別れと悲しみが通底するヒーロー譚。アンパンマンに助けられた子育て黎明期。
こんばんは、クラフトビア子です。
コテンラジオのファンなのですが、ここのところアンパンマンの作者として有名なやなせたかしさんのシリーズが続いていて、いつも以上に前のめりで聴いています。
子育てするすべての日本人がお世話になっているに違いない、アンパンマン。私自身は幼少期にそれほどアンパンマンに親しんだ記憶はないのですが、保育園時代の息子はそれはもう、アンパンマンが大好きでした。
毎週放送されていたアンパンマンのアニメは録画していたし、映画のDVDは何枚も持っていました。横浜と神戸、どちらのアンパンマンミュージアムにも何度か足を運んだと思います。
なんで幼児はアンパンマンが好きなんでしょうね……。
とにかくアンパンマンさえあれば大丈夫。アンパンマンがいれば楽しく過ごしてくれる。
子どもの世話や仕事、家事に追われる親として、何よりも心強くありがたい存在だったのが、アンパンマンでした。
というわけで、今晩はアンパンマンが我が家の中心にいたころのことについて書いてみます。
金曜の夕方に放映されていたアンパンマンを心のよりどころにしていた頃
時短社員なのに残業して、あわてて息子を保育園に迎えに行く平日の夜。当時は大変だったからか、どうやって夕飯を準備していたのか、生活のディテ
ールはあんまり覚えていません。
とにかく早朝から洗濯物を干したり、保育園の連絡帳を書いたり、家のことを済ませてから出勤して(朝の保育園の送りは夫の役目でした)、保育園を迎えに行って、洗濯物を取り込んで、息子とごはんを食べて風呂に入れて一緒に寝る、みたいな、とにかくその日をつつがなく送るのだけで精一杯な日々を過ごしていました。
帰宅したらやることがいろいろあるから、とりあえず息子は手を洗ったらテレビにおまかせ。釘付けになっている間にせっせと動いていたのを覚えています。
見せていた番組で鉄板だったのは、やっぱりアンパンマン。録画していたので、何度も何度も同じ放送を繰り返し観ていました。さすがに何度も観ると飽きてくるので、新しい回が放送される金曜日(当時)を息子と待ち焦がれていました。
息子とお互いにへとへとで帰ってくる道すがら、「金曜だからアンパンマンの新しいのが観られるよ」と何度息子に話したことか。息子を元気づけるというよりは、マラソンの「ラスト一周」みたいな表示のように、自分で自分を励ましていたんだと、今ならわかります。
好きだった寂しいキャラ。はにわくんとゆきだるまん
アンパンマンには驚くほどいろんなキャラクターが出てくるのですが、中でも私が当時好きだったのが「はにわくん」と「ゆきだるまん」でした。
はにわくんは、やはり埴輪の犬「はにわん」を従えて旅をしている埴輪。はにわんが掘った土で、悲しむ人を癒すために埴輪をつくりだします。たくさんの埴輪で悲しみが癒えると、埴輪たちは土に還るのです。
埴輪そのものが死(かなしみ)と結びつく存在。それなのに明るく「はにわーお」「はにはにー」と叫び、人を癒しながら旅を続ける姿に、当時よれよれだった私もずいぶん癒しをもらいました。
もう一つのキャラクター、ゆきだるまんもかなしみがつきまといます。
何しろラストには溶けてしまうのです。
寒い世界で困っていると、わらわらと集まってきてたすけてくれるゆきだるまんたち。集団で一つの大きな雪だるまに姿を変えたりと、かわいいけど強いキャラクターなのですが、ラストにはたいてい春が来て溶けてなくなってしまいます。
「ぼくたちならいいんです。きにしないでください。
つぎのゆきがつもったら、またうまれてきます。
やくにたてて、ぼくたちとってもうれしい。
さようなら。」
と言いながら、形を崩しながら溶けていくさまは、初めて観たときにはけっこう衝撃的で泣きました。(一緒に観ている息子は、ママなんで泣いてるの?と思ったようでしたが)
こんなに身を削って(とかして)消え去っていくことの虚無感に、しばらく呆然としたのを覚えています。
やなせたかしの原体験が色濃く出ているアンパンマン
アンパンマンの作者・やなせたかしは、早くに父を亡くし、実母とも別れ、唯一の肉親であった弟を戦争で失います。
自身も中国に兵隊で赴き、戦地でつらい体験をしました。なにより苦しんだのが、食糧不足による飢え。ここから飢えから救うヒーローであるアンパンマンが生まれたと言われています。
やなせたかしをはじめ、戦争を生き延びた世代の人たちの経験の壮絶さは想像を超えます。それでも誤解を恐れず、卑近ですが自分を振り返ると、子育て中で日々生きるのに精いっぱいだった一番苦しいあの頃のヒーローは、たしかにアンパンマンでした。
子どもが夢中になるからありがたい、というだけではなくて、理不尽なかなしみや不条理、生きるということのもろさと母親として日々向き合っているから。子育ては幸せや喜びが大きいけれど、子どもの成長は一瞬一瞬の別れでもあります。
だから、平和でほのぼのとしたアニメーションの通底に流れる、死や生への意識・悲しみや生きるからこその喜びが、世話しなければ死んでしまうだろう・やがていつか巣立つだろう我が子と向き合う日々と共鳴するのだろうと、今になって振り返るとそう思います。
幼い子どもたちも、何とはなしにアンパンマンから、自分の身を犠牲にしてまで他人を生かしてくれるヒーローから、大きな安心と愛を受け取っているからこそ、あんなにひきつけられるのかもしれません。
やなせたかしの記事を読んでいて、いちばん好きな作家はサン=テグジュペリだと話されたと知って、なるほどなあと思いました。寓話の度合いがよく似ている気がするので。
来年にはやなせたかしの朝ドラも放送されるそうで、たのしみです。コテンラジオもぜひ聴いてみてください。
それではまた。
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