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【#241】元気を出しなさい(メッセージの断片集77)

4月28日(日)の様子

 前日の土曜日、急に気温が上がり、教会近くの公園の桜が慌てて咲き出しました。信徒宅訪問を終えた夕方、急いで写真を撮りました。TOP画像の真ん中やや右に教会の建物が写っていることに気づかれた方は少なかったようです。目を凝らせば、木の枝に隠れている十字架が何となく見えます。

 この日、私は礼拝の奉仕を終えて、翌日、横浜で開かれるK君の結婚式で司式をするために、Y君と一緒にバスで女満別空港に向かいました。教会では午後から第2回Prayer Walkingがあり、私たちが居ない時の実施になり申し訳なかったです。それでも、Prayer Walkingのリーダーをお願いしたCさんの報告によると、恵みいっぱいのひと時になったようです。

 土曜日の最高気温が28.6度だったにも関わらず、日曜日は17.7度。Prayer Walkingに出かける午後1時半〜2時ぐらいは12度まで下がっていて、Tさん以外は「寒かった〜」とのことでした。カナダ人のTさんは半袖短パン姿で、「サムクナイヨー」と言って、教会に帰ってきてから私が差し入れていたアイスクリームを喜んで食べておられたようです。また後日、報告いたします。

 私は月曜日に冷房の入る暑い横浜(最高気温25.3度)で司式を終えて、夜9時頃に暖房のついている7度の北見に帰ってきました。ジェットコースターですね。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

神のものとして礼拝する

 パウロたちを乗せた船が嵐に見舞われ、太陽も星も見えない日が幾日も続いたというのは、天候のことをだけを告げているのではありません。GPSの無い時代、太陽や星で自分たちの位置を知り、どの方向に向かっているのかを確認していました。つまり、太陽や星が見えないということは、自分たちの位置、どの方向に向かっているかが分からないということです。

 その中でパウロだけが、大きな意味で自分の立ち位置と進むべき方向を知っていました。「私は神のもの」、神の御手の中にあるという立ち位置、そしてどんな状況にあっても、主の御心であるローマで主を証しするという方向性を持ち、心から主を礼拝していたのです。パウロが嵐の中で恐れてしまうことなく、人々を元気づけることができたのは、自分は神のもので、神に属していることを知り、偉大な神を仰いでいたからです。

▲ TOP画像よりもこちらの方が教会が分かりやすいですね。(2024年4月27日)

神による信仰を持つ

 パウロは船が沈んでしまうほどの嵐に遭っていることで思い出すのは、福音書に記されているガリラヤ湖の嵐です。主イエスが弟子たちと一緒に向こう岸へ行く時、大嵐に遭って、舟が沈みそうになりました。その時、主イエスは「なぜ恐がるのか。信仰の薄いものたちよ」と言って波や風をお叱りになると、すっかり凪になっていきました。

 もし、ここでパウロがあのガリラヤ湖の主イエスのように、「嵐よ、静まれ―」と言って大嵐が静まったら、「おおおーーー」と私たちも驚かずにはおれないのです。「使徒の働き」の終盤、27章にふさわしい神の御業だと思うでしょう。
 
 しかしここではそうならなかったのです。パウロに信仰が無かったからでしょうか。そうではありません。ここでパウロに与えられた信仰は、「恐れない」という神からの信仰です。あの嵐の中でも眠っておられたキリストの平安と、恐れないという信仰を神から与えられていたのです。波風の中でも動じない本物の信仰、それは主なる神が与えてくださるものです。神による信仰によって自分が勇気づけられるだけではなく、人々をも元気づけることができるのです。

▲ 教会近くにある講演(2024年4月27日)

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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