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映画【キリエのうた】ネタバレ有りのとっても長い感想文

いやいや、観てきましたよ。キリエのうた。岩井俊二監督の新作ときたら、観に行かない訳にはいかない系おじさんなので。ここでは僕の岩井歴とキリエのうた感想と分けていきたいと思いますので、目次から飛んでいただければ幸いです! ※後半、余談のような300円記事があります。気になったり、面白かったら買ってみてください!


僕の岩井歴


僕の岩井歴ときたら、深夜番組でやっていた「打ち上げ花火~」が元祖でございます。暇で、やりたいことも見つからず、将来・未来が真っ暗なのだけは分かっているモラトリアム大学生がこれを偶然深夜テレビで観るとどうなるか? ご想像の通り、あまり真っ当な人生を送れなくなる。当時深夜映画の枠でベッスンの『ニキータ』とかもやってて、ずいぶんと「映画最高! なんかしらんけど、打ち上げ花火うんたらかんたらって映画? も最高なんですけど一体これは」 となって、当時はインターネットもなかったから、コンビニの本棚に刺さってる雑誌ザ・テレビジョンなどで情報を追う事になる。岩井俊二って監督? 映画じゃないのか・・・? みたいに、周囲に詳しい人もいないから、心の片隅にひょこっと「打ち上げ花火 岩井」という検索用語的なものをひっかけたまま日々を送り続けた。きょうび、インターネットって本当に便利ですね。インターネット超便利ですけど、ググろうとした瞬間検索ワード忘れたりするから、人間楽をするとどんどん退化していきますよね。僕はその退化を食い止めるべく、日々テトリスで脳を活性化させてるつもりなんですけど、テトリスで遊ぶという行為が既に退化の過程に過ぎない可能性もあります。

打ち上げ花火の次の衝撃は、「スワロウテイル」でした。アンドゥーとか、ピクニックとかもその間に観たかも知れない。時期は前後しているやも。フライドドラゴンフィッシュはだいぶ後にTUTAYAで借りてみた。在りし日のTUTAYAで。今は100円ショップになってしまったTUTAYAで借りてみた(しつこい) アンドゥーとピクニックはピンとこなかった。糸でぐるぐる巻き地獄と、カラス大好きCHARAをかろうじて覚えているくらいか。当時人気があった「世にも奇妙な物語」のオチはないけど、何やらただ事ではない映像というか、とにかく現世と人間が嫌いなんやなこの人、というのが伝わってきて、うむ、分かるが分からんが、分からんというとカッコ悪いと思われそうだけど、やっぱりわからんよなぁというお気持ちになったものです。当時は「今、この偽りのわたしをどうするか」というムーヴメントが徐々に生まれつつあった。ムーヴメントと言いたかった。ストーリー的なものというよりも、映像実験のような小さな作品であったと記憶している。在りし日のWOWOWで観た気がするが、ビデオで借りたのかもわからない。

ともかく、スワロウテイルはWOWOWで観た。なぜそう断言できるかというと、映像と音が地上波と比べてとてもとても綺麗で「BSすげえな!」と感動した覚えがあるからだ。同局は椎名林檎を猛プッシュしていて、「ここでキスして」のあのMVを隙あらば流していた。だから僕の中で、椎名林檎とスワロウテイルの映像は分かちがたく存在しており、それは2000年、Y2K問題のカオスな状況の象徴として根付いている。で? って言われると困る。そういうものだからね(BackNumberの黄色感)

スワロウテイルの印象は、最初のモノローグでは「外人に憧れた日本人が作った映画か・・・はずかしい・・・」といった最悪のものであったが、ギュンギュン引き込まれて、終わった後はもう、「岩井俊二はひょっとしてあらびと神なのでは」といった風に、印象が地底から天上へと誘われた稀有な映画でありました。その落差が僕をいまだに岩井俊二ファンとして存在させ続けているのです。冒頭、あの畑の遺体をズームアップしていく演出は忘れられない(・・・って違ってたらごめんだけど・・・脳内で再編集しちゃったのかもだけど・・・)

