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かつてインディペンデントなアートイヴェントを主宰していました。10年ほど前にある病気を…

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かつてインディペンデントなアートイヴェントを主宰していました。10年ほど前にある病気を発症し、過去の多くの記憶を失ってしまいました。今はそんな失われた記憶をre-writeしようと、古い映画を観たり本を読んだりしています。主にその感想を書いて行こうかと思っています。

最近の記事

『モスラ対ゴジラ』(1964):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(4)

 『ゴジラ』公開以来、東宝怪獣映画十周年を記念しての作品で、先に大ヒットした『キングコング対ゴジラ』『モスラ』の2作を受けて、「ゴジラとモスラを対決させようじゃないの」となった作品。  円谷英二は東宝に「特撮用の最新機材」を求め、画面合成用の「オックスベリー 1900 光学式プリンター」が購入されたのだった。これにより、実際の市街地などの映像に別撮りのゴジラの映像などをあまり違和感なく合成できるようになり、特撮技術の向上となったし、今回の市街地の破壊用大規模ミニチュアの製作は

    • 『キングコング対ゴジラ』(1962):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(3)

       『ゴジラの逆襲』以降、ゴジラ映画はしばらくつくられなかったのだけれども、その間も本多猪四郎監督と円谷英二特技監督とのコンビは『空の大怪獣 ラドン』(1956)、『大怪獣バラン』(1958)、『モスラ』(1961)と、いわゆる怪獣映画は撮っているし、『地球防衛軍』(1957)、『宇宙大戦争』(1959)というSF特撮映画、そして「変身人間シリーズ」として『美女と液体人間』(1958)、『ガス人間第一号』(1960)などという作品を撮っているし、実に多産である。  「ゴジラ映画

      • 『ゴジラの逆襲』(1955):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(2)

         1954年の11月に公開された第一作『ゴジラ』は超大ヒットし、国民の十人に一人は『ゴジラ』を観た計算になるという。おかげで傾きかけていた東宝の屋台骨は一気に持ち直し、「続篇を撮ろう」という声が大きくなったのだ。  それで半年に満たないわずかの製作期間を経て、この『ゴジラの逆襲』が製作された。急きょの「続編製作」だったので、「ゴジラといえばこの人」という本多猪四郎監督は他作にかかっていて、監督はチェンジしている。  今回は「アンギラス」という、ゴジラと闘うライヴァルが登場する

        • 『ゴジラ』(1954):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(1)

          「Amazon Prime Video」で「国産ゴジラ映画」30本が観られるようになったので、まずは「昭和ゴジラシリーズ」15本を観た。少しずつ、その感想をアップしていきます。 『ゴジラ』(1954) 円谷英二:特技監督 本多猪四郎:監督  以後70年つづく「ゴジラ映画」の原点。「どうしてこれだけ巨大な怪獣が生まれたのか?」という答えを明確に「太平洋での核実験の影響」とし、その怪獣が、戦後の復興の進んでいた東京をまたメチャメチャにした結果の惨状も、しっかりと伝えられる。そ

        『モスラ対ゴジラ』(1964):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(4)

        • 『キングコング対ゴジラ』(1962):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(3)

        • 『ゴジラの逆襲』(1955):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(2)

        • 『ゴジラ』(1954):「昭和ゴジラシリーズ連続鑑賞」(1)

          パトリシア・ハイスミス『11の物語』(小倉多加志:訳)

          「かたつむり観察者」(The Snail-Watcher)  食用かたつむりを観察し、飼育するようになったピーター・ノッパードの「悲劇」。  ハイスミス自身がかたつむりの飼育を趣味としていたことはよく知られていて、英語版Wikipediaには、かつて彼女は「レタス1個とカタツムリ100匹が入った」「巨大なハンドバッグ」を持ってロンドンのカクテルパーティーに出席したこともあったと書かれていたが。  この作品にも出てくる、かたつむりのセックスについては、わたしも「虫」のいっぱい

