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ハライチをお笑い界に誘った会社員の15年間

はじめに

こんにちは!
AKKODiSコンサルティングの國司です。

今日はお笑いコンビハライチとのことを書きます。
普段こういうことを書いたりしないので完全保存版です。
創作大賞を狙っていますので、タイトルにちょっといやらしさを感じますが、バズれバズれと思いながら書いていますのでご愛嬌ということでよろしくお願いします。笑

※大前提として、「ハライチをお笑い界に誘ったこと」には価値があると思っていません。
ただ、

「ハライチが親友であることで得られた心境や経験」

には誰でもできない価値があると思い、このnoteを書いています。

※写真は8年ぐらい前に「そうだ、旅(どっか)に行こう」に出た時に撮った写真です。3人の写真はこれくらいしかありません。笑

みなさん、お笑いコンビハライチはご存知ですよね?
澤部くんと岩井くんのコンビです。
岩井くんのキレのあるボケと、澤部くんの臨機応変なツッコミと、2人の仲の良さが魅力のコンビです。
最近はいいともの枠で「ぽかぽか」もスタートして絶好調です!
※中学の時から「澤部くん」、「岩井」と呼んでるので、ここからはいつもの呼び方で書きます。

そんなハライチと僕は中学時代の同級生なんです。
埼玉県上尾市立原市中学校卒業です。笑
地名なんです。ハライチは。

ハライチをお笑い界に誘った経緯

中学の卒業式が終わって、高校に入る前の春休みの間、僕たちは仲が良かったのでいつも澤部くんの自宅で遊んでいました。
ウイイレやったり、夜中にクロックタワーをやったり、恋の話をしたり、青春でしたね。笑

高校からはみんな別々の高校に進むことになっていたので、こんなに会えるのはもう最後かなという空気感でした。
みなさんも経験したことあると思いますが、「なんかさみしい、なんか形に残したい」という感情が生まれるやつです。

ゴイステの歌詞じゃないですが、「僕は何かやらかしてみたい」と思ったんです。
当時ちょうどM-1が始まり、空前の漫才ブームでした。
「オレたちっておもしろいよね。」と澤部くん、岩井と話をしていたこともあり、永ちゃんじゃないですが「根拠のない自信」があったので、そこで僕は澤部くんに「高校卒業したら上京してお笑い芸人になろう。」と誘いました。
※その時は岩井はいませんでした。

埼玉から電車で30分で東京に行けるのに、その時は「上京」がとにかくかっこよく感じたんです。
完全にアクションが目的になっている状態です。笑
でもいいんです。最初はそんなもんです。

そして、澤部くんが岩井も誘いたい!となり、お笑いトリオが結成されました。
このときはまだ「ハライチ」という名前ではなく、名前はまだない状態でした。

※「ミカリンズ」は澤部くんと岩井が小学校のときに結成したトリオ名です。その時の3人目は僕ではなく、原市中学校の生徒会長である藤原くんです。笑

ハライチを脱退した理由

3人それぞれ別の高校に入り、それでも何回かは3人で遊んだりしていました。
不思議なもので、いざお笑いやろうと決めた上で会うと、どうしてもお笑いの話になり、岩井がボケ、澤部くんがツッコミ、國司は?みたいな空気になっていました。
楽しく遊びたいのに、仕事のことが絡んでうまく楽しめない感覚です。
そして澤部くんと岩井はとにかく仲が良く、3人で歩いていても自然と2人が隣同士で僕が後ろを歩くポジションになり、なんかちょっとこのままいくと自分は居場所ないんじゃないかなと思い始めてました。
國司-澤部、國司-岩井でももちろん話をしますが、圧倒的に澤部-岩井の時間が長い感じです。

そんな中、僕はアメフトが楽しくなってきて、のめり込んでいき、いくつかの大学から声をかけていただきました。
お笑いか進学か考えた末、やはり2人の仲の良さや息の合い方はすごかったので、自分はいない方がいいと考えたのと、アメフトで日本一になろうと決めたため、脱退を決意しました。

2人には國司は「アメフトで大学に行く」からと伝わっていたみたいですが、金スマに出演させていただいたときに「自分はいない方がいい」と思っていたことをあれから15年後くらいに伝えました。笑

金スマの時の2人の反応を見ると、本当にアメフトやるから抜けるって思っていたみたいです。
自分で誘っておいて抜けるなんて、ほんとに無責任なやつですよね。笑

私の大学時代とハライチ

僕は日大のアメフト部に進学が決まり、毎日アメフト漬けでした。
ハライチはワタナベエンターテイメントのお笑い芸人の養成所に特待生として受かり、かなり期待されているようでしたが、デビューして2.3年はうまくいかない感じでした。