そして最後の岩井インパクトが、中山みぽりんの「ラブレター」なんですよね。お元気ですかー、ゆうて。これもとても良かった。豊悦のよさが当時わからなかったけど、今おじさんになって、とにかく「背が高い痩せてるおじさんwithロン毛」が正義なのはわかりました。面長さんだとなお良い。この前ちこちゃんに叱られるで豊悦が出てて、「ラブレターの人だ!」ってなったんで、トヨエツの出世作はラブレターなんです。僕の中でですけど。アンドゥーにも出てたよな? ラブレターの良いところは、回顧シーン。小生、回顧シーン大好き侍なんですけど、タイタニックにせよアマデウスにせよ、現状から記憶を辿って再生していく手法って、良いですよね。回顧最高、と申し上げたい。とりわけラブレターのは回顧は回顧ですが、ほんのりと、いや、致死的な美化フィルターが掛けられておりまして、実際僕が送ったしようもない高校生活が嘘で、こっちの岩井ワールドが俺の青春だったのでは、などと脳が悲しい誤反応を引き起こさせるほどのドラッグ味溢れる回顧なんでした。この高校生活を描きながら、「リリイ・シュシュのすべて」という映像を作ってしまうところがまたたまらない。

さっき、ラブレターが最後の岩井インパクトって書いたのは間違いで、この「リリイ・シュシュのすべて」がファイナル・インパクトでした。これはDVDを借りて観た。もう中途半端な社会人をやり始めていた頃で、見終わった後に「とんでもないものを観てしまった・・・」と、ちびまるこちゃんみたいな三本線が目の下に生えた。これはぜひ手元に置かなくては、とDVDを買いに行って、高くて手が出せなかった思い出がある。今はもうメイキング付きのBDを持ってるので、いつでも「リリイ・シュシュのすべて」を観ることができるんですけど、あんまり体に良くないので、二・三年に一度、怖いもの見たさでDIGAのトレイに載せるくらいである。リリイの良さは、敢えて未見の人に勧めるのなら、ちょっとした旅行気分が味わえるところだ。沖縄旅行からドライブ感が加速していくし、ツアー案内の女性・市川実和子のイルカみたいにしなやかなウェットスーツ姿は「すきぃ」ってならない人類はいない気がする。その他にも良いところがいっぱいあるのだが、旅行気分が味わえるので、未見の人はまず絶対観ようぜ、とお勧めしておきたい。細けぇことはそのあとだ。

そうした訳で、僕のおもだった岩井歴は

打ち上げ花火→スワロウテイル→ラブレター→リリイ・シュシュのすべて

で順番に脳天をフルスイングされていった、という事を明らかにして参りました。ここで不思議な点について追記すると、僕の周りに「岩井俊二映画ファンがいない」という事だ。インターネット上では「岩井俊二の作品好き~」って人はたくさんいるのに、僕の周りには一人もいない。

ここで思い出すのが、以前、友達と麻雀などをしていた際に岩井俊二の映画と村上春樹の小説と漫画ツルモク独身寮が好き、などと話しをしていたら、同席していた知り合いの奥さんに「ルーペ君、女の子みたいな好みね! わたしの友達と好みがソックリ!」と指摘された事だ。僕は確かに毛深くて顎が四角くて腕力が強く、右手にバッファロー、左手にブロンド美女を抱いて「ベイビイ、夜は寝かせねえぜ」などと嘯く男性的男性ではないが、身体的に男性であるし、精神的にも(定義は知らんけど)男性として誇れずとも恥ずかしくないものを持ち合わせているつもりである。確かに、漫画BASARAとかOZとか動物のお医者さんなども嗜んできたものの、少女漫画もおもろいなぁ、という印象を持ったくらいで、グンとのめり込むような事はなかった。しかし好みが「女性的である」と指摘された事によって、何だか人に対して「岩井俊二が好きで・・・」と言い出しづらいマインドになってしまった所は否めない。なぜか、叱られているような気がしたのだ。男のくせに、しっかりしろ!、と。当時はまだ男らしさ、女らしさを区別するのが当たり前の世であったし、その指摘した奥さんが高知出身であったことも無関係ではなかっただろう。ともあれ、女子がドラゴンボール好きと言えるのに、男子がプリキュア好きと言い辛いような感じだろうか。いや、僕の周りの男性堂々とプリキュア好きって言ってるから分からないな。普通プリキュア好きって言い出せなくないか? 言えるのか? 言えるんだろうな。実際言ってるし。

