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卒業研究オンラインスクーリング1・2・3の思い出

 五月中旬、去年の今頃は、「卒業研究2」のオンラインスクーリングのために、下準備をして、調査結果や研究2以降のすべきことなどをまとめたりして、スクーリング前に提出し、当日、緊張しながら画面越しに同じクラス(?)の学生さんたちの発表やそれに対する先生のコメントなどを聴いた。

 これ以前の卒業研究1のオンラインスクーリングは、その五ヶ月前、年が明けたばかりの一月初めで、その時は、あまり深く考えてなかったため、曖昧なテーマで企画を提出してしまい、先生に苦笑されて慌てた。テーマはかなり絞らなくてはならなくなり、それも作家や作品論にするのなら何度も観に行けるような作品でないと難しいということがわかり、海外の作家たちや、好きだったフィリッポ・リッピの企画は諦めて、日本の画家で今まで鑑賞した作品のうち、これからも鑑賞しようと思えばできそうな作品の中から選び、急いでテーマに据えて、研究1からひと月後、企画書を提出した。なんとか、その企画でいけそうな感じでOKをもらい、研究2までに数十冊の資料を探した。読まなくてはならない資料が山だったし、作品が展示されそうな展覧会が半年先にあるとわかって、新幹線でその美術館に行くことも調査の中に入れた。

 十年前に、文学部の通信学生だった時、卒業論文はある程度の単位数(おそらく60単位くらい)を取った後に、卒業研究指導の登録ができた。よって、卒業の四年前から準備を始められた。仏文学の範囲で歴史的人物の伝記をテーマにしたのだけれども、資料を読む時間は十分にあって、それ以降他の単位をちびちびと取得しながら、卒論に向かえる時間があった。一年間に2度の割合で卒論指導を受けることができたため、おそらく八回くらい先生に質問や相談ができた記憶がある。資料集めと調査、原書を必死になって解読した。卒論を作り出してから、実質的には三年はかけられたので、提出し終えた後はなんだかすべきことはしたという達成感もあった。成績もまずまずだった。

 しかし、今回のムサビ通信では先生に直接質問できるのは三回のスクーリングだけで、それもその時間に気づかなくては相談もできない。通学生ならきっといつでも研究室にいって小さな疑問を解決できるだろうが、通信学生は難しい。質問票をもっと活用すべきだったのかもしれないと後になって感じる。

 卒業研究3は九月末で、七月から作り始めた卒業論文が分量としてはほぼ完成に近くあったが、そこまでに出来ていることをまとめてレポートにして提出だった。研究1の時期から九ヶ月で仕上げに入っていたわけだけれど、その間に、一月に出席していた学生の数は、九月には三分の一に減っていた。途中でやめた学生さんたちのうち、二年での卒業を目指していないと話していた方もいた。

 でも実質、十ヶ月で企画から完成しなくてはならなかった今回の卒業論文は、自分に難しいものだった。卒業研究1は入学した時に履修登録しなくてはならないし、最初から二年で卒業するつもりでいたのだから、入学してからすぐに卒論のテーマを探し始めればよかったのだけれど、美術研究の仕来り(何度も観に行けるような作品でないと難しいとか)に無知だったので、ぼーっと考えてしまっていたと思う。終わってしまってから、ああ、こういう企画でもいけたのかも、とか、あれこれ思い付いたりする。やっぱり一年も満たない製作期間は短い気がした。

 三月の最後の講評スクーリングでは、結果としては、「作品についてもっと鑑賞し、それについて記す」ことが完成されていないという講評だったので、一応合格は貰えたものの、厳しい結果となった。よかったのは、取材先に喜んでいただけたことと、浮世絵についての自分の知識が増えたことくらいだろうか。
 芸術を研究するって、面白いけれどむずかしいなあと感じた経験だった…。

 

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