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完成された「不完全さ」YAMAHA CP-70讃!

店にYamaha CP-70Mが入荷した。
CP-70、CP-80シリーズといえば一時代を築いたエレクトリック・グランドピアノだ。実際のグランドピアノのように水平にピアノ弦が張られており、ダブルエスケープメント・アクション(グランドピアノのアクション)の「ポータブル」エレピだ。

さらに、CP-70MはMIDIアウト端子がついており、MIDIコントローラーとしても使えるというもの。実際に現在でもステージでこのCPを使用しMIDIでシンセを鳴らしているアーティストもいる。

かつて練習スタジオのエレピといえば、このCP-70が置いてあったりした。ある程度ちゃんとしたスタジオにはCP-70かRhodesがあった。私の自宅のRhodesは廃業した練習スタジオから購入したものだ。Rhodesが欲しくて仕方がなかった頃(今でもそうなのかもしれないが)、友人(学生時代のJazz研の先輩)に相談したところ、廃業するスタジオがあり、そこの機材を売りに出しているという情報を聞いた。翌日、仕事が終わった後、すぐにそのスタジオに行き購入した。私の書斎に置いてあるCP-70Bも、同じようにスタジオの払い下げ品である。

CP-70Mは1985年に発売されているから、YamahaがDX-7を発売した後である。その頃はもう、ポータブルなシンセサイザーがあり、ピアノ音源もあったので、ある意味エレクトリックピアノなどなくてもピアノはシンセで代用できたのだが、それでもCP-70を作り続けていたというYAMAHAの度胸はなかなかのものである。

YAMAHAの作った楽器で、自分が欲しいと思うようなものはほぼなかったのだけれど、CP−70だけは別格だった。YAMAHAは楽器というよりは音楽を奏でられる工業製品を作っているものだと思っていたし、YAMAHAのピアノもなんだか「音楽を奏でる魔法の箱」という気分が出ない、普及用と割り切った商品が多いのでなんだかあまり好きではなかったのだけれど、CP-70には唯一魅力を感じて、自分でも所有している。

CP−70の何がいいかと言えば、その無理がある設計である。ピアノに限らず弦楽器は弦の硬さや長さという制約があるので、基音に対して倍音が理論値よりも高くなり「倍音のずれ」が生じる。いわゆるインハーモニシティである。特にピアノはこのインハーモニシティを逆に活かして設計されているのだが、基本的には、弦の長さが長くなればなるほど、弦の張力が緩くなればなるほどこの倍音のずれは解消される方向に働く。それに対し、CP−70は極端に弦の長さが短いので、インハーモニシティの影響が大きい。

簡単に言えば、CP-70はチューニングがピッタリ合わない「不完全な楽器」の代表格なのだ。(アコースティック楽器は全て不完全な楽器なのだけれど)それが、このCP−70およびCP-80、CP-60の独特のサウンドを作り出している。

昨日、このCP-70の調律をしたのだけれど、Petersonのストロボチューナーなしでは素人に調律は不可能である。永遠に合わない。Petersonのプリセットで入っている「CP7」という割り振りを参考に(あくまでも参考でしかないが)調律すると、なんとなく調律が合う(ように聞こえる)。

シンセの音源を使えば、厳密に理論上完全な倍音を鳴らすこともできる。それではピアノの音ではないのだけれど、CP-70Mの時代には、すでにそういう「完璧な楽器」が存在したのだ。それでも頑固にこのエレピを作り続けたYamahaは偉い。アコースティック楽器メーカーとしての意地を感じる。

それこそがYAMAHA CP-70という楽器を魅力的なものにしている。

美しいピアノの音が欲しい人は、スタインウェイでも、ベヒシュタインでも、ベーゼンドルファーでもなんでも弾けばいいと思う。あれらは、長年の経験と音楽的美意識によって設計され、製作されているピアノなのでそれぞれ、ちゃんとした美しいピアノの音がする。

しかしながら、CPの音が欲しければ、CPしかない。もちろん、今のシンセにはCPの音源も入って入るけれど、デジタルで再現されたアコースティック楽器やエレピほどつまらないものはない。あれらはどうしても永遠に代用品である。

YAMAHAもすっかりデジタル楽器にも手を出してしまってはいるけれど、今の時代こそ楽器メーカーにはあの頃のように「不完全な楽器」を真面目に作り続けていって欲しいと強く思っている。その不完全さこそが楽器本来の音なのだから。

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