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「陰徳」と「陽徳」の差

やらない善より
やる偽善と世に言う。

しかし、

「やる陽徳」

コレは頂けないかな。

「俺たちがコレした」
「私がアレした」
「オレが育てた」

損得勘定や承認欲求
直感に見せかけた打算の混じった

「幼徳」は下品だ。

人にひけらかした時点で
かえって「不徳」となる。

悪徳の方がマシなレベル…

いちいち言を挙げつらうのは
因って立つところがないから。

だから、覚醒や能力を外に求める。

そして、望む結果を得られず苦しむ。

善を行いて
報いをのぞむは義無きのみ。

聖徳太子『先代旧事本紀』より「陰徳の教え」

神さんが最も嫌いな行為「陽徳」

全ては神さんが見てるから
いちいち言挙げしなくていい

神さんとへその緒で繋がってたら
そこまで言わなくても大丈夫

その安心感が分からないから

人に言いたい
人から承認もらいたい

品性に欠けるところがある。

太子が「のぞむ」に「見」字を
当てたのは実に的確だと感じる。

要は、果報を肉眼で見たいのだ。

しかし、臍の緒が切れており
寝て待っても果報が来ないから

今日もカスれた心で張り叫んでいる。

(わからない者はわかり易い方に流される)

聖徳太子「陰徳の教え」

いつでも天地神仏ご先祖様
見えない存在が見ているからこそ

いちいち言わなくても大丈夫だし
悪いことも一切できない

この世はシンプル☝️

人が見てないところで試される

人の目は騙せても神が見てるから

閻魔様の帳面にも
全て記帳されているから

ブロックチェーンで証明する必要もない。

ジャッジがない世界とやらに逃げ込んでも
どの道あの世で審判が下される。

心配しなくても、全ての人が
周波数通りの結果を見ることになる。

人が何を言おうとも言わずとも

神さんは見抜き見通しで
行いも心遣いも知っている。

全てはお天道様が見ているから。

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