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変わりゆく今を残すこと

こんにちは*
京都のまちの小さな写真屋cotonowaのyuniです。
今日からお盆に突入ですね◎

忙しない毎日の中で亡くなられた方のことを思う時間は
年数が経つにつれ減っていくのが現実で
そのことを申し訳なくも感じるし
必死に思い出そうとしても
思い出せない声に愕然とするし
ごめんね、ごめんね、と謝りたくなる時もあるけれど
亡くなられた方やご先祖様がこちらに戻ってこられるこの時期は
たくさんたくさん思い出したあげたいし
幸せを願いたいし感謝したい。

人間はどうやっても忘れてしまう生き物だけど
だからといって
大切に思っていないわけじゃないのだよね。

楽しい時間を、ずっと忘れたくないから

お盆に夫の地元に帰省予定だったのだけれど
コロナの影響で今年も断念せざるを得なくなってしまったものの
少し前、まだここまで影響を受けていなかった頃に
わたし側の家族に会えたのでみんなで写真を撮ってみた◎
(一人どうしても来れず欠席!卒アル集合写真の欠席の時みたいに今度写真載せるから待っててよ!!爆)

事前に「家族みんなで写真を撮りたい」と言っていたから
みんな集合写真を撮るのを楽しみにしてくれていたみたいで
いつも忙しい叔父もなんと半休をとって参加!

「写真っていいね。ちゃんと記憶と一致して楽しい思い出としてず〜っと残るね。また来年みんなで集まって写真を撮ろう!」
と写真を見た家族から返事がきて
ああ、撮ってよかったな、って心底思ったので
もし今年お盆に親戚に会えるならば
ぜひに写真に撮ってみてほしい*
プロに頼まなくても、誰かの携帯でいい。
写真と記憶が一致して、楽しい思い出としてずっと残るから。

実は、3年前にも同じように写真を撮っていた。

小さい頃から大好きだったこの田んぼ道も
変わらないようで、紛れもなく変化があって
右側の田んぼはただの荒地になってしまっていて
なんだか心締め付けられた。
高齢だから田んぼをやめはったのか
もしくはお亡くなりになられて後を継ぐ方がいなかったのか
考えられる選択肢はほんのわずかだったから。

そもそも家族の形自体も年齢を重ねただけでなく
増えて、減って、別の形へと変化しているもの、だ。

家族の「今のかたち」はどれだけ望んでも
一生続くものではなく
誰かが亡くなり、誰かが生まれ、誰かと結婚し、生まれ、また亡くなる。家族は減って、増えてを繰り返すのだ。

それが、生きるということ。
命のつながり。

一生懸命生きたいね。
楽しく、みんなで笑って生きたいね。
いつ来るかわからない死にゆくその日への道を
わたしたちはいわば歩いているのだけど
いつきても後悔しないように
みんなで笑ってる日が、一日でも多いことを祈るよ。

みんな大好きだ。
わたしたちが生きた証を
みんなで笑ってたその時間を
たくさんたくさん写真に残そう。

この時間を鮮明に思い出せるように。


無常という言葉を理解できた36歳の夏

かの有名な鴨長明の方丈記を
最近改めて内容を思い出す時があった。

『ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと またかくのごとし』

鴨長明「方丈記」

川の流れはたえることなく、それでいて元の水ではない。
流れに浮かぶ水の泡も消えては浮かび、長くそのままの状態であることはない。
人も世の中も、同じように見えて常に変化しており、全てのものは無常である。

とゆーてはると勝手に解釈したのだけど

今まで「変わらない今はない」と言い続けてきたことが
まさに無常の一言だったと愕然とした。

確か方丈記は高校生の時に習ったはずだけど
その時には無常という感覚は正直全くわからなかったのに
20年経ったらわかるようになるものなのだね。
また、忘れてしまわないようにnoteにメモ*

良くも悪くも、同じ時が流れることはない。
さて、今日も無常を楽しもうかね*


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