見出し画像

フエラムネのオマケとお誕生日会

センチメンタル☆ストーリー
をあなたに。

悲しく、辛い話をします。

思い出したのか、
思いついたのか。

フィクション、
ノンフィクションは
ご想像におまかせします。

悲しく、辛い話です。

でも、強く、噛み応えのある。
そんな、話です。

悲しく、辛い話が苦手な方は、
閲覧を控えていただくよう、
お願いします。

重めのストーリーです。

3500字くらいあるので、
いつもどおり、お時間あるときに、
興味のあるかただけ、どうぞ。

・・・・・・・・・・・・・・

テツヲは、当時小学3年生。

家庭が、大変貧乏だった。
兄弟が多く、家は狭く汚い。

素行不良になってもおかしくない
家庭環境だった。

実際、テツヲの兄弟は
素行不良となった。

その話は、また別の機会があれば。

テツヲは、貧乏だったので、
お小遣いが貰えなかった。

当時、流行っていたのは、
ビックリマンチョコや、キン消し。

ビックリマンチョコは、
シール欲しさに、まとめ買いして、
食べきれないチョコを捨てるという、
社会問題にもなった。

テツヲは、シールには
興味が無かったので、
友達が要らない、と言った
チョコを、いつももらっていた。

興味が無いのは、一枚も
シールを持ってないし、
集めようも無かったから。

知らないものには興味が
湧きようもない。

チョコだけを、いつももらうのも、
なんだか気が引けるというか、
申し訳ないというか。
そんな気持ちだった。

捨てる、というものを、
人が要らないものを欲しがるのも、
小学3年生には、微妙に複雑だ。

恥ずかしいが、欲しい。

そういった積み重ねは、
成長の過程で、内面的に
なんらかの影響を及ぼしそうだ。

そうした積み重ねを経て、
どういう大人になるんだろうか。

キン消し、というのは、
当時、大人気だった、
キン肉マンの消しゴムのこと。

消しゴムといっても、
文字はほぼ消せない。
集めるフィギュアのハシリ、
のようなものだった。

これにも、テツヲは
興味が無かった。
興味を持ちようも無かった。
集めようもないし。

そうして、他の子供達、
当時は、ほぼ、周りみんな、
に思えるくらいの、他の子供達が、
当たり前に貰えるものが、
テツヲには与えられなかった。

人は人、ウチはウチ。

テツヲは、幼いころから、
ずっと、母にそう言われてきた。

だんだん成長するにつれ、
周りの子供達と比較したとき、
自分の置かれた環境の悪さ、
そこから劣等感なども、
強く感じるようになっていった。

もちろん、自分より、
置かれた環境がもっと悪い
子供達も、いるにはいた。

しかし、それらは少数派だ。
自分の感じる貧乏さに対しては、
なぜ、、が募り続けた。

当時、クラスメートの間で、
流行っていた、というか、
また悩ましい恒例行事があった。

『お誕生日会』というヤツだ。

お誕生日の子供の家で、
ホームパーティーが開かれる。

呼ばれた子供達は、
誕生日プレゼントを持って行って、
美味しいごちそうを食べて、
みんなで、楽しく過ごす。

誕生日プレゼントを選ぶのも、
何をもらうかも、楽しみの一つ、
のようだった。

ようだった、というのは。

テツヲは、誕生日会に
参加したことが無かった。

テツヲの家は貧乏だし、
汚くて狭いから、
他人の誕生日プレゼントも
買えないし、人も呼べない。

しかし、クラスメート達は、
周りのほとんどの子供達は、
自分の家に呼ぶし、
友達の家に呼ばれる。

テツヲは、正直、羨ましかった。
何度も、母に交渉した。

しかし、返ってくる言葉は、
いつも同じ。

人は人。ウチはウチ。

なんでやねん、、、

家が、汚いだけやろ!
家が、貧乏なだけやろ!!

なんでや、なんでや、、
なんでや、、、!!

なんで、ウチだけ、、!!
なんで、オレだけ、、、!!!

何度も強く思う、そのうちに。

絶対、この家を出ていく!

絶対、自分の力でなんとかする!
そう、思うに至る。

その後の話は、また別の機会に。
(宿題多いな)

誕生日会に戻ろう。

なんで、テツヲは、
友達の誕生日会に来ないのか?

来たらいいのに!!

何不自由なく暮らす、
クラスメート達は、だんだんと、
テツヲに圧力をかける。

行きたくても、行けへんねんて!!
テツヲは、心の中で叫ぶ。

無力な小学3年生のテツヲには、
それを説明するのも恥ずかしいし、
話して、分かってもらえる
力も無かった。

あるとき、何度も、ごまかしたり、
はぐらかしたりし続けたが、
どうしても、行かないといけない、
誕生日会があった。

小学3年生は、残酷だ。
容赦がない。
行かないといけない。
そういう状況が、子供にもある。

テツヲは、普段から、友達から、
なぜ、テツヲの家に友達を
呼べないのか、そもそも、
お前の家は、どこなのか。

事あるごとに、追及された。

今から考えても、別に、
他の、普通の家庭の子供達から
してみれば、ただ単に、
なんで??なだけ、だったろう。

だけど、テツヲには、
テツヲの事情、理由がある。
まず、自分の家を見られるのが
恥ずかしい。

今なら、なんてことない。

大人になったテツヲは、
母と決定的な争いをした。

もちろん、色んな話し合い、
何度も、調整もした上で、だ。

結果、決定的な溝ができて、
大人になったテツヲと母は、
絶縁状態となっている。

もし今後、何かあるなら、
どちらか、あるいは誰か親族の
葬式だけだろう。

それすら、呼ばれないかも。

別に、構わない。仕方ないから。

テツヲにも、守るべき家庭がある。

それらが、いくら考えても、
結果的にそうなった、と、
自分で納得できているから。

別に、構わない。

小学3年生に戻ろう。
(また横道にずれた)

とにかく、当時のテツヲは、
自分の家には、人を呼べない。

だが、その誕生会には、
行かなければならなかった。
ついに、逃れられなくなったのだ。

今日帰って、○○の家にね!!

