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2021年のクランク再考

ヒップホップのサブジャンル、クランクについて書きました。記事に登場する曲を中心にしたプレイリストも制作したので、あわせて是非。



クランクの重要性を再考

「クランクは死んでいない」。メンフィスの新進ラッパー、Duke Deuceは2019年の年末にその名も「Crunk Ain't Dead」という曲を発表した。2020年にはキング・オブ・クランクことLil Jonに加え、Juicy JとProject Patを迎えた同曲のリミックスを発表。その勢いでリリースしたアルバム「Memphis Massacre 2」にもクランク路線の曲を多く収録し、このジャンル独特の熱気を見せつけた。
クランクは、Duke Deuceの故郷であるメンフィス発祥のパーティミュージックだ。特徴はゆったりとしたBPMや強烈な低音、エネルギッシュなシャウトなど。この熱狂的なスタイルはヒップホップの一時代を強烈に彩り、現在の音楽にも様々な影響を残している。本稿ではクランクの歴史や派生ジャンルなどを振り返り、その重要性を再考していく。

メンフィスで産声を上げたクランク

先述した通り、クランクはメンフィスから始まった。前身となったのはフロリダ発のスタイル、マイアミベース。2 Live Crewなどに代表されるマイアミベースは、早めのBPMで低音と808を効かせ、コール&レスポンスやアドリブを織り交ぜて盛り上げる音楽だ。BPMはクランクと違って早いものの、808やコール&レスポンスといった要素は確かにクランクにも引き継がれている。メンフィスのヒップホップ黎明期の大物、DJ Spanish Flyがマイアミベースを好んでいたことからメンフィスに根付き、独自の発展を遂げて誕生したのがクランクだと言われている。
メンフィスのクランク史において、Three 6 Mafiaの存在は重要だ。ホラー映画のサウンドトラックなどから影響を受けたというDJ PaulとレイドバックしたJuicy Jの二人がプロダクションを担うThree 6 Mafiaは、ダークな雰囲気とゆったりとしたBPMで808を鳴らすスタイルで頭角を現していった。彼らは1994年のミックステープ「Smoked Out, Loced Out」収録の「Crank This Bitch Up」など、早い段階でクランクを制作。そして1995年にリリースした1stアルバム「Mystik Stylez」では、クランクの代表曲の一つとして長く語り継がれる「Tear Da Club Up」を生み出した。同曲は続編「Tear Da Club Up ‘97」も制作されている。先述したDuke Deuce「Crunk Ain't Dead (Remix)」でも97年版がサンプリングされており、以降も多くのラッパーが参照している。以前からクランクはあったものの、同曲はそれだけ特別な一曲だ。そのほか、Three 6 Mafiaとその周辺アーティストだけではなく、Gangsta PatやAl Kaponeなどもクランクの曲を発表。クランクはメンフィスのヒップホップのスタンダードの一つとして浸透していった。
こうして1990年代にメンフィスで産声を上げたクランク。しかし、クランクのメインストリーム化はメンフィスのアーティストが成し遂げたわけではない。その役割は、Three 6 Mafiaや8 Ball & MJGなどメンフィスのヒップホップを好んで聴いていたアトランタのアーティストが担うこととなった。