          パトリシア・ハイスミス『11の物語』(小倉多加志:訳)

          ヴィクトル・エリセ:監督『エル・スール』(1983)

           ヴィクトル・エリセの新作『瞳をとじて』が公開されたもので、彼の旧作『ミツバチのささやき』、『エル・スール』とが劇場で再公開された(『マルメロの陽光』の上映はなかった)。わたしは両作品とも観ていたが、『ミツバチのささやき』の方はなんとなく記憶しているけれども、この『エル・スール』はまるで記憶に残っていない。それでこの日、映画館に観に来たのだった。  映画は、スペイン北部の「かもめの家」と呼ばれる家に住む少女エストレリャとその父親アウグスティンを中心としたストーリーで、エス

          ヴィクトル・エリセ:監督『エル・スール』(1983)

          ニール・ジョーダン:脚本・監督『オンディーヌ 海辺の恋人』(2009) クリストファー・ドイル:撮影

           わたしも情報収集能力が低いので、こ~んな映画をニール・ジョーダンが撮っていたことはまるで知らなかった。  ニール・ジョーダンらしくも、思いっきりアイルランドを舞台にした映画だけれども、わたしはニール・ジョーダン監督でアイルランド舞台という作品、実はまるで記憶がない。それでとりわけ海辺の小さな漁港が舞台ということでも惹かれるのだけれども、わたしがびっくりしたのは、この映画、ケルトの「セルキー(Selkie)」伝説が大きなストーリーのバックボーンになっていたことだった。  実は

          ニール・ジョーダン:脚本・監督『オンディーヌ 海辺の恋人』(2009) クリストファー・ドイル:撮影

          ドミニク・モル監督『12日の殺人』

           先月観たフランス映画『落下の解剖学』が、「真実を明らかにする」というのとは異なる視点からとっても面白い作品だったので、同じフランス映画、「犯人は捕まらない」と聞いていた『12日の殺人』を観た。デヴィッド・フィンチャーの『ゾディアック』を思い出すところもあった(じっさい、監督のドミニク・モルは『ゾディアック』を高く評価しているらしい)。  ある年の10月12日の深夜3時、ある家でオールナイトで開かれていたパーティーから、女子大生のクララは「ウチへ帰る」と会場をあとにする。帰

          ドミニク・モル監督『12日の殺人』

          ジュスティーヌ・トリエ『落下の解剖学』

           わたしはまず、この作品のポスターのイメージに惹かれた。「雪の上に血を流して倒れている人物を見つめる人物」というイメージは、『ウィンド・リバー』という作品でも用いられていたし、古くは『ファーゴ』にもそういうイメージがあったと思う。どちらの作品ともわたしの好きな作品だ。だから、この作品の監督も出演者もまるで知らないということも、気にはならなかった。  フランスの雪山のロッジ。犬のスヌープを散歩させて帰って来た視覚障がいを持つ11歳の少年ダニエルは、そのロッジの前で父親のサミュ

          ジュスティーヌ・トリエ『落下の解剖学』

          パトリシア・ハイスミス『プードルの身代金』(1972) 岡田葉子:訳

          (すでに今は絶版で、入手困難な本のレビューを書いてもしょうがないとも思うのだけれども、まあパトリシア・ハイスミスのファンではありますし、この『プードルの身代金』は、再評価されてもいいハイスミスの傑作だと思うので、誰も読まなくってもアップさせていただきます。)  パトリシア・ハイスミスの作品には、読後感のよろしくないものがあれこれとあるけれども、この『プードルの身代金』からは、読み終わってもただ「やりきれない」という気もちから今も抜けられない。  端的にいえば、主人公のクラ

          パトリシア・ハイスミス『プードルの身代金』(1972) 岡田葉子:訳

          ヨルゴス・ランティモス監督『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』~「アリウスのイピゲネイア」から~

