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6度目の野辺山ウルトラマラソン100kmは、2回泣けた

昨日、野辺山ウルトラマラソン100kmを走ってきました。

今年は6回目のチャレンジ。もう十分慣れた玄人感が出ても良い頃合いですが、何度やっても感じることが多いものが100kmマラソンです。

今日はウルトラマラソンを終えて、今感じていることを書いてみたいと思います。ややマニアックな振り返りですが、よろしければお付き合い下さい。

忘れていた”しんどい”という事実

ウルトラマラソンの大会前日、こんな記事をnoteに書きました。ウルトラマラソンに参加する3つの理由は

「理由1:自らを磨く毎年の習慣」
「理由2:仲間とのお祭り感が楽しい」
「理由3:デカフォレスト(10回完走)を目指したい」

なんて明るく楽しい感じで書きました。

しかし、忘れていた事実がありました。
それは「しんどい」という事実です。頭では覚えてはいたのですが、体感覚としてはすっかり忘れて、ワクワクだけでした。むしろ楽観すぎたかもしれないほど。

希望と走った30キロ

ゆえに、今回もせっかくなら完走するだけではなく、「自己ベストの記録を出したい!」と思っていました。

練習における月間走行距離も150kmと、昨年に遜色ない量を走っていました。うまくいけば去年の自己ベスト11時間48分を超えられるかもしれない!と期待をしていました。

よって、事前に作った去年の記録を参照にしたペース表を手元に置きながら、「1kmを昨年より速く走る!」と希望と共に走り始めました。序盤からガンガンとばして、10km、20km。30kmでも悪くない形。「このままの昨年を超えられるか?!」と思った矢先のこと。
 30kmを超えたあたりから、不穏な気配を感じ始めました。急に脚が重たくなったのです。脚の裏が痛くなってきました。あ、やばい・・・とばしすぎた。気づいたのはあとの祭り。そこからはペースを保とうと思ってもペースがどんどん落ちていきました。

攻める選択が裏目に出た

そこで気付いたのでした。「脚がなくなった」ということに。

脚のスタミナを使い果たし、ペースが急に落ちるタイミングを「脚がなくなる」なんて表現します。まさにその状態。「脚がなくなる」と気持ちよくテンポよく走っていたのが嘘のように脚が重く、走っても走っても、なかなか前に進みません。

調子がよいときは、この「脚がなくなる」という感覚がないまま、後半まで(ときにはゴールまで)行き着くことができます。すると良い記録が出せることも。

しかし難しいのが、私のような市民ランナーでは「今日が調子がよいかどうか走ってみないとわからない」ことです。走り始めは調子がよい気がしないでもない。攻める or 守るか、どっちにするのか・・・

 この日の私は前日の楽観&ワクワクな感じで、無計画に「攻める」選択をしました。ゆえに序盤からハイペースで攻めて、結果として序盤で力尽きました。

苦行の残り70キロ

さて、ここからが問題です。
脚がなくなったのに、残り70kmある」ということ。
絶望のにおいがします(汗)

ペースが落ちた後は、後続の参加者に次々抜き去られていきます。ずるずると後退していく感覚。自己ベストは塗り替えられない。でも完走は死守したい。しかし、脚は重たい。。。

「完走は絶対するのだ」
「自己ベストは難しいから、もっと歩けばばいいじゃん」
「脚痛い、眠たい、気持ちわるい」

磁力を失った方位磁石のように、モチベーションと諦めがマーブル模様のように自分の中でぐるぐるまざり、心が揺れ動きます。その感覚の中で「ウルトラマラソンって、そうだった、キツイんだった」と思い出し、その感覚を忘れて楽観視していた自分にしばし呆然とします。

でも、「走らないと終わらない」ので、4~5kmごとにある「給水所」を目指すことにしました。次のゴール、まずは次のゴールと考えます。ゴールまでいったらちょっと座ろう。そうやって刻み続けました。

 今年も相変わらず「負けないで」byZARDと「それが一番大事」by大事MANブラザーズバンドと「終わりなき旅」byミスチルのヘビーローテーションで元気づけられました(Runner by爆風スランプは熱すぎて重たいので聞きません笑)。

結局、レースタイムはこんな感じで、無事100kmを完走することができました。

走り終えた感想

今回は、6回出走中2番目にキツいレースでした。
(一番きつかったのは、制限時間もギリギリかもという一昨年のレース)

いつもきつくなるとなぜか涙が出るのですが、今回は2回泣けました。

1回目は70km地点くらいで「頑張るんだ」と言い聞かせている自分と「しんどい」という自分の内なるバトルの中で、よくがんばっているよなあ、と出産直後のウミガメのようにしっとりとした謎の涙が流れました。
2回目は、93km地点で飲んだ粉味噌汁が美味しすぎて、これまでなぜだかはらはらと涙が溢れてきました。

肉体が追い込まれると心が敏感になるのですが、ちょっとした街角の応援、優しさ、味噌汁のしょっぱさがすべて染み渡ります。このレースを作ってくれたあらゆるスタッフの方にも感謝の念が湧いてきます。不思議と涙のあとは元気になります。

改めてランニングは多くの事に気づかせてくれるように思います。だから、美しく、好きなのかもしれないな、と思いました。

最後に反省として、今回は追い込みの坂道練習の不足や、コンディションの調整が足りていませんでした。来年はもっと準備して、また自己ベストへとつなげたいと思います。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。




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