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【#244】わたしはあなたを喜ぶ(メッセージの断片集78)

5月5日(日)の様子

 こどもの日。この日は生まれた時から教会に集っているSちゃんの洗礼式を持ちました。前日、早く床に就くつもりでしたが、午後からのお祝い会で見せるスライドを作っていたら、夜中の2時ぐらいになってしまいました。
 
 考えてみれば、Sちゃんが産まれた年に私たちは北海道の北見に赴任しました。Sちゃんの成長は、そのまま私たちの教会の成長記録でもあり、感慨深いものがありました。洗礼式のことは後日、紹介できればと思います。

 結婚式、洗礼式、そして今日から所属グループの75周年記念式典・聖会などがあります。お祝いごとが続いています。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

天が裂け、聖霊の働きを見る

 主イエスを信じて洗礼を受けた者は、今まであまり分からなかった神の働き、聖霊の御業が分かるようになっていきます。「天が裂ける」というのは、神と人とを隔てる罪が裂かれたということです。天とは神がおられるところで、天が見えないとは、罪ゆえに神が見えなくなっているということです。頭の上にある黒い雲のよう、あるいは心の中にも雨雲があり、ジメジメし、暗くなっていて、この分厚い雲をどけてくれないかと切実に思うものです。

 そういう中で、罪の隔てを取り除く主イエスを仰ぐ時、神の御手によって雲が二つに割れるかのように、青空や広がり日の光が射しこんでくるのです。洗礼を受けられた主イエスが、天が開かれて聖霊が下るのを見つめられたように、私たちも神の働きが分かるようになるのです。信仰をもって天を仰いで祈り続ける時、神ご自身が天を裂いて下さるので、聖霊が働かれるのを信仰をもって見ることができるのです。これが洗礼を受けている者の幸いです。

神の思いを聞き続ける

 主イエスは「ガリラヤのナザレ」から来たと記されています。ガリラヤというのは都エルサレムから見れば辺境の地で、なまりがあって異邦人の文化も入り込み、尊ばれない地域です。ナザレというのは、そのガリラヤの僻地といえる街で、「ナザレから何の良きものが出てくるか」と言われています。人々から見たら何の良いものも出ない辺境の地、世界の片隅のような街で大工の子として、つまり貧しい家の子として主イエスは育ちました。

 その主イエスを神は「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と言われるのです。この時、まだ主イエスは何もしていないのです。人々を癒したわけでも、救ったわけでもありません。いわゆる公生涯の初めの日なのです。つまり、父なる神は主イエスの功績を見て喜んだということではありません。主イエスの存在そのものを喜ばれる神の思いがここにあります。

 「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という言葉は、主イエスを信じる者、洗礼を受ける私たちにも語られるのです。「あなたを愛し、あなたの存在を喜ぶ」、私たちはその父なる神の思いを聞き続けることが大切なのです。
 私たちは何を聞き、何を知ろうとしているでしょうか。「神様、このことはいつ解決しますか?」「神様、右ですか、左ですか?」、そのように主に様々なことを問い、尋ねることも大切なことです。しかし、インフォメーションや指示、将来どうなるかを知るために、主なる神がいるのではありません。それでは占いと変わらなくなるかもしれません。大切なことは、主なる神の思い、愛、慈しみを受け取ることなのです。主の思いを受け取ったならば、ある意味、右に行こうが左に行こうが、どちらに行っても大丈夫なのです。「あなたを喜ぶ」と愛を込めて言ってくださる主なる神の愛が分かるように、主イエスは十字架の道を歩まれたのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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