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面白さについて

このnoteでも。

面白いこと、書きたい。
面白い人、と思われたい。

そう思う人は、いますか?

実は、そう思ってる時点で。
そうはならないんです。

って、思うだけな話。
(個人の考えです)

なぜか。

あ、その前に。

私、まぁまぁ、面白さには、
定評があります。
(自分で言うとか)

身の周りでも、このnoteでも。

よく言われます。

テツヲさん、
マジ、おもろいっすよね!!
とか、ストレートに。

なので、自覚はあります。
(自分で言います)
別に、何かお墨付きとかはないです。

ただ、よく言われるだけ。

これを書いてる人はそういう人です。

ただ、それくらいの程度の人なので、
まぁ、その程度で見てもらえたら。
(超ふわっとしてる)

その私が、面白さについて、
まぁまぁマジメに書きます。

この記事自体は、たぶん、
そんな、面白くはないです。
(どないや)

話を戻しましょう。

面白いこと書きたい。
面白いと思われたい。

そう思ってる時点で、そうはならない。

なぜか。

その時点で、相手主体になってるんです。

相手主体の方が、いいじゃない?

相手が面白いと思ってくれないと、
ダメやないの??

違うんです。

それも確かにありますが。
(あるんかい)
けど、違うと思います。

なんと言ったらいいんでしょう。

面白いかどうかは、
相手が判断するかもしれませんが、
相手主体になったらダメ。

そういうことです。
(どゆこと?)

誰かにとって面白いこと、
その誰かが面白いって感じること。

それって、万人が万人違うんです。

その、万人が万人。
多種多様な趣味嗜好をもった、
不特定多数の万人に、
対応するのは不可能だと思うんです。

いや、不可能なんです。
(私個人の考え方です)

そこは、理解すべき。

だったら。例えば。

相手を絞れば、対策も違いますよ。
それなら、対応できるかも。

けど、こういう、誰でも見れる、
こういうnoteとかなら。

そんなのは、もう、無理。
なんなら、海外の人も見ちゃうかも。

例えば。

こういうnoteでも、何か、書いたら。

ある言動1つとっても、
いい、って思う人もいれば、
あかん、って思う人もいる。 

それは、間違いない。

そんな、有象無象の不特定多数、
全員に受け入れられるなんて、
面白いって思われるなんて、
不可能に近い。

というか、不可能。

だったら。

『自分が誰より面白く感じる』

『自分が誰より楽しむ』

『自分が思ったようにする』

それに、振り切ったほうがいい。
自分主体に、振り切るんです。

私は、そうしてます。

だって、キリがないですもん。
なんだかんだ、振り回されたら。

周りに振り回されたら、おもんない。
何より誰より、自分がおもんない。

自分がおもんないのに、
それを見た人が、オモロイわけない。

そう、思いませんか?

面白くなさそうな人、
楽しんで無さそうな人、
そんな人に、、見て、関わって。

面白いですか?
楽しいですか?? 

それより。

めっちゃ面白いと感じてる人、
めっちゃ楽しそうな人、
そっちのほうが、よくないですか?

おそらく、そうなんですよ。
だったら。

自分で、振り切る。
自分として、振り切る。

その過程、その様子を見た人が、
その人とナリ、振る舞いを見て、
面白く感じるように思うんです。

それが、たとえ、
見てる側の、その人固有の考えや、
普段してる行動と違ったとしても。

面白い人の行動、考え方、
振り切ってる人は、筋が通ってるから、
納得感があると思うんです。

読んでる人は、
そのようにとらえると思うんです。

あ、あと。
追加で重要な事。

自分が楽しむ、振り切るはいいけど、
そこまで行きつくときに。

その段階で、
大多数に受け入れられそうってこと。

公序良俗に反しない、
もちろん法令にも反しない。
その時点での、常識に即してる。

そこは、考慮する必要はある。

それこそ、常識とか、普通は、とか。
その時点で最適と思われるものを。

これ、、、実はムズカシイ。
超、ムズイかも。

それは、ときどきで変わるし、
人によって違ったりするから、
何って、限定できないけど。

その、そのときどきの、
空気感。雰囲気。流れ。
それを読むってこと。

その追加要素、絶対必要。

まぁ、バランス感覚って、
いうんでしょうか。

たまに居ますよね。

ユーチューバーとかで、
悪ノリしすぎちゃうのを、
これが面白いやろ、って、
勘違いしてる。

具体的には、言わないですが。

それって、紙一重かもしれないです。
10年くらい、前後するだけで、
全く評価が違ったりしそうだし。

私も、もちろん勘違いは多いけど。
(どないや)

それを、考慮して、
積み重ねたうえで。

自分が楽しむ、振り切る。

だからこそ、逆に、
自分に振り切るからこそ、
自分と趣味嗜好が違う人でも、
巻き込めるんです。

それって、違いを楽しむ。
楽しめるっていうこと。

その違いを、面白いって思う人。
そういう人も、多いと思う。

それは、その人の受容性、
寛容性にも大きくかかわる。

心の狭い人、寛容じゃない人は、
もう、無理。私も苦手。

そういう人は、無理。
そういう人まで、相手にしない。
(個人的な考え方です) 

そういう奴は、おもんないから。
(言い方)

正直、許容が低い人、
心の狭い人は、どうしようもない。
(個人の考え方です)

そういう人は、面白いとか、
興味も関係もないでしょうし。
絡もうとも思わない。

絶対、面白くない。お互い。
(絶対はあかんよ)

・・・・・・・・・・・・・・・

自ら楽しまない人には、
『面白さ』は訪れない。
(creatortetsuo.2022.5.13)

・・・・・・・・・・・・・・・

いうて、寛容じゃない人、
そんなに多くないですから。

実際には、寛容な人が、
圧倒的多数。
(個人の感覚です)

楽しい方がいいって人と、
楽しくないほうがいいって人、
どっちが多い?

面白い方がいいって人と、
面白くないほうがいいって人、
どっちが多い??

楽しい方がいい、
面白い方がいい、
そういう人のほうが大多数。
(個人の感覚)

多いとか、大多数になると、
それぞれの認識、考え方、
感覚、やり方が、共通になる。

だから、面白いって感覚、
まぁまぁ、みんな、共通なんです。

形や、スタイルが違えども。

逆に言えば、寛容じゃない人は、
ごく少数、とも言えます。

そう思う人は。

なんにしても、寛容じゃない人は。

そういう人は、なんなら、
ブロックしたらいい。

お互いにね。
(例えば、ですよ)

ほっといたら、ええんですよ。
めんどくさい奴は。
(個人の感覚です)

そんな、めんどい奴に、
付き合ってる暇はない。

人生は、短い。 

楽しまなくちゃ!!

なので、メンドイ奴に、
関わってる暇はない。
(明快なスタンス必要)

そういうスタンスも、必要。

面白さのためにはね。
(個人の考え方です)

不特定多数の万人相手なら。

不特定多数、万人相手だからこそ。

『自分が誰より面白く感じる』

『自分が誰より楽しむ』

『自分が思ったようにする』

これ、大事やと思うんです。

自信をもって。自分に。

確固たる自分を持って。

そういう自分を、愛して。

その、信念、みたいなもんが。
それが、面白さにつながる。

その面白さが、
普遍的な、万人受けしやすい、
面白さなのかも。

知らんけど~~❤。
(真面目に話しすぎた)


※参考記事※
面白い≒ユーモアでもあります。
ユーモアについて書いた記事↓

面白い記事についての考え↓



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