           この作品、「The Killing of a Sacred Deer」という原題で、だから「鹿殺し」が聖なるものなのではなく、「聖なる鹿」を殺す、という意味ではある。これはこの映画が下敷きにしているエウリピデスによる悲劇「アリウスのイピゲネイア」の中で、アルテミスへの生贄にされるところだったイピゲネイアが、直前にそのアルテミスによって牝鹿に置き換えられて救われた、ということによるようだ。  主人公のスティーヴン(コリン・ファレル)は心臓外科医で、妻のアナ(ニコール・キッド

          ヨルゴス・ランティモス監督『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』~「アリウスのイピゲネイア」から~

          ウラジーミル・ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』(1928) 出淵博:訳

           (わたしが今回読んだのは、今手軽に入手できる新潮社刊の「ナボコフ・コレクション」によるものではなく、もっと古い、1977年に刊行された「集英社版 世界の文学」の第8巻「ナボコフ」の巻である。)  邦題は『キング、クィーンそしてジャック』だけれども、原題(英語タイトル)は「King,Queen,Knave」である。「Knave」とは召使い(男)のことで、邦題のようにダイレクトにトランプの札のことを示しているわけではない(もうちょっと、チェスゲームへの含みも持たせてもいる)。

          ウラジーミル・ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』(1928) 出淵博:訳

          溝口健二『雨月物語』(1953)

           能の謡いをバックにオープニングのクレジットが流れ、本編の舞台になる琵琶湖畔の集落にカメラが移動して行くときも、まだ少し能の謡いの音がかぶっている。この、オープニングから本編へとかぶっていく感じが絶妙で、この「引きずる」感覚がそのまま一気にラストまで引っぱっていってくれる思いがした。  しかしこの100分弱の作品で、物語にまったく澱みもなく、起伏に富んだ展開を一気にみせてくれるのは「まさに映画とはこういうもの」という思いにもとらわれてしまう。素晴らしいのだ。たしかにここには

          溝口健二『雨月物語』(1953)

          ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』 音楽とパトリシア・ハイスミス

           わたしは1970年代の頃のヴェンダース監督の作品を愛おしく思い出すことができるが(このあたりの、ロビー・ミューラー撮影になる作品群は去年の3月にまとめて観たもので、まだ記憶が消えずにけっこう憶えている)、実はそれ以降のヴェンダース作品はそれほどに印象に残っていない。そんな中では『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)とか『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011)とかのドキュメンタリー映画は好きだが。  今回、この映画を観ようと思ったのは、特に役所広

          ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』 音楽とパトリシア・ハイスミス

          ウラジーミル・ナボコフ『賜物』沼野充義:訳

           ナボコフは1940年にアメリカへ渡るのだけれども、その前のドイツ~フランス亡命時代の、そのさいごにロシア語で書かれた作品がこの『賜物』(これが亡命時代さいごの作品というわけではなく、さいしょに英語で書かれた『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』が1939年にフランスで書かれている)。  おそらく、ナボコフの中にもこれが「ロシア語で書くさいごの作品」という意識があったのではないだろうか。全体がナボコフの中での「ロシア文学」の総括、というような内容でもあるだろうし、作品ラストの「

          ウラジーミル・ナボコフ『賜物』沼野充義:訳

          ベルナルド・ベルトリッチ『暗殺の森』(1970)

           イタリアのファシズムの興隆期、そしてその終末という時代を背景に、ファシズムに協力したひとりの男を描いた作品。原作はアルベルト・モラヴィアで、今は『同調者』のタイトルで文庫版邦訳も出ている。主演はジャン=ルイ・トランティニャンで、ドミニク・サンダ、ステファニア・サンドレッリ共演。ベルナルド・ベルトリッチ29歳のときの監督作品で、撮影監督は、以後1993年の『リトル・ブッダ』まで、たいていのベルトリッチ監督の作品で撮影を担当したヴィットリオ・ストラーロ。音楽はほとんどのトリュフ

          ベルナルド・ベルトリッチ『暗殺の森』(1970)