そうした訳で僕は隠れ岩井俊二ファンになったのでございます。好きな映画はロボコップとダイハードとアマデウス(日本映画なら岩井俊二)という風に、かっこで囲うタイプのファンになったという事だ。普通、カッコで囲う部分のことは進んで自分から言ったりしない。何かあれば「実はさ・・・」と持ち出すタイプの懐に秘めたサブウェポンである。そんで、この記事を読むと思われる、すき好んでわざわざものを書くような人は分かると思うんですけど、こういうサブウェポン的な特性こそが人物の本質を表すことが多いので、僕はたぶん、ラジオネームを付けるなら岩井俊二大好きっ子おじさん、となる訳である。

なので、このいまだ一切本題に入っていない「キリエのうた」のプロモーションで、台湾に遠征に行かれた際のYouTube動画では、監督のファンとして大勢の男性が監督を囲っており、良かったなぁと思いました。乙女チックな作風として日本では女性に人気の岩井作品ですが、「乙女チック、とは」というのをいつか解き明かしてみたい。あ、解き明かす人がいらっしゃったらありがたい。乙女チック、っていうと好きって言い辛いので、なにかこう、別の呼称が必要ではないでしょうか。それまで、僕はずっと乙女ナイズドおじさんとして生きていくしかないのか。まあ、おとめ座ではあるが・・・。乙女というにはスタバに行かない過ぎるしな・・・。少なくとも年10回くらいはスタバに行かないと乙女とは言えないであろう。料理やファッションも気が向いた風にインスタにあげなければならない。インスタは敵だから無理だ。あと、ナイトプールな。(今気づいたんですけど、岩井ファンが僕の周囲に見当たらなかったのは純粋に女友達がほぼゼロだったからだな)

その後、もちろん上映された映画を全部見に行くようになりましたが、回顧おじさん的に上記四作を上回ることはなかった。悪くはないけどぉ、という感じである。アニメもあったような? トラックの下で寝ててあぶねえな、と思った覚えがある。でも面白かった。

そして

映画キリエのうた 感想

本題ですよ。2023年に公開された、岩井俊二監督「キリエのうた」の感想。

凄くよかったです。

まず冒頭で、「2023年」っていう今現在のお話ですよ、って提示からして良い。僕は映画館で観ていて、そうか、今年の話なんだな、という設定だけで、ぐっと興味が惹かれた。映画館で未来や過去の年数が提示されることはあれど、現年代っていうのはちょっと記憶にない。からの、アイナ・ジ・エンドさんの歌声に惹かれ、あっという間に三時間ほどが過ぎ去ってしまった。

アイナさんはBiSHというグループに所属していたのは何となく知っていたけど、聴いたことがなかったので、この映画でまさにアイナさんを浴びたという事になるのですが、ともかく個性的な歌声であり、甘ったるいCHARAさんをどことなく彷彿とさせる。いや似てないが? と思いながら、脳がCHARAを引っ張り出してくる謎についていずれ解明しなくちゃならん。やや舌足らずなところが似てるのだろうか? ともかく、ここでスワロウテイルを意識しない岩井民はいないんじゃなかろうか。あのスワロウテイルをどう超えてくるか、と思いつつ、それがここが2023年だという冒頭の提示で、いやしかしこれフィクション・いわゆる100%のホラ話じゃないし、一体この先どうなるの!?、というワクワクが止まらなくなったのであった。

そっから先は、アイナさんの幼少の話に移り、衝撃の真実が明かされる訳ですけれども、この幼少時代の女の子がとーっても素晴らしかった。違うよ、僕はロリコンじゃないよ! アイナさん演じる路花の幼少時代として、いや本当にそういう顔してたんじゃないの? ってくらいよく似ていたし、喋らない雰囲気や佇まいなどが、劇中のアイナ・ジ・エンド幼少期そのものであったのだ。喋らないけど歌が上手、という役柄なので、歌も大変良かった。上手の一歩先をゆく自然な良さがあって、「佇まい」と「歌が上手い」のダブルを兼ね備えた神采配であったのではと思うております。