アトランタからLil Jonが登場

アトランタの出身のプロデューサー兼ラッパー、Lil Jonはクランクの代表的なアーティストだ。1990年代初頭から活動し、So So DefのA&Rとしてコンピレーション「So So Def Bass All Stars」などに関わった。初期の作風はマイアミベース寄りだったが、ラッパーのBig SamとLil’ Boと共に組んだグループのLil Jon & the East Side Boyzで1997年に発表したシングル「Who U Wit?」では異なるスタイルを披露した。音数少なめなビートでワサワサとした掛け声を聴かせる同曲は、メンフィスのクランクとはまた違った形のクランクを提示していた。1997年には初のアルバム「Get Crunk, Who U Wit: Da Album」をリリース。同作からはDJ Toompがプロデュースした「Shawty Freak a Lil Sumthin」が小ヒットし、Lil Jon & the East Side Boyzの名前はじわじわと広がっていった。
同作の時点ではまだマイアミベースやルイジアナのバウンスの延長線上にあるようなサウンドだったが、2000年の2ndアルバム「We Still Crunk!!」からは異なるカラーも強くなっていく。代表曲の一つとなった「Bia’ Bia」は、Lil Jonが影響を受けたというThree 6 Mafiaにも通じるようなピアノループを使った曲。ほかにも「Put Yo Hood Up」、Three 6 Mafiaもフィーチャーした「Move Bitch」などで、メンフィス勢からの影響を消化しつつもより陽気でエネルギッシュなクランクを披露した。2001年には大手レーベルのTVT(現在は閉鎖)より前作・前々作からの再収録も多いベスト盤的なアルバム「Put Yo Hood Up」をリリース。50万枚を売り上げるヒットとなった。
Lil Jonは「クランク」という言葉を好んで使っていたこともあり、Three 6 Mafia以上にクランクを担うような存在に成長していった。しかし、アトランタでクランクに取り組んでいたのはLil Jonだけではなかった。その熱が後に吹き出し、クランクはメインストリームを制していくこととなる。


アトランタに根付いていったクランク

前後してLil Jon & the East Side Boyzだけではなく、アトランタのほかのアーティストもクランクに挑み始めた。筆頭はラップデュオのYing Yang Twinsだ。彼らが2000年にリリースしたアルバム、「Thug Walkin’」ではその名も「Ying Yang Twins vs Lil Jon & the East Side Boyz」を収録。賑やかな掛け声を多用したクランクを披露した。Pastor TroyとLudacrisも見逃せない。Ludacrisの2000年のアルバム「Back for the First Time」に収録されたPastor Troyとの共演曲「Get Off Me」は、ビートこそまだ後の派手さはないが、エネルギッシュに猛る二人にはクランクの息吹がしっかりと感じられる。そのほかにもラップデュオのYoungBloodzやラップグループのTrillville、Crime Mobなど多くのアトランタのアーティストがクランクの要素を取り入れていった。
そんな中、Lil Jon & the East Side Boyzは2002年に、「Kings of Crunk」と題したアルバムをリリース。クランクのキングに名乗りを上げた。Pastor Troyとの「Throw It Up」やYing Yang Twinsとの「Get Low」など、ほかのクランクアーティストもフィーチャーした同作は大ヒットを記録。二組の抜群の相性を発揮した「Get Low」はクランクを代表する一曲となり、Ying Yang Twinsにとっても代表曲の一つとなった。この頃からクランク(とLil Jon)は人気が爆発し、Lil Jonのプロデュース仕事も増加していった。
1990年代にメンフィスで生まれアトランタで育ったクランクは、2000年代に入ってLil Jonがメインストリームに運んだ。Lil Jonはアルバムタイトル通りの「キング・オブ・クランク」となり、クランクはアトランタを代表するスタイルとなっていった。そして、初期はメンフィスのクランクなど他エリアの音楽からの影響を強く感じさせるものだったアトランタのクランクは、この頃には別のものに変質していた。


