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「型無し」に「神無し」

直感で受け取ったまま
表現していくということが

古代の神代の形である。

内なる神性と仏性に導かれるまま
人が宇宙と地球と溶け合うために

今は「型」を成すことが
大切なミッションである。

なぜなら、

受け取れる器があり
表現する能力があり

インスピレーションのまま
身体を動かす勇気のある者が、

まだまだ少な過ぎるからだ。

最終的には、
皆が直感のまま表現するのが
ベストだが、

残念ながらその域まで
まだ学びが及んでいない。

当の本人は自在にできるかもしれないが、

周囲の者は、その意味を心得ないまま
見様見真似ばかりで散り乱れてゆくからだ。

自分が「直感で動く」
他者を「直感で動かす」の違い。

だから、まずは
言葉によって型を成し

人としての器を形成する必要がある。

まず誰にとってもわかる
型があるということは

誰でも参加できるということ。

その器に合わせ
表現すればいいという

「道標」
となる。

入門の類は多いが「出門」は聞かない。

器が仕上がった者から
やがてその型から離れ、

自身の受け取った
インスピレーションのまま
自在に表現・創造していく。

卒業を歓迎し送り出すほど
創造主の母数
が増えていく。

それにはまず姿勢ができていないと、
肉体を上手に扱う方法がわからない。

従って、まずは
言葉があることが大切である。

言葉に囚われてしまうと、
心を伝わらなくなってしまうが、

言葉という型があるからこそ

まずそれに倣い
心身の器を調えることができる。

従って、型を成すとは
人の器をつくることであり、

そのために
言葉を紡いでいくことである。

り尽くして るとも るるとても を忘るるな。
規矩作法(守破離の道)

型を破り自在となれば、
新たな智恵を生み出せる。

そんな作り手に回る
「創造主」が増えるよう、

自分/たちは
「体現者」でありたい。

変化が変化を呼ぶ創造が
自律と分散を促す「要」

しかし、実は、
流派が多く分派することより、
その根本の精神創造的継承が肝心。

「本を忘るるな」とはそういうこと。

心は型を求め、
型は心を求める。

どこまでいっても基本が大事だ。

型があるから型破り。
型がなければ形無し。

型無き自由ほど醜いものはない。
美しくないものに神は宿らない。

醜態を晒すだけの神遊びなり。

型を知って手放すのと
知らず捨てるでは大違い。

道を踏み外すは外道なり。

「型」は要らなくなるまで要る

政りを司る人間は、

天地の教えを人に教え
型を成す

型を成せる人をつくる。

型から入り
型から抜ける

是れ「日本の道(Dao)」なり

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