このnoteを書くきっかけも、感想や考察をうんうん、とおじさんらしく頷きながら読んでいて、それでいて幼少期のアイナちゃん、劇中名・イワンちゃん、役者名・矢山花さんについて言及している記事が一つもなかったからです。教会の中で涙をいっぱいに浮かべるシーンも、観ちゃいけないものを見ているような気がするくらい、良かったとか言っちゃいけないのでは、と思いながら今も書いているくらい良かった。あの怪しいおじさんとのJAMもすっごいよかったから、エンディングで歌が流れた時にホッとした。ああ、やっぱり良いと思っててくれたんだね、って感じと、路花のルーツを思い出させてくれて。イワンちゃんは椎名林檎のMVギプスに出てくる小さな女の子に雰囲気が似ている。って、今久しぶりにギプスのMVを見たら椎名林檎のおっぱいがでかくてびっくりした。拝みそうになったわ。あと、確認してみたらあんまり似てなかったから消そうかな。まあいいや、残す。おっぱいとは関係ないけど、いやあるけど、矢山さんが只者ではないと映画を見終わった後に興奮して矢山花さんについてアイフォーンで調べてみたら、プロフィールにBWHが記載されていて、昭和を感じた。きょうび、バストウェストヒップなど記載されているグラビアなどある? いや、あるのかもな。僕が大好きで応援しているガールズユニットTrySailには三名の女性がいるけど、写真集やポスターなどに特にBWHの記載など見たことがない。何故なら声優にBWHなどの数値は不要であるからだ! (大切ではあるが)敢えて記載する必要などないぃ!(渡辺謙の口調) とすれば、矢山花さんというキッズについてもBWHなどの記載は不要では? と思うんだけど、その筋の人たちにとっては大切なのかね。身長だけじゃだめかな? あるいは靴のサイズとかさ(不審者) なんか騒ぐと「意識し過ぎ(笑)」って思われそうだけど、こういうのって、僕が乙女ナイズドおじさんと呼ばれるのを深層意識で拒んでいるのと根っこが同じような気がする。単なるサイズじゃん、仕事で人前で立つのだから記載しておけば幅が広がっていいじゃね?、というのと、でも嫌なんだよ、と拒むための理由が不確かなところがさ、こう・・・まあ、今はそういう話をするところではないのでスルーしますが。とにかく僕が言いたいことは、矢山花さんはすごい女優である、という事と、彼女の今しかできない演技を収めたというだけで映画として一生残す価値があるのでは? という事だけです! 

アイナ・ジ・エンドさんについては、これはもう一回聴くだけで分かるので特に言いたい事はない。100万回くらい褒められているので、本人としてもお腹一杯といったところではなかろうか。この癖のある歌声は文句なしにまっすぐ胸に飛び込んでくる。映画で言えば、僕はこの路花という役柄を通じて、現実のジ・エンドさんが好きになった。たどたどしい敬語とかすれた声と、舌足らずなしゃべり方ってもう、おじさん的にはすすす、すすす。(息を整えて)「好きィ!」以外にいう事はないんですよね。特に今回は、純粋なアーティストとして、騙されたり、身体の関係を強要されたりする、びっくりするくらいありがちなアーティスト像を演じていらっしゃった。

びっくりするくらいありがち、な所でいうと、その体の関係を強要されるシーンで男の人が「いっただっきまーす」っていうんですけど、思わず笑っちゃったし、今も思い出し笑いをしてしまってるんですけど、これ大丈夫なんか?って思いました。岩井さん大丈夫?の意味で、大丈夫なんか?っていう意味です。ヤケクソになってるのでは・・・。

さらに、宣伝でも使われている、プロデューサーによる喫茶店内での「じゃあ、歌ってみてよ」「え、ここでですか?」「そう、だって歌手なんでしょ?」「でもお客さんがいるし・・・」からの、アイナさんによる独唱、店内のお客さんらによる拍手、「もっと聞きたーい」「もっと聞きたいってさ」のシーン。

俺たちの広瀬すずちゃん演じる一条逸子さんが花束を買って、あの道の途中で〇されちゃったりして、大変な事になるじゃないですか。美しい青い花束と、血と落ち葉の黄色のコントラストが印象的なあのシーン。

はたまた、許可を取らずにフェスをやっちゃったもんだから、警察官が来て、盛り上がっているのに「中止しなさい!」などと拡声器でどなりながら、ジ・エンドちゃんを筆頭とするバンドが演奏を続けて歌い続けるシーン。

もっと言うと、被災した海の浜辺で、広瀬すずちゃんと、ジ・エンドさんが横になって、さらにエンドさんがバレエを踊るシーン。(広瀬さんは「しっかしこれ意味わかんねえな」という表情をしていたように思えますが気のせいかもわからない)

そんなにバレエが好きィ?
というのはまぁ性癖としてやむを得ないところはあるのだけど、それ以外の事となると、なぜ敢えてそれをしたのか、という謎が消えない。もしかして、僕がおじさんになってしまったから、こうした物事がありがちに、安っぽく見えてしまうのだろうか? もし僕が今大学生のモラトリアム真っ最中で、深夜のテレビでこの「キリエのうた」を観たら、やっぱり人生をしくじっちゃうくらいの衝撃を受けて、毎日岩井監督の作品について調べたり、考えながら日々を過ごすのだろうか?