放課後になった。

もちろん、持っていくべき、
お誕生日プレゼントは、無い。

何か、何かないか、、、

テツヲは、焦っていた。

狭い、汚い自分の家。
絶望的な気持ちで、探す。

とてもじゃないが、友達に
プレゼントできるものなど、
ありはしない。

何をプレゼントすべきか。
クラスメートの話で知っている。

その子の好きなキャラクターの、
鉛筆セット、消しゴム、ノートなど。
文房具や、あるいはおもちゃ。

テツヲは、焦っていた。

時間が、無い。
もう、行かなければ。
何か、何か持って行かないと。

兄の机に、フエラムネのオマケの、
おもちゃ。2箱。

フエラムネのオマケなんて、
言っちゃ悪いが、今でも、当時でも。
大事に保管するもんでもないし、
まして、人にあげるもんでもない。

それが、大事に、兄の机に
保管されている。

そのことで、この家庭にとっての、
フエラムネのオマケの価値を、
想像した上で、続きを読んで欲しい。

テツヲは、焦っていた。

兄のモノとはいえ、勝手に盗るのは、
よくない。それくらいは、わかる。

でも、兄もいないし、話したところで、
もらえないし、渡せない。

テツヲは、その2つを持って行った。

誕生日会は、楽しかった。

お菓子も、お寿司も、おいしかった。
どれも、普段食べられないものばかり。
普段飲めないジュースも、飲み放題!

夢のような時間といったら、大袈裟か。
しかし、あるいは、そうだったかも。

ここに参加するための、
勝手に盗ってきたフエラムネ
のオマケに対する罪悪感も、
かすむくらい。

楽しかった。

それから考えると。
今から、冷静に思い返すと。

貧乏は、罪だ。

しかも、その貧乏は、
今から考えると、回避できた
かもしれない貧乏だ。

収入が、無かった訳じゃない。

極端に無口な、職人である父の、
毎月の収入はあったハズ、だから。
(知らんけど。)

母の、絶望的な収支管理のマズさ、
からの貧乏だった、と、
今では感じる。

そのくだりは、またの機会あれば。
(宿題多いな)

誕生日会に戻りましょうね。

クラスメートのほとんども
来ていたし、お母さんたちも、
何人も来ていた。

帰りに、お返しのお土産も、もらった。

ノート数冊、鉛筆、消しゴムなど。
きれいに、プレゼント包装されて。

お誕生日会の、子供たちが
ワイワイ集まる大広間の隣に。

今日来てくれた、お友達が
持ってきた、プレゼントが、
たくさん並べられた。

おなじみ、文房具のセット。
当時の最先端、流行り、憧れの、
ガンダムのプラモデルもあった。
ゾイド、もあったかな。

たくさんの、豪華な、プレゼント。

その家庭の、大事な子供の、
年1回しかない誕生日だから、
当然だ。

どれも、誕生日会のごちそう、
それと当然、お返しにもらう、
お土産に見合う分の、
プレゼント。

普通の家庭の、常識だ。

普通の、常識。
いつもの、アレですわ。

集まったお母さんたちの、
話す声が聞こえたのを、
今でも覚えている。

聞こえたのか、お母さんたちが、
テツヲのことを狙って話したのか。

今となっては、分かりもしない。

だけど、鮮明に覚えている。

・・・あれ、何??
・・・え!?フエラムネのオマケ??
・・・誰が持ってきたん??

あれで、お土産ももらえたら、
ええね!!得やねぇ!!

鮮明に、聞こえた。

今でも、覚えている。

・・・・・・・・・・・・・・・

悲しい思い出とかは、
みんなあると思う。

別に、不幸自慢する気は無い。
もっと不幸な人は、
いくらでもいるだろうし。

私にとって、それらが、今では、
自分の力になっている。

それを、言いたいだけ。

悲しいからこそ、
人に、優しくできる。

そう言われたら、されたら、
悲しいって、知ってるから。

ツライ想いをしても、
それを乗り越えられたら。

後から笑い飛ばしたり、
思い出話として話せたら。

その分だけ、強くなれる。

そう、思うのです。

よく、チンケな、安っぽい、
ありきたりな歌詞でもあるけど。

その歌詞の意味を。
自分でかみ砕いて。

本気で、身をもって、
わかるかどうか。

積み重ねてきたかどうか。

人としての、厚みのようだったり、
はたまた、余裕とか、面白さとか。

そういう、悲しさ、辛さ、
あるいは、修羅場的な場面なんか。
我慢強さとか。

いくつ、経験したか。
いくつ、乗り越えたか、向き合ったか。

それの積み重ねが、自分を創る。

成長の、伸びしろになる。

そして、その人になる。


そう、思うのです。


この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?