Lil Jonのハイブリッドなセンスとクランク&B

Lil Jonは、マイアミの2 Live CrewやメンフィスのThree 6 Mafia、テキサスのUGKといった南部ヒップホップの先人からの影響を公言している。さらに西海岸ヒップホップのN.W.A.とDr. Dre、Kornなどのメタルバンドも影響源として名前を挙げている。クランクのエッセンスはThree 6 Mafiaから、トレードマークの騒がしいシャウトは2 Live Crewとメタルから、好んで用いるギターはUGKやメタルから、高音シンセはDr. Dreから来ているのだろう。そんな彼の多彩な音楽趣向は「We Still Crunk!!」頃から表に出始め、「Kings of Crunk」でははっきりと感じられるようになってきた。
Lil Jonのクロスオーバー志向が強く出たのが、ノースカロライナのラッパーのPetey Pabloが2003年にリリースした名曲「Freek-a-Leek」だ。同曲で聴けるエレクトロニックなシンセは、ストリップクラブでかかっていたテクノを聴いてインスパイアされたものだという。このハイブリッドなセンスはUsherの2004年のシングル「Yeah!」でも引き継がれ(そもそも、「Freek-a-Leek」のビートは「Yeah!」で使われる予定だったという)、R&Bとクランクを融合した新ジャンル「クランク&B」が誕生した。
ミニマルなシンセのループにLudacrisのスキルフルなラップも見事に噛み合った同曲は大ヒットを記録。以降はCiaraのシングル「Goodies」やHoustonのシングル「I Like That」など、2004年には同様のスタイルのビートを使った曲が次々と生まれていった。「Yeah!」はLil Jonの雄叫びをフィーチャーしていたが、後続のクランク&Bは必ずしもシャウトが入るわけではなかった。「Freek-a-Leek」と「Yeah!」で使われた「テクノのシンセ」は「クランクのシンセ」になり、クランクのスタイルが何を指すのかは少しずつ変化していった。
そのほかにもAmerie「Touch」やBrooke Valentineの「Girlfight」といったシングルがリリースされ、クランク&Bは完全に定着していった。Chris Brownが2005年にリリースしたデビュー曲「Run It!」もその流れを汲んだ一曲だ。メンフィスのローカルなスタイルとして始まったクランクは、時を経て有望なスター候補の大切なデビュー曲に採用されるようなものになったのだった。


スナップとトラップの流行

クランクから派生したジャンルはクランク&Bだけではない。アトランタ発のパーティミュージック、スナップもその一つだ。クランク&Bと同じ時期の2004年頃からメインストリームに浮上し始めたスナップは、ミニマルなシンセなどにクランクからの影響を感じさせつつも、クランクほどバカ騒ぎするのではなく少しクールな側面も持ったスタイル。その名の通り、指をパチンと鳴らす音がスネアとして多く使われた。Dem Franchize Boyzが2005年に放った「Lean Wit It, Rock Wit It」や、D4Lの2005年のシングル「Laffy Taffy」などが代表曲だ。同じアトランタ発のスタイルということで、2005年頃には「クランクの次はスナップが来る」と言われていた。2006年にはスナップが本格的に流行し、Cherish「Do It to It」やYung Joc「It’s Going Down」、T-Pain「Buy U a Drank (Shawty Snappin’)」などスナップを取り入れた曲が多くリリースされた。キング・オブ・クランクのLil Jonも、「Snap Yo Fingers」でスナップに挑戦している。
また、T.I.が自身の音楽性を表す言葉として使っていたトラップも、Young Jeezy(現Jeezy)のブレイクに伴い2005年頃からサブジャンルの一つとして地位を確立した。強烈なアドリブをトレードマークにしていたYoung Jeezyのラップスタイルは、確実にクランクからの連続性があるものだった。Young Jeezyが2005年にリリースした1st アルバム「Let’s Get It: Thug Motivation 101」はシーンに衝撃を与え、Young Jeezyはあっという間にシーンのトップへと駆け上がっていった。
Young Jeezyのブレイク以降、アトランタではトラップの人気が拡大していった。スナップやフューチャリスティック・スワッグなどの流行もあったが、いつしかトラップの存在感の大きさに飲み込まれ、気付けばクランクのようなパーティミュージックは下火になっていった。しかし、Lil Jonが全米に広めたクランクの遺伝子は、アトランタ以外で密かに育っていた。特にそれが色濃く出ていたのは、Lil Jonが影響を受けたDr. Dreの地元である西海岸だった。