わからない。僕はもうおじさんだから、そうした若者の気分についてはわからなくなってしまっている。正直に言うと、曲群に関しても「スワロウテイル」のような問答無用の吸引力を感じなかった。「やべえ! ちょっとTUTAYA行ってくる!」とケツポケットに財布を突っ込んで最寄りのTUTAYAに駆け込むほどの魅力を楽曲から感じられなかった。背を向けた江口洋介の先の悲しい未来を感じさせる運命のすれ違いに被るィエンタウンバンドのあの印象的なイントロ・・・と言った、決定的な「CD買うぅ! 買わせてぇぇ!!」感が無かったのだ。これについても、最新J-popが辛うじて「ドライフラワー」の僕の感受性が成長あるいはアップデートがストップしており、今のナウにはバカウケしているのかも分からない。僕には女性の友達もいなければ、20代の知り合いもいないから、これは単なる四十台のおじさんの嘆きに過ぎないのかもしれない。もしこれが単なる嘆きであったのなら、それはそれで嬉しいと思う。監督の若々しい感受性がいまも続いている、という事だから。台湾の男性ファンに囲われる様を「良かった、俺たちの岩井監督はまだまだ現役なんだ」と後方彼氏面・・・彼氏ではないな・・・いにしえのファン面をすることができるのだから。

さて、岩井監督の手腕と言ったら「生々しさ」である。これは僕個人としては韓国映画あたりに影響を与えてるんじゃないかと思うのだけど、生々しさとは物語上における現実感を与えてくれる大切な要素であり個々人によって違う。例えば僕にとっては、岩井作品の中では「打ち上げ花火」における病院の待合室で女の子を待つ、とか、「スワロウテイル」における小学生や中学生が金銭感覚が麻痺してお金に穴を開ける(このシーンはジャケットにもなっててとてもよかった)、とか、「ラブレター」におけるトンボの死骸とか、リリィにおける教室での「先生、〇〇君が吐きました」といったところが挙げられるのですが、今回のキリエについては、震災シーンがそうだった。

アイナさんがお風呂に入っているところで地震がやってくるのだけど、あの揺れはガチで気持ち悪くなりそうだった。男の子の部屋も相当揺れていたが、あのお風呂シーンもかなり凄い。一瞬モザイクが見えたような気がするが、アイナさんの演技も半裸になりながらの迫真ぶりで、地震の再現のえぐさに加えて、「ジ・エンドファン的にこの絵はやはり使えるのだろうか、ジ・エンドさんのおなかの膨らみはどのようにしたのだろうか」などと考えてしまい、大変印象深かった。後日、Eテレで放映された岩井俊二監督の密着VTRで、衝撃の撮影方法が判明した訳だが、お風呂のシーンについては謎のままである。あのお風呂の湯の暴れ方は、やはり同じ撮影方法であったのだろうか。また、宮城の女の子の実家に訪れた男の子の態度や、妹が駅にいてもずっとバレエを踊り続けている描写など、本物以上に本当に見える生々しさは健在であった。神社のキッスシーンなど、おじさんはリアルで手で顔を覆ってしまいそうになった。――こ、これが乙女ナイズドおじさんっていう事か・・・! 甘酸っぱい過ぎるんですよねぇ。受験と重なってホテルでファックする様など、漫画東京大学物語を彷彿とさせるが、直接・あからさま・サービスとしてのファックシーンがなくて安心したり、寂しかったりした。これがおじさんの心の機微である。見たいが、見たくないんじゃ! 夢だけど、夢じゃなかった!

