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自分のための歌

地元を離れる前、友達にあるお願いをしていた。
わたしのために曲を作ってほしい、と。

人も思い出も断ち切って、新たな人生を始めるつもりで上京を決めた。
だけど少し寂しい気持ちも心のどこかにあって、わたしがここにいたという証になるものがあったらいいなと思った。

自分で作るのではない。自分で作ったってただ自己完結するだけ。
人から作ってもらうことによって、少なくとも自分以外にその相手の中にも残るものになる。(なんてわがままなのだろう)

わたしが自分の曲として歌える曲(楽曲提供)でも、彼が彼自身の曲として作るものでも、どちらでもいいので、餞のつもりで曲を書いてもらえないだろうか。
そんなこの上なく贅沢なお願いを、彼は快く引き受けてくれた。

先日、その曲が完成したと、YouTubeのリンクが送られてきた。

すぐに聴いてみた。

涙が止まらなかった。
声をあげて泣いたのは久しぶりだった。
何度か聴いているけれど、わたしはまだこの曲を泣かずに聴くことができない。

この歌詞は、正真正銘、自分に向けて書かれたものだ。
これまでの人生で、辛いなぁとか苦しいなぁって時、好きなアーティストの歌詞に共感したり自分を投影したりして気持ちを保っていたことは数え切れないくらいある。
でもそれって、あくまで自分に置き換えているだけであって、歌われているのは自分のことじゃない。

自分のために書かれた歌詞というものは、こんなにも心を揺さぶるのか。
これまで自分の気持ちを勝手に重ね合わせて聴いてきた音楽とは明らかに響きが違う。
なんと幸せな体験なのだろう。

わたしの苦しみを、辛さを、真にわかってくれていたのは彼だけだった。
彼は本当によく人を見ている。そして心の動きによく気が付く。
気が付くだけでなく、手を差し伸べてくれる。わたしは何度も救われた。
ひとりだけでもわかってくれる人がいたことは、わたしにとって本当に救いだった。

そして最後にこんなわがままで贅沢なお願いを叶えてくれた。

すべて断ち切るつもりで飛び出したけれど、自分のために心を砕いてくれた人の存在は忘れたくない。
その当人にこうして曲を作ってもらったことによって、形として残ることになった。

「忘れるまで」というタイトルの曲だけど、わたしはその恩義は絶対に、一生忘れない。



真面目曲は繊細でかっこよく、ふざける曲は超絶技巧でふざけ倒す。
個性的実力派ミュージシャンBotchくん。ぜひお見知り置きください。



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