西海岸ヒップホップに受け継がれたクランクの要素

Lil Jonはキャリア初期の1990年代の時点でToo $hortをフィーチャーするなど、ベイエリア勢との交流があった。Too $hortに並ぶベテランのE-40とも早くから共演。彼らとLil Jonの共演曲は何曲か生まれており、その繋がりの強さが感じられる。
ベイエリアでは、90年代後半からハイフィと呼ばれるムーブメントが起こっていた。ハイフィはミニマルなシンセを使ったパーティ・ラップで、クランクと違ってBPMは早かったが、クランクにも通じる魅力を持っていた。
E-40がBMEから2006年にリリースしたアルバム「My Ghetto Report Card」は、クランクとハイフィの蜜月が感じられる作品だ。Lil Jonは同作で、ドコドコとキックを鳴らすミニマルな「Tell Me When to Go」やT-Painがフックを歌うクランク&B風味の「U and Dat」など8曲をプロデュース。ハイフィ・ムーブメントの盛り上がりに貢献した。
Lil Jonはベイエリア勢といち早く組んでいたが、南カリフォルニアのラッパーとも多く共演していた。「Crunk Juice」では「Real Nigga Roll Call」でIce Cube、「Bitches Ain't Shit」でNate DoggとSnoop Dogg、Suga Freeをフィーチャー。Snoop Dogg「Step Yo Game Up」やIce Cube「Go to Church」など逆に西海岸ヒップホップ作品への参加曲も残していた。また、Lil Jonは関わっていないものの、Snoop Dogg周辺のDaz Dillingerは05年に「Gangsta Crunk」と題したアルバムを発表している。クランクが南カリフォルニアで人気があったことがここからも伺える。
ベイエリア発のハイフィはやがて南下し、南カリフォルニアでジャーキン(またはジャーク)と呼ばれるスタイルが生まれた。ジャーキンはハイフィと同様ミニマルな音楽性だが、BPMはハイフィと比べると遅い。Lil Jonも2009年にSnoop Doggのジャーキン曲「1800」をプロデュース。クランクの遺伝子がジャーキンにも受け継がれていることを示した。
ジャーキンのシーンからはYGが登場し、西海岸ヒップホップは新しい章に突入していく。そして、それを支えたプロデューサーはLil Jonを影響源として挙げていたのだった。

クランクコアとアクアクランク

越境的なセンスでメインストリームを盛り上げたLil Jon。彼の影響を受けたのは、ヒップホップやR&Bに留まらなかった。
Lil Jonのロック趣味は、シャウトだけではなく様々なところに現われていた。「Kings of Crunk」では冒頭からエレキギターが鳴り響き、E-40「My Ghetto Report Card」収録の「White Gurl」ではロックの力強いドラムを使用。プロデュースはLil Jonではないが、Ozzy Osbourne「Crazy Train」ネタのギターにLil Jonの雄叫びをフィーチャーした2004年のTrick Daddy「Let’s Go」のような曲もあった。アトランタのラップグループ、Shop Boyzが2007年に放ったヒット曲「Party Like a Rockstar」もこの流れに位置付けられる一曲だろう。近年はロックスターを自称するラッパーが増加傾向にあるが、同曲はその先駆けと言える。そして、2010年にはLil Jonが初のソロアルバム「Crunk Rock」をリリース。同作はタイトルの割にロック色はそこまで強くないが、クランクとロックの強い関係を示していた。
ロック関連の話題では、クランクにハードコアやエレクトロニック・ミュージックを融合した派生ジャンル「クランクコア」の誕生もあった。クランクコアの代表的なアーティストとしては、「Crunk Rock」にも参加していた3OH!3などが挙げられる。彼らが使うシンセはテクノというよりクランクに近く、シャウトもLil Jonの影響を感じさせるものだった。3OH!3は「Crunk Rock」にも参加。後にKid CudiやBenny Blancoなどとも共演しており、Lil Jon譲りの越境的なスタンスで活躍した。
エレクトロニック・ミュージックの分野でもクランクに反応するような動きがあった。スコットランドのビートメイカーのRustieは、クランクのスロウなBPMや808、強烈なベースやシンセの響きに影響を受けたジャンル「アクアクランク」を開拓した。2007年にリリースしたEP「Jagz The Smack」などでその要素を確認できる。
そして、トラップがさらなる人気を獲得していった2009年頃から、Lil Jon本人もエレクトロニック・ミュージックに接近。主戦場をヒップホップ以外のシーンに移し、その声をダンスフロアに運んでいった。

