見出し画像

民泊日記 2

何かを始めるときにトラブルはつきもの。物事はスムーズには運ばない。
50年生きてわかっていたような気がしていたけど
実は全くわかっていませんでした。
50歳のおばさんの決断を阻む最大の障害は、なんと家族。
その時下の子が受験生で、道外の大学希望だったため
家を出るタイミングに合わせてと準備をはじめたのだけれど
しかしその春、下の子は家にとどまることに。
滑り止を一切受けず、本命コースをつらぬいたので
あえなく浪人してしまったのでした。
しかも、翌年もこの姿勢をつらぬいたため、2浪。
3回目にキセキが起きて、本命の一つに受かりやっと進学したけれど
この間、2年。私も資金面のやりくりやら気ぜわしいやら。
しかも、在学中もいろいろあった上の子が、就職が決まらずに
家に帰ってきたので、空くはずの部屋がちっとも空かない。
予定がどんどんずれて狂っていく中、思いもかけず現れた最大の敵は
なんとダンナでした。
私の親族は公務員がいっぱいだけれど、それでも見渡すと
農家の叔父とか、喫茶店経営の従姉妹とか、自営業がいるのだけれど
ダンナの一族は本当に右も左も公務員ばかり。
親が2人とも教員のダンナは、生徒としては学校嫌いだったはずなのに
指導する側になることにはなんの抵抗もなかった、
公務員は当たり前だったという、なかなかこじれた学校教師。
「自分で独立してなにかをやりたい」ときれいな夢を語っても
いざとなったら怖くなってしまったのと
自分では決断出来ない現実をうやむやにしたかったのでしょう。
ネガティブなことを言ったり、100%自分の思い通りにしようとしたり
私の話は全く聞きません。
長い付き合いでそういう人だとわかってはいたけど
いいかげん私も限界が来て、ある日爆発。
「あなたが自分で飛べない人だとわかっていたから、私は1人で決断したんだ!やるのは私。事業主になるのは私。だから、決めるのも私。1人で出来ないことは、こちらからお願いするから、協力してください!」
ようやく主導権をとり、ダンナはピタッとおとなしくなりました。
は~、ここまで2年半。スタート前からぐったり疲れました。

いただいたサポートは民泊運営に役立たせていただき、ここで報告します。また、もしいつか我が家にいらしていただくことがありましたら、盛大に割り引きサービスさせていただきます!