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さよならDuane Eddy

Duane Eddyの訃報が飛び込んできた。
彼の音楽が好きな私としてはとても残念なニュースである。Duane Eddyのようにギターを鳴らすことができるギタリストは他にいなかった。

彼はシンプルなフレーズを弾くだけで、エレキギターというものがいかにかっこいいものかを証明したギタリストであった。Gretschを弾いていても、Guildを弾いていても、常に彼の音がアンプから飛び出してきていた。テクニカルなフレーズなど無くても、彼が弾けばそれがロックンロールであろうとロカビリーであろうと、彼の音楽になっていた。

世の中にギターヒーローは数多いる(いた?)が、彼ほど少ないフレーズでエレキギターというものの魅力を最大限に示すことのできたギタリストは他にいない。彼のギターはいつも必要最小限のフレーズしか奏でなかった。低音弦を自信たっぷりに、そして丁寧に鳴らしリフを繰り返す。それが彼のスタイルだった。

超絶技巧や速弾きなどというものを全く駆使しなくても、エレキギターのかっこよさというものがハッキリと聴衆に伝わる。そういうギターに初めて触れたのはDuane Eddyで、私は高校生だった。もちろん彼のアルバムはリアルタイムでは出ていなかったし、日本国内での人気はそれほどはなかったのかもしれない。それでも、Duane Eddyというギタリストの名前とその音色は極東の高校生の脳裏に焼きついた。彼がどんなモデルのギターを弾いているのかは、彼のレコードのジャケットを見て初めて知った。グレッチの6120であった。

それ以来、私はGretschというギターに強い憧れを持った。

そして、30代に差し掛かり、また別のDuane Eddyのアルバムを聴いていたら、ジャケットに映るギターはGuildであった。何とも豪華で存在感のあるギターこそがGuildのDuane Eddyモデルであった。これこそがエレキギターというような説得力のあるギターサウンドは、彼のGretschやGuildが奏でていた。

またしても、私はすぐにGuildのギターに強い憧れを持った。

ある日、新宿のギターショップに立ち寄ったら、そこにアメリカ製のGuildが飾ってあった。一見Gretschの6120を思わせる佇まいであったので、二度見してしまったが、それは確かにGuildであった。

Guild X-160

値段はいくらだったか、大体覚えてはいるけれど、Gretschに比べたら安かった。私は、それを購入し帰宅した。

ステレオで大音量でDuane Eddyをかけて、それに合わせてGuildを鳴らした。音はあの音に近かったが、あのような太く朗々と響くギターサウンドを出すことはできなかった。彼のようにギターを鳴らすためには、迷いのない心が必要だった。自分のギターサウンドを作り出すという迷いのない姿勢が私には足りていなかった。

その後、何度か店でDuane EddyモデルのGuildを見たことはあり、実際に弾かせてもらったこともあるけれど、少し私には大きすぎて、扱いきれなかった。あれは、やっぱりDuane Eddyになりきるというものすごい覚悟がなければ演奏できる代物ではない。

私にとっては自宅にあるGuildのX-160こそが「私のDuane Eddyモデル」だと信じている。

いつだったか、義理の父が東京にきた時、朝にDuane Eddyのレコードを聴いていたら、父から「この人は本当にギターが上手いね、なかなかこういうふうに迷いなく弾ける人はいない」と言われた。まさにその通りだと思う。

ルイ・アームストロングも、グラントグリーンもスティービーレイヴォーンも然りだが、楽器を堂々と自信を持って鳴らせば、それが自ずから自分の音楽になるというスーパープレーヤーが音楽の世界にはいる。音楽および楽器の神様に愛される音楽家である。Duane Eddyもその一人だったのだと思う。

最近私のnoteは訃報ばかりが続いているけれど、明るい話題ができるよう、日々前向きに生きていきたい。そのために、Duane Eddyのアルバムを聴いて彼の音楽に元気をもらおう。

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