エレクトロニック・ミュージックにLil Jonが与えたもの

Lil Jon関連曲はサンプリングネタとしても好んで使われた。Lil Jon & the East Side Boyz「Who U Wit?」の女性が呟く「アイ」や、威勢の良い「エイ!」という掛け声は定番ネタの一つだ。Lil Jonネタはヒップホップだけではなくボルチモア・クラブでも好まれた。2009年にはDJ Classが「I’m The Shit (Remix)」が正規でLil Jonをフィーチャー。そして、「ボルチモア・クラブのリズム+Lil Jonの声」で作られたLMFAOの2009年のヒットシングル「Shots」頃から、Lil Jonのヒップホップ以外の畑での活躍が目立ち始めた。以前から共演を重ねていたPitbullがEDM方面で人気を集めていったことも重なり、Lil JonもEDM作品に多く参加。クランクのシャウトを注入し、世界中のダンスフロアを揺らしていった。
Lil Jonが残したもので定番サンプリングネタと化したのは、「Who U Wit?」の声ネタだけではない。Trillvilleが2003年に放ったLil Jonプロデュースのシングル「Some Cut」で全編に渡ってループされる、ベッドが軋む音もその一つだ。ベッドが軋む音はボルチモア・クラブから枝分かれしてスムースに進化したジャンル、ジャージー・クラブで好んで使われた。ジャージー・クラブの代表的なアーティストはCashmere CatやLidoなど。Cashmere Catが2012年にリリースしたEP「Mirro Maru」の表題曲などで、その「Some Cut」から引っ張ってきたベッドが軋む音を確認できる。
このように、ヒップホップだけではなくエレクトロニック・ミュージックの世界でも愛されたLil Jon。EDMの作品には今でもラッパーが客演する曲が多いが、それもクランクが残したものの一つだろう。ジャージー・クラブは後にヒップホップにも影響を与え、「Some Cut」のベッドが軋む音は至るところで使われるようになる。一時期クランクがメインストリームで勢いを失ったように見えた時期はあったが、その要素は分解されて様々な場所に忍び込んでいたのだ。

ラチェット・ミュージックとLil Jonの影響

2009年にヒット曲「Toot It and Boot It」を放ったYGは、その後ミックステープで徐々に名を売っていった。2009年に発表した2作目のミックステープ「The Real 4Fingaz」で起用したのが、後に黄金タッグとして名曲をいくつも生み出していくDJ Mustard(現Mustard)だった。Lil Jonからの影響を公言するMustardの作風は、Gファンクを踏まえたミニマルなループに軽快な808を絡めたもの。「Who U Wit?」の声ネタも多用していたその音楽性は、西海岸から生まれたLil Jonの後継者とも言えそうなものだった。DJ Mustardは自らの音楽性を「ラチェット・ミュージック」と命名し、Tygaが2011年にリリースしたシングル「Rack City」に起用されメインストリームに進出。その後2 ChainzやYoung Jeezyなどを手掛け、人気プロデューサーへと成長していった。
2014年にはYGが1stアルバム「My Krazy Life」をリリース。8曲をDJ Mustardが手掛けた同作は高い評価を獲得し、ラチェット・ミュージックを代表する傑作となった。収録曲「Left, Right」ではDJ Mustardもマイクを握り、Lil Jonを思わせる煽りを披露。クランクとラチェット・ミュージックの繋がりを示した。
ベイエリアでもラチェット・ミュージックは育っていた。Iamsu!やP-Loらを擁するコレクティヴ、HBK Gangはベイエリアのラチェット・ミュージックを代表する集団だ。ミニマルなループを活かした彼らのサウンドは、ハイフィからの連続性とLil Jonからの影響を感じさせるものだった。
R&Bシンガーがラチェット・ミュージックを取り入れることも多かった。西海岸のシンガー、Tinasheが2014年にリリースしたシングル「2 On」もその一つだ。ミニマルなループと「Who U Wit?」の「アイ!」を用いたビートは、クランク&Bが西海岸で生まれ変わったような名曲だ。また、同曲が収録された2014年のアルバム「Aquarius」には、よりクランク&B的なシンセも飛び出す「All Hands on Deck」(ジャージー・クラブのCashmere Catも関与!)も収録。クランクからの影響を見せつけていた。
現在ではラチェット・ミュージックは西海岸ヒップホップのスタンダードの一つとなった。西海岸で愛されたクランクの要素は、形を変えて今も息づいている。

