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奈良の東大寺と「海ゆかば」

すっかり賑やかさが戻った奈良で思ったこと

コロナが終わり、奈良市内にはすっかり観光客が帰ってきた。東大寺や興福寺もすっかり賑わいが戻った。それにしても人が多すぎる!という人は多いけど、私のように、たまにしか奈良に立ち寄らない者にとっては、賑やかな奈良は決して嫌いではない。

奈良は確かに海外からの観光客が多い。しかし、京都や大阪からの日帰りルートのようだ。最近では、特にJR奈良駅周辺にホテルがたくさんオープンしているし、夜もそれなりに居酒屋も開いているので、ぜひ宿泊して欲しいと思う・・・

そして、せっかく奈良に来ても、東大寺・興福寺・春日大社(+鹿せんべい)を3時間で巡るのが定番コースだとか。なんだか寂しい。

観光客の多くは、ガイドブックやネットで見た光景を確認するだけの人が多い。しかし、少し時間を取って、お寺や神社の前にしばらく佇んで、その土地の声や歴史に耳を傾けてほしいと思う。

2月堂。なぜかパソコンの中を探しても東大寺大仏殿の写真がなかった。当たり前すぎてあまり撮っていなかったみたい・・

聖武天皇の心

東大寺の大仏殿は、おそらく奈良の、というより日本を代表する観光スポットだろう。戦災や災害で幾度となく焼失し、崩壊したが、そのたびに再建され、1300年間長らえているお寺など世界的にも希少だ。

奈良のお寺のすごいところは、1300年間「現役」であったことだ。他の国にはもっと古い世界遺産はいくつもある。しかし、すでに現役を退いた「遺跡」がほとんどだ。意地悪な言い方をすると「過去の遺物」だ。そう考えると、東大寺(だけではなく他の古刹もそうだが)が今も現役のお寺として私たちの前にあることは奇跡に等しいと思う。

しかも、私たちは、大仏建立を唱えた聖武天皇の「大仏建立の詔」に心を打たれる。富や権力で大仏建立を強制したくない、と明言している。国の民一人一人が自らの志で大仏建立に力を貸してほしい、一枝の草、一握りの土でも良いので、志がある人が持ちより、大仏を造るのに協力して欲しい、役人は人民の生活を乱したり無理に税を取り立てるな・・・

その目的は社会の安定と国の平和だった。こうした心があったからこそ、今も大事にされているのだろう。

大仏様は毘盧遮那仏・・世界をあまねく照らす光明の意味だ。今、世界から多くの観光客が訪ねてくる姿は、聖武天皇の理想の延長線上にあるはずだ。大仏様は今も現役で世界の人に幸せを与えている。

「海ゆかば」と大仏

奈良の大仏様を拝むと、いつも「海ゆかば」を思い出してしまう。

「海ゆかば」といえば、太平洋戦争中に演奏された曲としてあまりにも有名だ。特に日本軍が玉砕したことを知らせる大本営発表の前に流れる音楽というイメージが強い。

海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじと言立て

まさに鎮魂歌に聞こえる。

しかし、この歌は、本来は全く別の意図で作られた。作者は大伴家持だ。彼が「海ゆかば」を歌ったのは、奈良の大仏を作っている時期だった。大仏の表面に塗る金が見つかったことを喜ぶ歌なのだ。

当時の日本には金がないと考えられていた。しかし、陸奥の国で金が見つかった。そして、朝廷に献上された。聖武天皇は大いに喜んだ。この吉報を知った大伴家持が詠んだ長歌が「海行かば」だった。

黄金を掘り出したのは、陸奥守の敬福(きょうふく)。698年に生まれ、766年まで生きた。68歳まで生きたのは当時としては長生きだっただろう。

彼は百済王の血を引いている。曽祖父であり、百済王義慈王の子である善光は631年に日本に来た。しかし、660年に百済は唐・新羅によって滅亡させられた。663年、百済復興を目指した倭国は白村江の戦いに挑んだが大敗。善光は日本に留まった。

その曾孫の敬福が日本の朝廷に仕え、陸奥守であった時に、大仏に塗る黄金を掘り出した。亡命百済人の子孫が掘り当てたのだ。掘り当てた敬福の部下も渡来人だったという。


2月堂の麓で鹿と目が合った。(本文とはあまり関係なし)

1937年10月12日、「海行かば」の初演奏が行われた。東京日比谷公会堂で開催された国民精神総動員中央連盟の結成式のことであった。3カ月前の7月に日中戦争がはじまり、戦火はどんどんと拡大し、日本は大陸に嵌まり込み始めた時であった。この時、日本人は初めて「海ゆかば」を聞いた。

「海行かば」を聞くと、戦争で命を落とすことが日本人として生まれた宿命である印象を受ける。そして事実、この曲を聴きながら戦地で倒れ、あるいは家族の訃報を聞いた人は無数にいただろう。

しかし、本来、「海ゆかば」は、大仏様の顔に塗る金が見つかったことを寿ぐ歌だったのだ。宇宙に光を与える大仏を造った時に読まれた歌なのだ。
その歌を聴きながら死地に赴いた先人の気持ちはいかばかりであったか。

そんなことを考えながら、大仏を見学(決して参拝ではなくても、見学でもいいではないか!)しに来た海外からの観光客を見た。どうか世界が平和であってほしい。

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