視覚障害者の外出ー驚いた嬉しかったこと

視覚情報で行動していない文化のひとたちの日々の体験、なかなか知る機会がないかとも思います。

視覚障害当事者のかたがたも、毎日毎日いろいろなところへお仕事へ出かけていろいろな体験が日常の中に埋もれていたり、そもそも発信されない、はたまた発信するにしても視覚障害は晴眼者ベースのこの社会文化の中ではなかなか文字情報を扱うことが困難である、発信弱者・情報弱者の一面もありますから、尚更、知っていただきにくい面もある。

そのため、ちらりちらりとこういうところにも、日々の体験を書き溜めていこうと思っております。

本日は、社会では「視覚障害者」と見られ道ではいつも「大丈夫ですか」と聞かれる側にまわってしまう私が驚いた嬉しいことをひとつ。

バス停で、バスを待っておりました。
なかなか待ち時間があり、しかし時刻表を見ることができないためいつ来るのかわからずひとまずバス停脇の点字ブロックで立って待っていると、左側に人の気配。
私とバス停(時刻表などが貼ってあるバス停の柱)の間にそっと割り込むように入ってきたおばあさま。時刻表や行き先を見ようとしたのでしょう。
気付いて、「すみません」と、少し退けると、「いえいえ、大丈夫よ」と言ってくださりながらしばらく表示を何か見ておられたようなのですが、ふと私に、
「あの、スカイツリーに行きたいんだけど、この辺、そちらに向かうバスってあるのかしら。このバス、そちらへ行きますか?」と、聞いて来られました。
どうやらそのとき、そのバス停には私だけでなく、何人もひとが待っていた模様。
真横にいたとはいえ、白杖持ちで遮光グラスで目もまったく隠れた相手にさり気なくさらっと話しかけてしかも「バスや道を聞く」というのは、なかなか現状としては珍しい。
きっとわざわざ私の横をすり抜けて、他のバスを待っている晴眼者に聞きに行くひとのほうが現状としては多いですよね。

視覚障害者であっても地元民かもしれないし、知っていることは知っているだろうし知らないことは知らないだろうし、誰もが支え合い補い合うことができることを知っている、フラットな感覚をお持ちで何気なく話かけてくれたのでしょう。
嬉しかった…のですが、地元とはいえちょっとはずれた、ここしかバスを知らない(しかもこのバス停に他にどんなバスが来るかすら知らない)ところであったので、
「スカイツリーは…錦糸町行きのバスなら行くのですが。あとは、私がこのバスに乗って降りたところのすぐ近くには錦糸町行きのバス停があるので、乗り換えればスカイツリーの真ん前までは行けますが…」と知っていることをひとまず説明し、
その後、バスの系統の方向を確かめるために、
「私は〇〇で降りるのですが、その先ってどの方向へ曲がっていましたっけ。次の停留所、どうなっています?ちょっと見ていただけませんか。」
と言って、聞いてくださった本人に停留所を読み上げてもらいました。

しかしそうすると、結局この辺りのバス系統自体がこのおばあさまの行きたい方向には行かないなと察せられたため、乗り換えるもしくはこの辺りのバスではそちらに行くことは難しそうだと伝えざるを得ませんでした。

が、「そうか、じゃあこの辺りにはそちら行きのバスはなさそうかしらね。ありがとうございます。」と、心地良くお互い挨拶をして、去って行かれました。

道を聞かれることは非常に珍しくなっていた(経験がないわけではないが)ので、忌憚なくわけへだてなく聞いて来てくださり、知っている限りの情報をお伝えしたり一緒に見てもらいながら考えたり、その上で、相手が視覚障害者であろうが知っている情報をもとにお伝えしたことをしっかりと受け取ってくださり(相手が視覚障害だから結局知らないのだろうし視覚障害者の言うことだから情報が信用できない、というような潜在的無自覚なな先入観ではなく)、お互い、一期一会のつかの間の心地良いコミュニケーション。

あたたかいですね。

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