2010年代のメインストリームに潜むクランク

トラップの人気が拡大していくにつれてサブジャンルとしてのクランクは勢いを失っていたが、その要素はEDMやラチェット・ミュージックなど、様々なところに潜んでいた。そして、メインストリームでもクランクの名曲へのオマージュが散見された。
ストレートなクランク要素を持つアーティストがいなかったわけでもない。2000年代後半には、アトランタから暑苦しいアドリブを多用したラップスタイルのWaka Flocka Flameが登場。Lex Luger制作の重厚なトラップビートで猛る2010年のシングル「Hard in da Paint」のヒットで大きな人気を獲得した。2010年にリリースした1stアルバム「Flockavelli」にはPastor TroyやLil Jonも参加。Three 6 Mafia「Tear da Club Up」へのオマージュ的な「Fuck the Club Up」もあり、クランクの要素がたっぷりと含まれた作品に仕上がっていた。
「Fuck the Club Up」のようなオマージュの例としては、2014年にはPetey Pabloと同郷のノースカロライナ出身のJ. Coleが、アルバム「2014 Forest Hills Drive」収録の「G.O.M.D.」でLil Jon & the East Side Boyz「Get Low」を引用。J. Coleは2018年作「KOD」収録の「Motiv8」でもCrime Mobのクランク名曲「Knuck If You Buck」をサンプリングしており、音楽性は全く異なるがクランクへの愛が感じられる。「Motiv8」と同年の2018年には、Travis Scottがアルバム「Astroworld」収録の「NO BYSTANDERS」でThree 6 Mafia「Tear da Club Up」(というよりWaka Flocka Flame「Fuck the Club Up」?)を引用。同曲で聴けるSheck Wesの熱い煽りは、まさにクランクのエネルギーが注入された曲だ。
そして極めつけは、ベイエリアのラッパーのSaweetieが2019年にリリースしたシングル「My Type」だ。Petey Pablo「Freek-a-Leek」を大胆にサンプリングした同曲は大きな話題を呼び、2019年にBETのヒップホップ・アワードに出演した際にはなんとPetey PabloとLil Jonも登場。「Freek-a-Leek」とのメドレー形式のライブを披露し、会場を大きく盛り上げた。2019年の年末にDuke Deuceが「クランクは死んでいない」と宣言したのは、決して誇張ではなかったのだ。

クランク影響下にあるジャンルのヒップホップ/R&Bへの還元

クランクが影響を与えたジャンルがヒップホップ/R&Bに還元される動きもあった。2019年には、クランク&Bの名曲「Goodies」を放ったCiaraがアルバム「Beauty Marks」収録の「Level Up」でジャージー・クラブを導入。ジャージー・クラブはカナダのR&Bデュオのdvsnが2020年にリリースしたアルバム「A Muse In Her Feelings」収録の「Keep It Going」でも取り入れられている。こういったR&Bのジャージー・クラブ導入の流れは、今後も要注目だ。
また、近年注目を集めるジャンル「ハイパーポップ」の分野にも、クランクが影響を与えたジャンルの流れを汲んだアーティストがいる。ハイパーポップを代表するアーティストである100 gecsが、クランクコアの3OH!3を影響源の一つとして挙げているのだ。2020年にはその3OH!3ともシングル「LONELY MACHINES」で共演している。100 gecsの音楽にはEDM的な要素やシャウトなども入っており、Lil Jonと繋がる部分も発見できる。また、ハイパーポップの元祖とされるUKのレーベルのPC Musicの主催であるA.G. Cookは、2014年にリリースしたシングル「Beautiful」のリミックスをアクアクランクの開拓者であるRustieに委ねていた。同曲でのRustieの作風にはあまりクランク的な要素は見られないが、そこから出発したアーティストと交流を持っていたことは見逃せないトピックだ。
そして、そのハイパーポップに接近しているラッパーもいる。100 gecs「ringtone (Remix)」に参加していたメリーランドのラッパー、Rico Nastyだ。Rico Nastyは、2020年にリリースされた1stアルバム「Nightmare Vacation」で100 gecsをプロデューサーに起用。先行シングルとなった「IPHONE」はアグレッシヴなエレキギターのループに加工した歌フロウが絡むハイパーポップ流儀の曲だが、アウトロでLil Jon的なシンセが入りシャウトを聴かせる様にはクランクの要素を見出すこともできる。
そのクロスオーバー志向で多くのジャンルに影響を与えていったLil Jon。彼がばら撒いたクランクの種は予想もしなかった形に成長を遂げ、ヒップホップやR&Bに再び還元されていった。そして2020年の最後。あるアトランタのラッパーがまた異型のクランクを叩きつけ、世界に大きな衝撃を与えた。