私はアメフトで大きなスタジアムで試合をして、それを澤部くんが観に来てくれて、うちの両親たちと澤部くんが飲んで帰るみたいなのが大学時代の日常でした。
大学日本一を決める甲子園ボウルにも澤部くんは来てくれましたが、行きの新幹線で僕のお父さんとお酒を飲みすぎて試合中はベロベロでした。笑

今思うと、あの時の澤部くんには「國司は大きなスタジアムで試合をしていて、自分は芸人としてうまくいってない、何をやっているんだろう。」という焦りみたいな思いがあったのかもしれないです。
※本人に聞いたことはないです
※そういうこと思わずに肩の力が抜けているところが澤部くんの良いところでもあるので特に何も考えてないかもしれません。笑

私の社会人生活とハライチの躍動が同時に始まり、苦悩の日々が始まる

大学を卒業し、僕はAKKODiSコンサルティング株式会社に入社しました。
ITエンジニアとして1年、2年目からは営業としてキャリアをスタートし、毎日奮闘の日々でした。
とにかく厳しく指摘してくれる上司(立命館大学アメフト部出身のすごい人)のおかげで、とにかくメンタル的にきつい毎日でしたね〜

「見積」や「稟議」という言葉の意味もわからずに営業としてキャリアをスタートしたため、0から指摘をいただきました。
上司になった今思いますが、当時の僕が部下にいたらさすがに指摘しますね。笑

めちゃくちゃ仕事ができないのに、「社会という大海原で海賊王になりたい。」と言ってよく上司に説教されてました。良い思い出です。笑

ただ、当時の私はそれが嫌で仕方なく、もうダメだ、上京はやはりきつい(電車で30分で帰れる距離なのに。笑)、退職して実家に帰ろうと何度も思いました。

※この経験により、「自分は仕事が苦手なタイプなのでとにかく準備することが大切」という教訓になり、今の自分があります。
※のびさん、あの時はありがとうございました!
 東京来る時はぜひ飲みに行きましょう!

そんな中、ハライチが売れ始めます。
「おもしろ荘」でしろくまのトレーナーがバズり、「キャンパスナイトフジ」、「オトメン」の出演等で一気に出演回数が増えました。
そしてM-1の決勝にも進出し、一気に若手芸人の中で最も勢いのある芸人になりました。

友達が活躍しているのを観てとにかくうれしかったです。
でもその時、ふと一つの感情が芽生えました。

「ハライチはこんなに活躍してるのに、俺は今何をやってるんだ。」

そこから数年間、僕の苦悩の日々が始まります。

苦悩の日々と、一筋の光となった言葉

そこからのハライチはどんどん売れます。
特に、澤部くんが売れていきます。

「いいとも」、「みなさんのおかげでした」、「すべらない話」、「アメトーーク!」、「めちゃイケ」等々、お笑い芸人になりたかった高校生の頃の僕が出たかった番組にどんどん出ていきます。
27時間テレビの立ち振る舞いもすごかったですね!
ただ、ミュージックステーションはまだ出てないと思います。笑

どんどんとスターになっていく2人を観て、自分は営業としてくすぶっている。

「ハライチはこんなに活躍してるのに、俺は。。」

いつもこんなことを考えていました。
そのときはいつも日記に思いの丈を書いていましたね。笑
僕の青臭い感情がとにかく書かれていました。
まさに青春。あの日記、捨てなければよかったな。笑
日記に書いていたことは「そうだ、旅(どっか)に行こう」でも話しましたので、23〜25歳くらいの頃です。

考えていけばいくほどうらやましいし、妬みみたいな感情がでてきてしまいます。
ハライチに売れてほしくないのか?と聞かれると、素直に売れてほしい。と回答できない状態で、そんな自分が嫌で仕方ありませんでした。

「友達の活躍を素直に応援できない人なのか自分は」と。

自分がうまくいってないので、とにかくうらやましい状態が続きました。

この頃、自分でもいろいろ模索していました。
ハライチのおかげで出れたテレビのスタッフさんに連絡してまたテレビに出してほしいと連絡したり、キングオブコントに出ようとしたり、結婚式2次会の司会をよく頼まれていて得意だったので雇ってくれる事務所を探したり。
まぁすべて成果にはつながりませんでしたね。
そりゃそうです。
「ハライチ幻の3人目」、「ハライチをお笑い界に誘った人」に価値なんかないです。

※ただ、結婚式2次会の司会はまじでうまいです。
新郎新婦、そしてゲストのみんなが幸せになるような会にできますので、ぜひお声がけください。笑


キングオブコントのときなんかは、予選会に出ようとしたときに妻にめちゃくちゃ反対されました。
妻は遠回しに「悩んでないで地に足着けて働け」と言いたかったんだと思います。
結果、キングオブコントには出ませんでした。
あのとき考えたどこかの芸人さんのネタをパクったようなおそろしくおもしろくないネタは世に出ることはありませんでした。笑

