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美術館には入らない

 あなたが、パリに行ってルーヴル美術館に入ろうとしたとしよう。
 広場まで行ってみたら、かなりのお客が並んでいるので閉口した。待ち時間はだいぶ長そうである。出直して明日に備えようかな、予定が狂ってしまったな、とか考えたりするかもしれない。そこでお勧めするのは、入館しないで鑑賞する方法である。いや、別に違法な鑑賞をお勧めしているわけじゃない。けれども、ルーヴル美術館は入館せずに、外からでも十分に楽しめるのである。

 2017年のことだ。
 その夏、思いもかけずパリに三週間ほど出向くことになった。
 観光ではなかった。在住する妹のパートナーが病気になり、家事手伝いのために助っ人として呼ばれたのである。
 役に立つのかどうかはさておき、妹もパートナーの看護と、自分の仕事とのやりくりで疲弊していて、とりあえず何かを頼める人間が必要になったのだった。

 その頃、私は自分の家族と神奈川県内の実家に引っ越して、そこから遠くない介護ホームに母を預け、もう一人の妹と交互に見舞いに通っているという生活を送っていた。パリに住む妹は、飲食関係の仕事をしていて、自分の仕事を守りながら自宅で一緒に暮らしていたパートナーの看護をしていた。もちろんヘルパーさんも頼んでいた。しかし、パートナーの病状は徐々に重くなってしまって、とうとう在宅での看護は難しくなってしまった。そして夏前に入院となったのだった。その後、姉の私に連絡が来た。「ちょっと、来られる?」
 で、ちょっと、と、行くような場所ではないが、赴くことになった。

 パリでは、妹の指示に従って、家事と病院への見舞いと、ペットである三匹の犬の散歩が日課となった。見舞いは、見舞われる方も見舞う方も辛く悲しいものだったので、何度も行うわけでもなかった。それでも代わりに二人の部屋を掃除したり、妹の仕事をささやかに手伝ったりした。
 観光や楽しみのために訪れたわけではなかったから、美術館に行くこともなく、犬の散歩をしながらパリの街をぐるぐると歩いた。
 パリは犬連れでカフェに入ることもできるのだから、そうしようと思えばできたのだが、なんだかそういう気持ちにもなれなかった。
 妹のパートナーはシェフだったので、彼が出勤できずにいる、オルセー美術館の向こう側にある7区の彼の店まで、妹の住む場所である9区から犬連れで歩いて行った。一緒に働く仲間も皆、シェフが元気になってほしいと望んでいた。だがなかなかそのように現状は進んでいなかった。

 私は三匹のテリアと街を歩きながら、寂しい気持ちは拭えなくても、やっぱりこの街は美しいと感じていた。今度来るのはいつになるかわからないが、まだ入ったことのない美術館もたくさんあるなと考えたりしながら。

 ルーヴル広場の前まで来た時、美術館の中に入ってゆく観光客を少し羨ましく思いながら、大きな噴水の端っこに腰をかけて休んだ。
 ふと、ルーヴル宮殿を何の気なしに見上げた。
 すると、そこには今まで気がつかなかったものがあるのが見えた。宮殿の屋根に、間隔を開けて、設置された彫刻があった。彫刻には看板のようなものが付いていて、遠目には読めなかったが、どうもその彫刻された人物の名前らしかった。画像を撮っておき、あとで調べてわかったのは、モリエールやヴォルテールなどのフランスの歴史的文学者や哲学者たちのようだった。
 犬たちを連れながら宮殿に沿って、屋根の上に並んだ石像を一つずつ、ゆっくりと眺めながら歩いた。数えてみると60体ほどの彫像が、宮殿のコの字型の屋根の上にぐるりと並んで下界を見下ろしているのだった。フランスを創造した文化人たちが、のほほんと屋根の上にいるのはなんだか面白かった。そして犬の散歩をする時間にはしばらくの間、そこに通った。

 ルーブル美術館も、そのほか、オルセーにもポンピドーセンターにも観光施設にも入らなかったが、ルーブル広場を歩いて、宮殿の屋根の上の彫像を時々眺めているだけで、かなり満足した。彫像の周りや宮殿の壁面や石畳など、じっと見入る価値のあるものはたくさんあった。
 結果として、滞在時、美術館の中に入ることは一度もなかった。だが、パリというところは、そんな観光名所のどこかに入らなくても十分楽しむことが出来るのだとわかった。
 それから気がついた。もしかするとパリに限らずきっとどの街でもそうなのだ。

 美術館には確かに鑑賞するべき価値ある作品群が展示されている。指折りの芸術家たちが命を削って創り上げた作品が並んでいて、もちろん観られる機会があるのなら観た方が良いには決まっているのだが、その外にもきっと観るべきものはあって、それを探す楽しみだってある。いつも、どこか美術館に行かなくちゃ、良いものを見なくちゃいけない、そんなふうに旅先では考えてしまうものだが、そんな場所に入らなくても街を観察すれば、美しいものや目を留めるべきものは他にもたくさんあるのだ。街は人間が作ったもので、美しいものもあればそうでは無いものだってあるけれど、それを鑑賞に値するかどうかは本人が決めればいい。その方がきっと発見だってたくさんある。焦らずにゆっくりそういうものを探して行こう、それでもいい。もちろんチャンスがあれば美術館にだって入るけれど。

 夏が終わって、その初冬にシェフは天に旅立った。私は、連れと共に再度パリを訪ね、彼を見送る式に参加した。
 今思い返すと、その時も、なんだか美術館には入らなかったのだった。

 コロナが始まる前のことだったけれども、今でも、シェフの作った温かい料理や、グラスに注いでくれた白ワインの美味しさを、たまに思い出している。

                   ( 芸術研究ライティング・課題2 )
 


 

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