最先端のクランク・アルバム「Whole Lotta Red」

アトランタのラッパーのPlayboi Cartiが2020年の年末にリリースしたアルバム「Whole Lotta Red」は、リリース直後賛否両論の嵐を巻き起こした。それまでのPlayboi Cartiのスタイルは、アドリブを大量に盛り込みつつクールに決めるもの。「ベイビーヴォイス」と称される奇怪な高音を聴かせることもあったが、熱くスピットするようなタイプではなかった。サウンド面は浮遊感のあるものや、どこかポップさがあるものを好んでいた。それらの組み合わせによるユニークな音楽性で人気を博していたPlayboi Cartiだが、2年ぶりにリリースされた「Whole Lotta Red」では様子が違った。
冒頭を飾る「Rockstar Made」から全開だ。シンプルで厳ついシンセのループにド迫力の低音が効いたビートに、シャウト気味の発声も交えてズルズルと絡んでいく。続く「Go2DaMoon」もどこか不穏で、アドリブもエネルギッシュなものを披露。3曲目の「Stop Breathing」でもそのムードは継続され、威圧的な低音とシンプルなシンセのループで声を張る。その姿は、これまでのPlayboi Cartiのイメージとはあまりにも異なっていた。4曲目の「Beno!」では以前のスタイルに近いものを聴かせるも、次の「JumpOutTheHouse」では再びミニマルなシンセと迫力ある低音に乗り込む。以降も従来路線を時々織り込みつつも、やはりこの「強烈な低音とミニマルなシンセのループにシャウト気味の発声も交えて絡む」スタイルが目立つ。
強烈な低音とミニマルなシンセのループにシャウト気味の発声も交えて絡む。そう、「Whole Lotta Red」は2020年に産み落とされた最先端のクランク作品なのだ。思えばPlayboi Cartiのアドリブを多用したラップスタイルは、最初からLil Jonの系譜にあった。Playboi Cartiは同作のリリース前、オーストラリアのCulture Kingsのインタビューで同作について「俺はちゃんとラップができるってことをみんなに証明するつもりだ」と語っていた。自身がどの系譜に位置付けられるのかを明らかにし、そのマナーの中でちゃんとラップしていることを全力で見せつけたPlayboi Carti。今まで異端の存在に思われていたが、アトランタのラッパーとしては実は正統派だったのだ。

クランクは死んでいない

メンフィスのヒップホップから始まり、アトランタにて育ち、メインストリームを席巻したクランク。その影響はヒップホップ近接ジャンルであるR&Bはもちろん、エレクトロニック・ミュージックやロックにも及び、そしてヒップホップにも還元された。今後「Whole Lotta Red」から始まる何かもあるかもしれない。Duke Deuce「Memphis Massacre 2」にも参加していたHitKiddなど、新たなクランク職人も登場してきている。クランクは死んでいないどころか、今でもその強力なエネルギーを持って進み続けているのだ。

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