震災のシーンは悪夢みたいにリアルだった。学校帰りののどかな街並みから一転、微かな揺れを感知する様や、電話越しのもどかしさ、のんきに振る舞う電話先の者と、気が気じゃないこちら側の者との温度差。僕は震災当時はお仕事で建物の中にいたのだけど、震災の時刻的に、うららかな夕方あたりの光の下で大勢の人たちが様々な選択をし、大津波が日常生活ごと飲み込んでやがて去っていったのであろうと思う。決して津波の映像は出ないが、サイレンの音と、スクリーンの先にある海岸線を観客がみれば、その後どうなるのか知っている。本当の被災の映像なんかいらない。妹を探しに海岸線近くに降りて行って、再会する。妹の背後に水平線がみえて、少し安心した顔で微笑んでいる。ちょっと海の方を見たかも知れない。もう一回観ないとわからない。そして、男の子の電話はもうつながらなくなってしまう。あまりに狼狽えてしまって、見ていられない。そうだった、震災発生時、我々は津波を甘く見ていた。劇中の男の子は津波が来るかも知れない、と考えていた。電話で女の子に「逃げろ」と伝えたのは正しいことを我々はやはり知っている。そうだ! 逃げろ! って思うけど、どうしようもない、あまりの無力さにこちら側は息をするのも忘れるくらい見入ってしまっている。

部屋のぐちゃぐちゃ具合も大変リアルであった。写真でも見ながらセッティングしたのかな?ってくらい精密な震災後の部屋が再現されていたし、夜になると一応片付けられて、男の子の父(シン・ゴジラの監督)が歩いて帰宅して、という風に、多くの家で見られたであろう一幕があったりして、タイムスリップをしたような気分になった。とても良かった。

でも、男の子が居てもたってもいられない様子で、被災地まで走っていくとなった時、父親も母親も意外とすんなりと見送ったのには驚いた。被災直後はみな神経がささくれておったし、高校生、大学生になりかけあたりの息子がちょっくら走ってくわ、宮城まで。などと言い出したら父・母は全力で止めるはずである、というのが僕の私見であるのだが、もちろんそうではない可能性もある訳で、僕が単にいちゃもんを付けているに過ぎない。生々しいと震える状況から一転、そうかまぁこれは映画だからな、と椅子に座りなおすタイミングとなった。まっくらの中を走っていく様はとても良かった。Eテレのメイキングによれば、このあたりは岩井監督の書きかけの短編小説が関係しているとのこと。読んでみたいところではある。

それと、時系列が前後し、やがて「そういう事だったのか!」と理解していく構造となっているのだが、時折「えっと、今はどこの時間軸だっけ」と一瞬考える時があった。ジ・エンドさんが一人二役である上に、男の子があんまり代わり映えしないから混乱してしまうのだと思うのだけど、それとは別にイワンちゃんが大阪でどのように生活していたかが謎であるところが引っ掛かっていたような気もする。イワンちゃんは宮城から大阪に来て、どれくらいで黒木華と会ったのか、気になるところであった。小説版には書いてあるのかも知れない。

こうしてグーッと入っていった感情移入がやや削がれていってしまったのだが、さすがに僕の感受性が危うい可能性でしかないのだけど、男の子が公園でジ・エンドさんに「ごめんな」と泣き崩れるところもピンとこなかった。ここは物語のとても大切なところである筈ので、なぜ僕はここでグッとこなかったのか未だに自分で自分が理解できない。再会後の安そうな焼肉めちゃくちゃ美味そうだな~、と腹が減った記憶はある。ごめんで済む問題じゃないんだよなぁ、と思ってしまったのかも知れん。それを言ったら多くの物語がそうなっちゃうんだけど。そういえば、レイトショーで観たんですけど、周囲の人たちが泣いてる様子もなかった。意外とみんなもごめんで済むなら児相と警察はいらねえんだよ、と思っていたのかもわからない。だって、インターネット、具体的にはツイッターのDMで再会できたんだから、またインターネットの検索で会えるのでは? 探さなかったからでは? といういぢわるな気持ちが少しあった。僕の認識間違いかも知れないので、もう一度観たいと思います。

