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Oriental or Exotic

ニューヨークにいた時に、あるアート雑誌で記事を書く機会を得て、無謀にもジャズミュージシャンの菊地雅章氏にインタビューするという企画を考えた事がある。
現地に住む音楽ライターの人に相談してみたら、彼は音楽にうるさい人だから相当難しいよ、という返事が返って来た。
日本の地元にあるライブスポットのオーナーからの、菊地雅章はピアノにもの凄く厳しいという話もあったので、それならば彼の音楽についてかなり勉強しないと相手にしてもらえないだろうと思い、さしあたって菊地雅章の生演奏を聴きに「Village Vanguard」へ。
確かポール・モチアンのカルテットだったかな。しかし他のメンバーが誰だったのかが思い出せない。
ポール・モチアンは本当にいいドラマーだった。ジャズを聴き始めた10代の頃に、
ビル・エバンスの「Sunday at the Village Vanguard」をずっと聴いていたので、
今、そのドラマーがVillage Vanguardで目の前で演奏してる!という現実に思わず気分が舞い上がる。
ポール・モチアンって見るからにいい兄貴的存在のような人で、ドラマーらしいドラマーだった。
話をプーさん(菊地氏)に戻すと、彼の生演奏はその時初めてというわけではない。
以前、阪神・淡路大震災のチャリティーイベントでプーさんが富樫雅彦と演奏していたのを聴いたことがある。
それ以来久し振りに菊地氏の演奏を改めてじっくりと聴く。
その時に私が抱いた印象としては、もの凄く緻密に計算し尽くされたような、まるで他のメンバーの動き、演奏の行方を完璧に把握しているような感じで主体的にコントロールしているような印象だった。媚びないところは好印象なのだけどある種のしたたかさのようなものが実は苦手なタイプの演奏だった。
とても頭の良い方なのだと思う。でも私にとってはその完璧さが面白くなかった。
私はもっと叙情的でソウルフルな演奏を聴きたかったような気がしていたから。
でも決して菊地雅章氏の音楽を否定するわけではない。
現に、彼が山本邦山と共演している「銀界」というアルバムを私は持っていて、そのアルバムは良かった。ジャズという媒体を使って「和」というアイデンティティを追求した音楽は彼の独自のものであり、それが菊地雅章の音楽なのだろう。
ただ、一方で菊地氏が実際に本場で西洋人とジャズを演奏をする時には、私が目撃したように頭脳で彼らと勝負しているのかも知れない、と、自分はそういう解釈をしている。

ポール・モチアンはその後も何度かライブ演奏を観に行っていて、その中でも「Birdland」というジャズクラブで行われた、イタリア人のジャズピアニストのエンリコ・ピエラヌンツィ・トリオのライブは特に印象的だった。
メンバーは、エンリコ・ピエラヌンツィ(P)、スティーヴ・スワロウ(B)、ポール・モチアン(Dr)の通り、円熟した演奏を聴かせてくれるメンツなのできっと余裕たっぷりでシットリと聴かせてくれるのかな、、、という予想は見事に外れて、お三方は真剣勝負そのもの。余裕どころか客席お構いなく滅茶苦茶必死なインタープレイを聴かせてくれたんですね。それはそれは素晴らしい演奏だった。
私はとても驚きました。彼らみたいに経験豊富で熟練した技をもつミュージシャンでもここまで必死に演奏するんだ、、、なのであれば経験乏しい我々はもっと必死になってやらなければならないという事なんだな。と、彼らからもの凄い刺激を受けました。
後でわかった事なのですが、この時のライブはレコーディングしていたようで、(おそらくその時にレコーディングのアナウンスはなかったような、、、?多分ボーッとしていたのか気付かなかった)
後にアナログ盤で発売されました。
現在そのアルバムは入手困難のようですが、このライブは本当に良かった。

同一人物でも、演奏する相手によって全く違うものになるのが面白い。
ただ、やっぱり西洋人というのは総じてストレートな表現が得意でExpressiveなんですね。それに対して日本人は表現のスタイルが彼らとは違う。
それに日本人というのは確かに優れた頭脳を持っていると思うので、プーさんのようにそこで勝負するということも一理あるかなとも思ったりして。




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