変なラッパーが出てきて、変な言い方でツッコむという内容です。しかもツッコむフレーズはその時の空気で変えるというなかなかな内容でした。笑


仕事に話を戻します。
ハライチの活躍により苦悩はしながらも、僕はがんばればなんだってできると思っている人間なので、苦手ながらも営業という仕事に真正面から向き合い、数をこなすことで成果を上げていました。
その結果、1番大きなお客様を任され、営業成績は3年連続で1番でした。

「仕事が苦手でも成果は達成できるよセミナー」を開催したいくらいのシンデレラストーリーです。笑
27歳くらいの時です。

そんな時、営業の上司に飲みに誘っていただきました。
ざっくばらんに話をする中、その時のハライチに対する嫉妬のような感情を恥ずかしながらも話しました。

その時上司がどんな回答をしてくれたのかはもう覚えていないのですが、笑
一つだけ今でも覚えていて、苦悩の日々に一筋の光になった言葉があります。

「國司が本当にすごいやつなら、ここでこんな悩み抱えてない。」

もう、ガツーン!ときました。笑
たしかにそうだなと。何を自分がすごそうな感じで悩んでるんだと。
本当にすごいやつなら周りが放っておかないなと。

まさにバカリズムさんがゴッドタンのマジ歌で歌っていた「俺らしくありのままで生きたいとカマされても」、「君のらしさにそれほど引きがない」がめちゃくちゃ当てはまる状態です。笑

全然すごくもないのにハライチをお笑い界に誘っただけで何を勘違いしてるんだ自分は。と思いました。

そこで、本当の意味で心も体も地に足を着けて働き、自分自身の価値を上げる強い気持ちが生まれました。

そこからは良い意味で自分に諦めがつき、すっきりしました。
もう、覚醒した感覚です。
OSがアップデートされて見え方が一気に変わったような、目が覚めた感覚です。
スーパーサイヤ人ならぬスーパーサラリーマンになろうと決意した夜でした。

森本さん、あの時はありがとうございました!
森本さん執筆の「伝説のサラリーマン」、読もう読もうと思ってまだ読んでないので必ず読みます。笑
また飲みに連れてってください!

覚悟を決めた僕が自分の原動力に気づく

ある意味、今の自分に夢を見ること、期待することを諦めた僕は、本当に地に足が着いた感覚で仕事に打ち込みました。
ちょうどその頃から中途採用部門に異動し、新しい挑戦が始まったのも良いタイミングでした。
28歳くらいの頃です。

中途採用では、持ち前の行動量と声の大きさと印象の良さで0→1や、1→10の経験を積ませていただきました。
※強みとして書くようなものではないですね。笑

そして、いろんな仕事に首を突っ込んだおかげで、いろんなことができるようになりました。
今も英語がまったく話せないのに、グローバルの採用会議への参加希望を出し、英語でプレゼンする準備中です。笑

今は30名弱の部の責任者としてリードをする役割をいただいています。
部長の中でも年齢は若い方で、周りから見れば順風満帆に見えるのかもしれませんが、僕は今の自分に満足はしていなくて、まだまだ自分はやれるし、やらなきゃいけないと思っています。
会社の変革期ということもあり、周りの方々や家族にも驚かれるような業務量ですが、笑 モチベーションが尽きることはありません。

なんでこんなに自分はがんばれるんだろうと不思議に思うくらいでしたが、キャリアデザイン系の自社研修の中で、自身のモチベーションの源泉や、キャリアビジョン、ライフビジョンを言語化することがあり、そこで自分のモチベーションの源泉、つまり原動力に気づきました。

自問自答を繰り返し、深掘りしていくとそれはいたってシンプルで、私のモチベーションの源泉、原動力は、

「ハライチに負けたくない。」でした。

ハライチとは同級生であり、友達です。
そんな彼らが20代前半からお笑い界で評価され駆け上っていきました。
スポーツ界でいえば同級生のダルビッシュさんや本田圭佑さんのような感じです。(世界規模ではないので、そこまではすごくないかも。笑)
ビジネス界でいえば、例えがうまくないですが、20代30代でユニコーン企業をつくり推進しているようなトップランナーです。

そんな彼らに

「負けたくない。」と思える。

こんな貴重な心境はありません。

こう思えるだけで、世界や視界が変わります。
スキマスイッチの「全力少年」の「視界はもう澄みきってる」状態です。
考えている視点や視座が他の方と違うので、目の前の人間関係や派閥問題等に心を乱されることもありません。