ラストのフェスについても、警察が少なすぎるのではなかろうか。若者特有の無責任さからフェス中止の通達はあるある、あるぞ、と思うものの、結局曲は続けちゃうし、拡声器で「中止しなさい!」などと叫んだところでもはやそれはやめさせる恰好でしかないように見える。応援を呼ぶ様子はあったが、本当に中止させたければ、あと30人くらいは警察官が必要ではなかったか。警官二人とかイワンちゃんの相方を職質する人数と同じじゃん。やめさせる恰好にしか見えない。たった二人の警官の抑止を振り切って曲を続けたところで、おじさんとしては反体制! デストロ~イ! イエーイ! と応援するにしても、ちょっと警察官かわいそう・・・っていうか、体制側もっと本気で取り締まってくれないとロックンロール? パンク? ていうか矜持がですね・・・と背中を丸めてぶつぶつ言う感じになってしまう。警察は演奏側を羽交い絞めにするなり警棒で叩くなりしないと、客側に向けて拡張器でガナるのはキングヌーの役割だ。本当は金八先生みたいに機動隊ぶっこんで欲しかったですけど、令和的にみてちょっとメロドラマになり過ぎ問題があったのかも分からない。スローモーションになったりして。

最後の方は愚痴っぽくなってしまったが、僕がおじさんとして歳を取り過ぎてしまった結果、感受性が摩耗したからそう感じてしまった可能性が否定できない。だって、このnoteの感想群を観ても、悪口を書いている感想は見当たらないからだ。3時間映画館に腰を落ち着けてじっくり鑑賞した結果、良い感想しか書かない人というのはとても良いひとであると言わざるを得ない。良いところもあれば、悪いところもある。僕にとって、感想はそのどちらも書き出すことだ。間違っているかも知れないけど、それでも。好きであれば好きであるほど、細かく書いていく。

一方で、こうした僕ごときの指摘について、岩井監督が気付いているか気付いていないかでいうと、気付いているに決まっているんである。僕の知っている岩井俊二は神であるので、そんなの100億も承知で、浜辺でバレエを躍らせてるし、警官も二人しか出してないし、震災当日の夜中に高校生か大学生あたりの男の子を宮城まで走らせることを許容する両親を描いているし、女の子に猥褻する前にいただきま~す♨と言わせているのだと僕は思っている。何故かというと、この映画は音楽映画として重きを置いているからではなかろうか。アイナさんの歌声に惚れ込んで、いっぱつ映画ぶちあげてやんぜ! でもお話も必要・・・といった風に、ある程度のあの「いっただきま~す♨」的なお約束も止む無し! といった感じで、自分が好きなもの中心に(つまり、音楽・バレエ・アイナジエンドの歌声・いい感じで撮れたカット)取り揃えてババンと出した、という感じではなかろうか。三時間になりましたけど、みなさんトイレ大丈夫ですか?、と。そうした意図であれば、アイナ・ジ・エンドをはじめとした楽曲のすばらしさに胸を打たれたし、素晴らしい3時間を体験出来たと言って間違いない。映画館の音響は最高だから、いつかBDがでたとしてもおなじ感動は味わえないだろう。本当に映画館へ行って良かったと思うし、もう一回くらい行って、聴きたいと思う。でも、スワロウテイルのような緻密な世界観と面白いホラ話を期待していくとやや残念に思うかも知れない。決してつまらなくはないのだが、詰めが甘いか? と思わざるを得ない点もいくつかあると言える。

これで書きたいことは書いたか?

と思ったが、あと一点あった。紀里谷和明監督である。ここから先はキリエと紀里谷は似ている、というところから、2023年に公開された「この世界の終わりから」と「キリエのうた」を紐づけて、かつての宮崎駿「もののけ姫」・庵野秀明「エバンゲリオン」の作品同士における補完関係、偶然の類似性についてほんのり書いているんですけど、ちょっと恥ずかしいので有料販売とさせていただく。勝手にいなくなりやがって! みたいな愚痴というか、そういうのを書いてあるだけなので、キリエとはあんまり関係ない。テーマは「感想を述べるひとと、述べないひと。語る人と、語らないひと」といったところだろうか。有料販売とか初めてするのでドキドキするわ。つまらなかったらごめんね!

それでは、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。ひとまずはここで終了です! くぅ~! 疲れました!

最後にどうでも良いこと何ですけど、冒頭ジ・エンドさんが喋れない設定で筆談してたけど、そのあとわりと普通に喋ってたのが見終わって数日後にジワジワきた。

仕事終わりに映画館へ行って、開場間際ではあったが、のどが渇いたので冷たいビールを一杯ぐっと飲んでから鑑賞した。キンキンに冷えてて、すっっげー美味しいプレモルだった。でも僕の膀胱、無事3時間もちました!! やったー!!!


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べ、別にお金なんかいらないんだからね!