲にとってはとても重要で、負担が大きいというのもあるし、公共放送なので特定の誰かに肩入れしすぎないようにNHK担当にはアーティスト担当をさせないという会社もある。が、理由は別として、三山が紅白に出る前までの数年と出てからの数年、NHK担当兼三山のアーティスト担当を務めさせてもらった。社内的には、三山が紅白初出場に至るまで、演歌・歌謡曲部門で初出場を果たした人は、遡ると数十年になると記憶している。なので、関わるスタッフに紅白初出場を渦中で経験した人は誰もいなかった。つまり、時代の変化もあるし、どうしたら紅白に出られるのか、どのタイミングでどんな材料が必要なのか、責任を持って的確なアドバイスができるほど導ける人がいない中で、マネージャー安斎さんと共に手探りでチャレンジして経験してきた日々が、後の純烈が紅白に出るまでのアプローチにも大いに役立ったのは間違いない。あ、決して自分が紅白に導いたなんていうおこがましいことではないので、勘違いなさらないようにお願いしますね。紅白に出るべき歌手が出るべくして出たことに携われた、というだけで。

三山ひろしという歌手は、デビューの頃からしっかりとしたビジョンがあって、目の前の仕事にも目的意識を持って具体的に頑張っていた。ボーカリストとしても、とある古い業界の人にデビュー曲「人恋酒場」を聞いてもらったとき「オリジナルはカップリング含めて2曲しかなくても、この人なら60分のショーを見てみたい」と評価してくれたことを思い出す。日頃から目の前のお客さんに喜んでもらうには、というテーマで考えている時間はとても長かったと思う。無料で見られるという理由でキャンペーンを見に来てくれた人にCDを買ってもらうようにすることはもちろん、コンサートをやれるようになった時にチケットを買って見に行こうと思ってもらうにはどうしたらいいか、と色んなことを考えながら日々頑張ってた。全国各地でコンサートできるようになってからは、来年も開催できた時にお友達を誘って見に行こうと思ってもらえるには、と。

言うのは簡単だけど、目の前のことに必死で取り組むだけで精一杯なことが多い新人に求めるにはなかなかハードルの高いことだと思う。けど、初めから自発的にそういう意識で活動していたことが、数年をかけて成就させてきたのは、やっぱりすごいなぁと思う。デビュー前に事務所のスタッフとして裏方を経験したのもいい作用だったんだと思うし。日本クラウンとしても、北島三郎さんが50回目の出場を機に紅白から一線を引いた翌年、創立以来初の紅白出演歌手0人という年を経験して、その翌年に三山が初出場を決めたので、演歌を中心に栄えた老舗メーカーのメンツを守ってくれて、スタッフの労働意欲を掻き立ててくれたのも、とても重要なことだと思う。


今や、音楽産業の中で演歌の占める割合ってすごく少ない範囲になってしまっていて、そうなると必然的にアイドルや人気バンドのように、ワイドショーや情報番組で取り上げられることへのハードルが高くなってしまった。演歌界で有名でも世間一般にどれだけ知れ渡っているのか、つまり大衆の支持を得られているのか、という部分の議論だと、世代に偏りがある。よく言われる、紅白の選考基準にも、大衆の支持、という表現があって、それを満たそうとする動きも三山ひろしに教えてもらった。それがけん玉。歌手だから歌で魅了できるように努力するのはもちろんずっと継続していく中で、より一般的に知名度を上げて支持を受ける。分母の数を増やすためのけん玉は、世間に知られるため、そして紅白に近づくためにも必要だったし、歌手としてのサイドメニューにここまで一生懸命になれる素晴らしさ、何より、お客さんを喜ばせるために試行錯誤しながらエンターテインメントを提供していくことの大切さを教えてもらった

今年の明治座での座長公演はまさに、演歌歌手の枠にとらわれず、稀代のエンターテイナーとしての姿を見させてもらった気がする。今は関わり方が少し変わったけど、私の中ではずっと尊敬する大事な人で、色んな過程を、景色を見させてくれた特別な人です。

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ちなみに初めての紅白の本番中。空き時間に私、三山ひろし2級指導員による検定を楽屋で受けさせてもらいました。その時は3級止まり。年が明けてその年の夏、のど自慢のリハーサルから本番までの間の時間で再度検定をしてもらい、1級まで昇級しました!これも人生の大切な思い出の1つ。今でもけん玉、やってますよ♪