ハライチに負けないような存在になるにはどうしたらいいか。
そんな存在だったら今この状況で何をするか。

そんなことを考えながら仕事をしていくことで、より良いパフォーマンスを追求するようになれます。

今、ハライチに思うこと

ハライチに対する嫉妬や羨ましいという感情が晴れ、自分の原動力に気づき、自己理解・自己一致をした僕が今ハライチに思うこと。それは、

健康とスキャンダルに気をつけてがんばって。
またテレビ呼んでね。
そしていつか一緒に旅番組やろう。

です。
結局、根本的なところは変わらず、僕はこういうことが好きなんです。
たまにテレビに出してもらえると、生活にハリが出ます。笑

こないだのA-Studioのインタビュー収録も最高の経験を積ませていただきました。
鶴瓶さんと藤ヶ谷さんにインタビューしていただき、いろいろ話しました。

「おまえおもしろいやつだな〜華もあるし、3人でハライチやってたらおもしろかったかもな。」

と言っていただいたので、こう返しました。

「ありがとうございます。たまにテレビに呼んでほしいですね。でもトリオでやってたら僕はスキャンダル起こしてると思います。」

鶴瓶さんも藤ヶ谷さんもめっちゃ笑ってました。笑


ハライチへの話に戻します。
今では嫉妬はないですが、羨ましいとは思っています。でもそれでいいんです。

「ハライチに負けたくない。」
その思いで、自分の市場価値を上げ、ビジネスマンとして日本の経済成長に貢献し、社会をより良くしていきます。
僕がこの気持ちでがんばることにより、ほんのちょこっとでも社会や周りの人が良くなるのであればそれで良いと思っています。

こういった心境や思いを経験させてくれたハライチにとても感謝しているし、シンプルにハライチの2人には健康とスキャンダルに気をつけてますます活躍していってほしいです。

澤部くんへ

とにかく健康とスキャンダルに気をつけて澤部くんらしくがんばって。
もう僕たちおじさんなので、毎年人間ドック受けて家族大切にしていきたいね。笑
なんだかんだで会う機会が減り、澤部家のパーティーに行けてないのでお互いの家族の体調が万全の時におじゃまさせてください!

岩井へ

岩井が「同窓会に行くやつは結局過去の話をしたがるやつだからダメだ、幹事は今を自慢したいやつだからもっとダメだ」的なことを書き、それがバズったことにより、同窓会幹事である僕は同窓会をやりづらくなったよ。笑
30歳の同窓会以降、同窓会やれてないので、40歳の同窓会は岩井にやってもらいたいと思ってます!笑
どんな話になるか想像つかないけど、それがおもしろいと思うので、いつか3人で飲みましょう。

おわりに

7,000文字を超える私の超大作、最後まで読んでくださりありがとうございます。

「國司さんのnoteは薄い。」

と後輩に言われ、超大作を書きましたが、この話を採用パートナーの偉い方にしたとき、

「内容の濃さは字量じゃないです」

と言われ、確かにそうだと思いました。笑

ただ、今回の話は約15年で感じたことを書いたので濃くはなってるかなと思います!

ミステリと言う勿れで事実と真実の違いについて触れる話がありましたが、これが私から見た「ハライチと私の真実」です。
真実は人の数だけあるので、澤部くんと岩井からしてみれば別の真実があると思います。

というか、真実が人の数だけあって、事実が一つなら「真実はいつもひとつ!」と言ってるコナンくん間違ってますよね。
「事実はいつもひとつ!」ですよね。笑

でも不思議なもので、「事実はいつもひとつ!」と言ってるロジカル探偵コナンだと人気出なそうですよね。
薬で体が小さくなったことを延々と調べそうだし、目の前の事件を解決できなそう。笑

最後めちゃくちゃ脱線しましたが、脱線や寄り道こそ人生を豊かにするエッセンスだと思ってます。笑

寄り道をしながらも

「ハライチに負けたくない。」

を原動力として、世のため人のため自分のためにこれからもがんばっていきたいと思います。

「日本を、課題解決先進国へ。」
「失われた30年を5年で取り戻す」

AKKODiSコンサルティングを、そして私をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

國を司る壮大な太郎と書いて、國司壮太郎

※名前に追いつけ追いこせでがんばります。笑

※※※
現在はAKKODiSコンサルティングを退職し、株式会社ESESで事業部長として働いています。
「自らとエンジニアがウズウズ働ける世の中をつくる。」の実現を目指して推進しています。

ご興味ある方はXやLinkedInの私のアカウントへ直接ご連絡ください!

株式会社ESES HP


退職に関する記事はこちらです。


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